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いくつになっても愛されたいって思うんだな〜

数字に囚われたくないのに、囚われていることがイヤになる。たとえばアクセス状況。noteのアクセス状況を確認することはめったにない。


じゃあ、なんで数字に囚われていると思ったのか。


音楽クリエーターの長男に、思ったより再生回数が伸びないことを気にしていると悩みを打ち明けられたからだ。


いままでのわたしなら、そんなこと気にする必要ないだとか、たまたまだよとか、次はこーしてみたら?あーしてみたら?なんて、音楽のことなんもわからんド素人の的外れなアドバイスをして、なんとか助られないかと思い悩んだだろう。


だが、ふと気づく。


そうだった。最近記事に書いていたんだった。長男の悩みであって、わたしの悩みではないと分離して考えていたけれど、わたしの人生に登場している長男の悩みって、長男の問題というわけではなく、わたしの問題。

思考のしくみや潜在意識について学んでいるから、その視点を持つことができた。これは潜在意識からわたしへの、ありがた~いメッセージ。


数字のことを考えるとイヤな気分になる。


あ、ネガティブになってる。いままでそのネガティブを放置してきたから、いま現実世界でわたしにそれを教えるべく、長男の問題としてわたしに伝えてくれているだけなんだ。


なにを見せられているのか知るために、イヤな気分をぜんぶ紙に書きだしていく。


わたしってみじめだ、かわいそう、わたしってばダメじゃん、あ~恥ずかしい、怖いな~、わたしには価値なんてない、などなどたくさん出てきた。そりゃ~気分わるいわな。


そもそもなんでわたしは自分のことそんな風に思っちゃっているんだ?さらに考えていく。


あーーーーーっ!!!!


ぜんぶ父に対して思ってたんだ。

父はもう他界しているが、父に対してわたしの中のちっちゃなわたしが、手足をバタつかせ駄々をこねてたんだと。


「お父さん、なんでわたしを見てくれないの?」 

「もっとわたしを見てよ!愛してよ!」

「わたしはお父さんに愛されない、かわいそうな子なんだ」

「愛されないわたしって、みじめだな」

「お父さん、わたしのこと好きじゃないの?」

「お父さんに愛されなくて、さびしーよー、かなしーよー」


数字と父の愛を結びつけてたのかも、と思ったらなんか腑に落ちた気がした。


父に愛されないかわいそうなわたし。と悲劇のヒロインになっていて、それを演じつづけることでしか自分のこころを守れなかったんだなと。


子どものころ愛されなかったことが恨みとなり、父に愛情を示されても、わたしがかたくなに受け取るのを拒んでいたことにも気づく。


それに気づいて、父の愛をそっと受け取ってみることにした。


わたしの中のちっちゃなわたしが、父の愛と書いた小さな赤いハートを胸に入れるイメージが、不思議にもはっきりと見えた。


その瞬間、わたしの中のちっちゃなわたしが笑顔になって、よろこんでいるのがわかったのだ。


見ようとしなかっただけで、受け取ろうとしなかっただけで、わたしはちゃんと愛されていた。


50歳近い娘が父に愛されたくて駄々をこねてたなんて、恥ずかしくて、恐ろしくて、そりゃ見たくもないわな。笑


向き合ったからって何かがすぐに変わるとは思わないけれど、父の愛情を感じることができて、自分の中のヘドロをひとつ浄化できたと思う。


お父さんごめんね、ありがとう。



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