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No.28 魚釣りから考える肉食と殺生 その6浄土真宗の差別の歴史・殺生と肉食

 「うちは魚釣りはできない。殺生だから」との言葉をきっかけに、仏教の戒律や肉食の歴史を考えるシリーズその6、浄土真宗の差別の歴史と肉食として少し整理してみたいと思います。

・親鸞聖人の立場

 平安末期は不殺生戒の影響もあり、当時から実践できない漁師や猟師といった、生き物のいのちを奪うことを生業にしている方々は世間から「悪人」とされ、時には排除され蔑まれていました。そういった方々は仏さまの救いから漏れていた存在でした。
そんな中、親鸞聖人は「これらの人はみな石(いし)・瓦(かわら)・礫(つぶて)のごとくなるわれらなり」とおっしゃり、これらを黄金となす(さとりの光に輝かせる)のが阿弥陀仏の本願です、と示された。当時救われない、差別されてきた人たちこそがわれらであり、阿弥陀仏はそのわれらを救うために立ち上がったのだと受け止められた。このような差別されてきた方々と共に救われるという親鸞聖人の姿勢が、浄土真宗の発端にはありました。

・生類憐みの令の影響

 この聖人の生き方、救いのいただき方もあって、殺生・肉食はタブーにならず、浄土真宗のお寺では肉食がなされてきました。そして時代が下って、江戸の徳川第五代将軍綱吉は仏教の影響なのか有名な「生類憐みの令」を発布します。お犬様のやつです。その際に浄土真宗教団では、自分たちが肉食することの正当性を訴えながらも、一方で生類憐みの令に沿って殺生を控えることを説いていったようです。矛盾感が満載ですが、そうすることで浄土真宗の最下層という立場を向上させる狙いがありました。それは結果として、浄土真宗の強い地域である安芸や北陸で子どもの間引きが行われなかったこと、養蚕業が発達しなかったことにつながってゆきます。しかし、それは同時に殺生して生きる人を苦しめることにも繋がっていったように思います。

・差別を容認し加担してきた歴史

 浄土真宗教団ではその殺生を控えることを説く中で、教団内に抱えている被差別部落に対して差別してゆきます。部落内門徒への金銭的負担を強めたり、差別法名をつけたり。その根底には生業としていのちを奪うこと、動物を解体し加工するという仕事への蔑視と権力への追従がありました。「救ってやる」という発想で阿弥陀仏の救いが説かれ、「共に救われていく」という親鸞聖人の姿勢はまったくなかった。これは現代にも続く問題です。
 
 以上、浄土真宗教団が歩んだ差別の歴史と肉食に関連することを簡単に整理しました。ただし、漁村でどのように布教がなされたのかは勉強不足で追いつきませんでした。ここは宿題として今後学びたいと思います。次回は、肉食・魚食について、日本のお寺の現在の状況について整理したいと思います。

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