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大切なこと

苦痛だけが、この世の秩序をつくり上げている必然性との接触点である。

神を待ちのぞむ シモーヌ・ヴェイユ

歳を重ねていくと、面倒ごとを避ける能力が向上していく。

少し前は、生き急ぐように手を広げ、自分の周囲にある面白いものをできるだけ多く飲み込もうしていたと思う。そんな事をしている癖に、取捨選択はあまりしていなかった。

だから、随分体に合わないものを沢山飲み込んでしまったな、と、今では思う。
取捨選択をしなくなったのは、厳密に言えばここ2年の話だが、それ以前にしても、元々やろうとしてもそこまで上手くなかった。今までは意識してなんとかやっていたものをいきなりやめてしまったんだから、まあ、酷い目に遭うのは自然だ。

合わない人間関係、合わないバイト、合わない趣味、気づいたら、それらを山のように抱えていた。それに気づいてからは、どうにか荷を下ろせないかともがく日々だった。
そうやってもがいたのがここ1年。最近は自分に何が合うかわかってきたから、取捨選択を高い精度で行えるようになってきた。

自分と性格の合わない人はまだわからない。同じように、人の魅力に気づくのも人より遅いタイプだ。それらの問題はともかく、この人達と付き合っていけばトラブルなんて起きないだろう、という人のリストは、孤独を癒すのに充分な人数に達している。その人達と付き合うようにすれば、当面の嵐は回避できるだろう。

バイトに関しては、合わないとは前から感じていた。それでも惰性で続けていた。そう、これが俺の良くない所だ。居心地が悪いなら、合わないと感じるなら、その直感や感じたものをしっかり味わい、行動に移すべきだった。
おそらく自分は、居心地が悪い場所にいる事に慣れてしまっている部分があった。生活を良いものにしていこうという目標設定がなかった。なんでも取り込み、捨てない、ゴミ屋敷のようなメンタルだ。部屋は綺麗なのにね。

生活全般に関する話だが、部屋の外で起こる諸問題に一通り対処できているから、部屋で過ごしている時間も大変過ごしやすいものに変化した気がする。トラブルは起きず、穏やかで楽しい人間関係がほとんどだから、家の中で思い出して不快になることもなければトラブルに頭を悩ませることはない。心の余裕ができた。最近は読書が楽しい。そんな感覚を取り戻せたのも、最近あった良いことの一つだ。

面倒事を避けるために色々分析したら、ある事がわかった。
俺は弱くて不器用だということだ。それを深く知れて良かったと思う。
この結論は、俺を悲しませるようなものではなかった。むしろ心地がいい。自分の弱さを知らないと、自分に対して適切に優しくする事ができないから。
それに、自分を基準にしているから、人と比べて悲しくなることもあまりない。
自分を基準にする、つまり、できない知らないを基準にしているから、自分より能力がある人間を見ても、ただただ凄いと感じ、学びたいと思うばかりで、自分はなんてダメな人間なんだと嘆いたりはしない。できるのが当たり前、を基準にすると辛くなる。できない知らない自分を基準にして、それでOKだと思ってしまえば、すごく楽だ。

俺は問題を小手先のテクニックでどうにかして、その成功例を自分の中に積み上げていくことで成長しようとしていたが、これからは、もっと根源的な成長をしたいと思うようになった。間に合わせじゃない、数十年に渡って続く本物の変化。
その変化をしていく為に必要なことは、毎日の小さな努力と、それらを支える生活の安定感だ。面倒ごとは避けよう、尊敬できる人に指事しよう、そうして余ったリソースを使ってどんどん心を豊かにしていきたい。今は、それで良いかな。

ただ、面倒ごとというのは、大変大きな学びを得られる機会だった。苦痛は、この世界の必然性との接触点だ。人を傷つけたり傷つけられたりして、初めて気づいた事が沢山あった。教えられたことが沢山あった。そうした事を気づかせてくれた過去の諸問題に関しては、深い畏敬の念を持って消化しようと思う。
面倒だし不快だから、不必要な衝突はこれからは徹底的に避ける。それでも、生ていく上で避けられないトラブルというのはこれからもあるだろう。そういうものに出遭ってしまった時は、自分が知らなかった世界の必然性に触れた事を、深く捉えていきたい。

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