マリカーよりスマブラがいい(ルールの自由度の高さと複数の自分を持つこと)

23歳の誕生日を迎えた。誰もが獲得している年齢という指標において、23歳地点で僕がどんなテーマについてどんな思考の手続きを踏んで、どんな示唆を得ようとしているのか記録をしておく。この材料をもとに、後に自己の変化に気が付くことができるからだ。字数や読みやすさをあまり考慮せず、自由に文章を生成していく。

僕はゲームを良くしていた。一人でも複数人でも良くしていた。
その中で特に友人と実施した題材はマリカーとスマブラだったと思う。
確かにどちらも面白いし盛り上がる。一方で経験上、長時間の遊び、さらには徹夜の場合に選択されるのは、圧倒的にスマブラだった。僕の疑問はここから始まる。なぜマリカーは最初の4レースは面白いのに、30分も遊べば飽きるのだろうか?一方、スマブラは夜通し遊んでも飽きないのか?この違いはなにか?
23歳になった2023年11月24日に考えていたことはこんなにもどうでもいいことだった。何も生み出さないであろうこの疑問を解決するために思考を巡らせたので、そのプロセスと今時点での仮説をここに記す。


まず、そもそもマリカーは最速でゴールテープを切ることを目指すゲームだ。そのために最適なキャラクターとカートを選択する。また、レース中に獲得できるランダムなアイテムをどう使うかも勝敗を左右する重要な要素となる。
つまり、
①操作する人の能力
②キャラクター・カートの能力
③ランダムに発生するアイテムの能力
の3点によって順位やタイムが決定する。これがマリカーをする上での基本的な概念だろう。
一方、スマブラは大きく2つの目標設定ができる。第1に、制限時間内での倒した回数と倒された回数の差分がメンバー内で最も高いこと。第2に最後まで生き残ること。これらを自由に選択できる。
その勝敗を分ける変動要因は実はマリカーと変わらないのではないかと思う。マリカー同様、上記の3点が変数となる。
故に、勝敗を決定する要因にマリカーとスマブラの差異を見出すことはできない。
一方、微妙な差異を上記で発見することができた。それは、目標設定の自由度の違いだ。マリカーは目標設定が1つでスマブラは2つである。この違いに着目して深堀りしていこうと思う。


マリカーは上記で示したように、最速でゴールすることが目標である。具体でいうと、「最短ルートで、最速で走れるキャラクター・カートを選択し、無作為に選ばれる攻撃的・保守的なアイテムの出力に備えた立ち回りをすること」が至上命題となる。つまり「タイパ」(=距離/かけた時間)を競う遊びとするしかないのである。
一方、スマブラは自由度が高い。第1の遊び方である、制限時間内での差分を競う規則で、最も良い戦い方は、無傷で相手を倒すことである。ないしは、最前線で戦い、相手を攻撃しながらも、相手からの攻撃は全て回避する。これがでれば最強だろう。しかし他にも戦術はある。3人で戦っている場合、僕以外の2名が戦って体力を消耗した時を見計らって、僕が攻撃を仕掛ける。これはずるいように見えてとても合理的だ。リスクが圧倒的に低い。
また、第2の遊び方である生き残りをかけた戦いにおいては、全く戦場に出ないことが選択されて良いのである。友達が必死にリモコンを操作しているのに、ポテチを食べていれば勝てるかもしれないのだ。最後に残った人が勝ちなのだから。
また、キャラクターの自由度もマリカーより高い。マリカーはどのキャラクター・カートを選択しても機能は変わらないが、スマブラは剣を振ったり、銃を撃ったり、弓を射ることもできる。故に戦術の幅が広い

ここまで述べてきた通り、目標の自由度、それに紐づいた戦術の自由度については、マリカーよりスマブラの方が圧倒的に高かった。つまり、僕の疑問を解消できる回答がここにある可能性が高い。
つまり、ルール設定の自由度が高い方が持続的であるという仮説を立てることができるのではないか?と僕は考える。
同じ「スマブラ」をしていても、実は別のルールに従って遊ぶことができる。今回は、最前線に出て相手を倒そう。次は遠くから戦況を見ていよう、イモる作戦だ!といった具合だ。
これは、幼少期に鬼ごっこをしているときに、シンプルな鬼ごっこから缶蹴り、氷おに等にルールをマイナーチェンジしている様態と構造は同じではないか。母親に「今日何してたの?」と聞かれ、「鬼ごっこ!」と答えて、そんなに長い時間鬼ごっこできるものかと母親が思うことと同じだと僕は思う。
つまり、ここから一つの示唆として、ルール設定の自由度が高いゲームの方が面白いということだ。言い換えると、訂正可能性が重要ということ。

別の切り口で考えてみたい。
上記で少し述べたが、キャラクターに紐づいた機能の話だ。
そもそもこの2つのゲームはキャラクターを選択するという行為から始まる。つまり、このゲームの世界における「私」を選択する行為である。この世界とは違う世界線で別の姿形で「私」が操作することが可能な存在を決定する。この行為はとてもメタ的である。このメタ的視点からマリカーとスマブラを見ていこうと思う。

マリカーではどのキャラクターを選択しても同じ動きをする。マリオでもクッパでも車に乗って走るしかないのだ。
一方、スマブラではカービィは空をフワフワ飛べて、マリオは炎を出せて、リンクは剣と弓を扱える。この機能の多様性も面白さの一つだと僕は思う。
つまり、自分が操縦することができる存在、または機能が多い方が面白いということ。これが僕の第二の示唆である。
カービィにもピカチュウにもなれて、空を飛べたり電気を出したりできる方がずっと車に乗っているよりそりゃ面白いよねということ。

以上がマリカーとスマブラの面白さの違いの根源を探る僕の陳腐な旅だ。

ここまで読んでくれた人がいたなら、僕を相当変わった人だと思うだろう。
「めんどくさ」、これが本音だろう。ただ、僕はこういったどうでもいいことを考えることがとても好きでやめられない、そんな人なんです。こういった一面も知った上でこれから関わってくれる人がいるなら、それはとても嬉しいことです。
また、僕、私も似たようなこと考えてますとかその話論理分からないとか議論することも大歓迎です。そこまで頭良くないのでみんなの意見知りたいなと思います。

少し脱線したが、最後にこの示唆には実生活に活かせるエッセンスはあるのかを探っていく。
第一の示唆、ルール設定の自由度が高いゲームの方が面白いということについて、考えていく。
例えば、理工学部で化学を学んでいたとする。就職活動では、研究内容を活かせる化学メーカーに行くだろうと考える。
よって、重要なことは、
①どれだけ良い研究成果を残せるか
②その結果をどれだけ良く企業にアピールできるか
となる。これでは、やはり苦しい。
まず、1年半という限られた期間で成果を出すことが難しい。研究テーマの難易度やその結果が現れるまでの期間が5年単位のもの等の外的要因に左右されるからだ。また、②についても難しい。なぜなら①とは関係のない、独立した能力だからだ。理系の大学院生のスケジュールでは、教授の意向を加味した上で、①に割くことができても②に割く時間はなかなか取れないだろう。つまり、不安になる
この具体例では、選択肢は少なく、重要な点を伸ばしきることも難しい。
ここで、今回の示唆が活きると考える。自由度を上げるのである。
どういうことかというと、目標設定を変えるのである。
具体でいうと、「化学の勉強をしたからその直線上にある進路に行くべき」という思想から、「化学の勉強をする上で獲得した能力を活かせる進路に行くべき」とゲームチェンジしてみる。そうすると、研究で得られた論理的思考力ややり切るスキル、めげないマインド等活かせる領域は広がる。
そう考えていくと目標も柔軟かつ複数持つことが可能となり、それに応じて取れる戦術も幅広くなる。つまり、選択肢の自由度があがる。
その結果、あまりの選択肢の多さに気づかされ、自分から様々な事象を選択できる状態になり、生きることが面白くなってくるのではないだろうか。
これが第一の示唆についての考察だ。

次に第二の自分が操縦することができる存在、または機能が多い方が面白いということについての考察だ。
例えば、社会人となり働いているが、あまりにも出来ることがなく、上司から怒られる。または、やりたいことは何だったのか分からなくなる。
そんなときに、この示唆を取り入れてみる。

これを達成するためには以下の手続きを踏む必要があると考える。
1つ目に、自分自身を解体して、複数の自分を持つこと
2つ目に、その分解した自分を俯瞰して捉える存在を創造すること
である。

1つ目は、自分自身を解体すること。仕事をしている自分と遊んでいるときの自分。さらには、仕事中で作業をしているときとメールを書いているとき、先輩と話しているときの自分を別モノとして捉えていく。それらは総体としては「私」であるが、個別の機能で考えると別の自分であると切り分けていく行為である。つまり、自分自身を縦に切り分けていく思想だ。
また、自分自身を横に広げる複数性も重要だ。例えば、仕事やサークルだけに軸足がある場合、会社全体やサークル全体に問題がある際、に私の拠り所は0になってしまう。そのリスクを避けるために、別の拠り所を獲得しておいた方が安全だよねということ。
具体な方法論としては、インスタでサブ垢を作るとか、別コミュニティを作るとか趣味を作るとか、本当に何でもいいと思う。どんな媒体であれ、当人が拠り所だと認識できる在り処を複数に構築することが精神衛生上安全だよねということ。
他にも、個人として様々な機能を持ち合わしている方が楽しいよねということ。仕事ができるだけではなく、ピアノやギターが弾けたり、バスケや野球、ないしは役者になれたりしたら、めちゃくちゃ面白いよねということ。カービィやピカチュウになれる方が楽しいという理論展開と同じだ。
以上を第一ステップとする。

次に、俯瞰した存在を創造することだ。これはよく言うメタ認知とほぼ同義だろう。マリカーやスマブラをするときに、心から凹むことはないだろう。
それは、自分自身が操縦しているものの、ある程度距離を取って捉えることができるから
だと僕は思う。これをリアルに当て込んでいくと、仕事をしている自分をスマブラのカービィを扱っている感覚と同じように、実際の私の動作を決定する俯瞰したもう一人の自分を作ること。これができれば、状況を俯瞰して冷静に事実を捉え、確実な行動を意識的に選択できると考える。
仕事のメール内容で注意されたという例に対応させると、怒られた対象は、私総体ではなく、私やメールを書いた私である、ないしは出力されたメールが注意の対象であり私の外部の事象であると捉えることができる。その結果、メールの内容についての注意とメールを書いたときの私の思考の手続きの問題点を冷静に分析し、次に生かすことができる。

以上が、自分が操縦することができる存在、または機能が多い方が面白いということについてだ。

23年間生きてきた中でこれだけ自由に言葉を並べた経験はなかったかもしれない。今後も、何かの区切りで実践していければと思う。
また、この思想はあくまで僕の考え方で、誰かに強制するものではない。その権利を僕は持ち合わせていない。
ただ、面白いと思った点があれば、解釈して実生活に取り入れてみてくれたら嬉しいです。事実自体を変えることはできないが、解釈を変えることはできる、生きる上でまず重要なことは思想や概念だと思ってます。
※そのうえで何か行動をしていかないと事象の解決にはならないため、思想だけでは不十分です。

そんなことはさておき、今後とも仲良くしてくれたらありがたいなと。23歳の僕もよろしくお願いします!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?