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「こんなの望んでない!」という現実も創造している

ネガティブな感情が出てきたとき、本当にツイてるなって思う。いや、ほんとマジで。


わたしの人生の主役って誰なの?って答えは考えるまでもなく、わたしだ。


でも今まではどちらかというと、被害者意識の強い、他者主導になっていた。


もうね、やっとで、ほんとにやっとでやり方がわかりはじめてきたという実感。


望む現実とは異なるとき、ちゃんと自分の思考がこの現実をつくりだしたんだって思えてるだろうか?ここ本当にミソね。


いやいや、わたしこんなの1㎜も望んだことないんで、わたしの思考じゃないですってなってない?


はい、わたし正にソレ〜。


あの人がこうだったから、この人がこういったから、だからわたしはこうせざるを得なかった。したくてしたんじゃない。選びたくて選んだんじゃない。これしかなかったってな感じ。


だからわたしは悪くないし、このできごとを起こしたのはあくまでも他の誰かだからね、って。


この被害者意識って、自分の人生を誰かにあけ渡してコントロールされているってことになるから、自分では変えることもどうすることもできないってことなんだよね。


でも本当は、自分の人生なんだから、自分でコントロールすることができるワケ。ただ、その仕方を忘れてる、あるいはわからないだけなんだってことを、この動画を観て理解できた。


ごく最近、うぎゃーーーっとなるできごとがあって、いや、マジでこれわたしがつくってないよ?なんて思うことがあったけど、待て待て、これすらもわたしがつくっているんだよね。と思うことからはじめた。


動画を観て、思いの丈を書きまくったら、気づいたのよ。


「奪われた!」って想いに。


奪われた!のではなく、「わたしが奪ってきた」ってことなのよ、そもそもが。


はて、わたし、奪ってきただろうか?と思いを巡らせると出てくるわ出てくるわ、奪ってきたであろう過去が。


忘却の彼方に置き去りにしてきた「奪われるぐらいなら奪っちゃえ」って思ってたことを。汗


わたしが覚えてる範囲で奪ってたなって行為をすべて書き出しながら、その人たちに謝りつづけましたよ、本当にごめんなさいって。


そしたら気持ちがラクになった。


そりゃそうだよね。奪うってことに本当は罪悪感を覚えてたのだから。


だから改めて自分のみたくなかった気持ちと、見ないふりをしてきた気持ちと向き合って、心の中だとしても謝れたってことはとてつもなく大きい。




よくありがちなことで例をあげるとすれば、バカにされたような気がしてイヤな気分になったとき相手にいいたい言葉は、


「バカにするな!」ではないだろうか?


であれば、それはわたしが「バカにする」ことがあったから、その現実をつくりだしたのである。


いやいや、わたし、人のことをバカにするなんてしません!と断言したとしても、よ〜く思い出してほしい。


「うわ、あの人ヤバっ」とか、「え、ダサっ」とか、「ありえんでしょ」「あれはないわ〜」なんて、道ゆく人とか知らない人に思ったことはないだろうか?


自分の思考に意識を向けていれば、何度もバカにしたり見下す思考があることに気づくはずだ。


うん、わたし、無意識レベルで思ってたわ。


その思考に気づいたら、
「そう思っちゃったよね。でも今のナシナシ!ごめんなさい」でいいのだ。


さてわたしの、「奪うな!」っていいたかったことから、わたしが「奪ってた」ってことに気づいて手放したことが、これからどのような現実に変わるかわからないが、これだけはいえる。


確実に過去の奪ってきたであろうできごと(解釈)が、変わったってこと。


これからは奪うのではなく、与える人になる!と決めるキッカケになったのはいうまでもない。



奪う人生は終わり!これからは、与える人になるんだ!



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