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自分の幸せを追求しつづけた父からのメッセージ

※父の死について、少しリアルな内容も書いているので、苦手な人は読まないほうがいいです。


今日は父の三回忌。弟と子どもたちと一緒にお墓に行き、掃除をして手を合わせてきた。


手を合わせながら心の中で思う。


お父さんたち(ご先祖さま)は、いるべきところにいるのか?


深い眠りに入ったときの記憶がないように、ぷつっと意識がなくなり、無の状態なのか?


こればっかりは亡くなった人にしかわからない。


ただ、あの世というものがあるのなら、家族や親戚だけでなく、いろんな人たちと仲良く楽しく過ごしていたらいいなと。


魂となりそれでもわたしたちを見守っているのであれば、どんなところかヒントだけでも教えてくれないだろうか?なんて。


亡くなった人のことを思い出すとき、死後の世界はあるのか?と想いを馳せる。


あってほしいなという思いと、無なんだろうなという思いと半分ずつ。


無のほうが怖さはない気がする。


魂になるとなると、意識的なものがある気がして、


あ〜そっか〜。わたし、死んじゃったのか〜。
もっと子どもたちと過ごしたかったな〜。
もっと夫と楽しみたかったな〜。

で、これからどこへ行けばいいんだ?
で、どうすればいいんだ?
で、なにをするんだ?


って思うことが怖い気がする。


仮に死後の世界なんてものがあったとして、そこはとても美しく楽しい世界なのかもしれないが、それは、そうあってほしいという願望であり、もしかすると本当はウヨウヨと霊体だけが彷徨うお化け屋敷的なところかもしれないのだ。


そういう想像や妄想が、死への恐怖を煽ってるだけにすぎないのだが。


臨死体験した人の話をテレビで見たことがある。


三途の川の向こう側に渡ろうとしていると、向こう側に家族や身内の誰かがいて、まだこっちに来ちゃいけないといわれて戻されたとか、


渡っている途中で、生きている家族や大切な人の自分を呼ぶ声が聞こえて戻らなきゃと戻ったとか。


それは意識がなくなる前に死を意識したことによって、あるいは、体が死ぬ極限状態からなにかしらのホルモンが大量に放出され見た夢なのではないかと。


そもそも三途の川って誰かが想像したつくりモノってことでしょ?


それが死と結びついて強烈に記憶として残っていたら、それを死ぬかもしれない直前に見る夢かもしれない。


走馬灯はわかる気がする。


死ぬかもしれない状況に置かれたとき、いままでの思い出が、バーっと走ると思う。


そう思ったところで、結局真実なんてわからない。


ただ思うのは、最後は苦しまず、静かに、穏やかに旅立ちたいということ。


それが誰であっても。


父の死因は、脳出血だった。独居老人の孤独死。


見つかったときは死後二日たっていて、腐敗がはじまり顔が変わっていた。苦しんだかもしれない跡を残して。


少し救いだったのは、行政解剖をした医師が、ほぼ即死状態で苦しまずに亡くなった、といっていたらしいこと(結果を聞いたのは弟だったので)。


父は不本意ながらも、幸せな人生だったと思って旅立ったと思いたい。


いや、一人だったとしても自分の幸せを追求しつづけた父は、幸せだったのだ。


最後にこの言葉がふと浮かんだってことは、父からの唯一のメッセージ。


なんとなくだけど、ね。



実はnoteを開くまで、何を書くとか決めていなかった。


自然に思いつくまま書きたいことを書いてみようと、身を委ねてみたのだ。


開いた瞬間、父の三回忌と書きだしていた。


ただなんとなく、インスピレーションのまま、自然にわいてくる言葉たちをただ淡々と書き連ねた文章。


父は無であるのか魂なのかわからないが、わたしや家族の思い出の中にはいる。


いい意味でも悪い意味でも。


Revenge Day12クリア


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