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〔122〕國體王室連合と政体国連の対立

〔122〕國體王室連合と政体国連の対立構造
 前項[121]が落合の身辺事項に偏りながら、後半部分を有料領域としたことにいささか心苦しさを覚えましたが、他人のプライヴァシ―にも関することもあり、視聴者を選ぶために有料障害を設けたので、お詫びの意味で〔122〕は全文無料といたします。
 ところで、noteの読者小松和史さんから、note 〔121〕について下記のコメントを頂きました。小松さんはWWⅡ後の世界を國體王室連合と政体国連の対立として捉えられていますが、落合もおおむね賛成ですので、ご紹介します。
 
 白頭狸先生、旺盛な執筆活動をありがとうございます!
 國體の中心は王室連合、とくれば政体の中心は国際連合ですね。
 そうか、王室の無いところに国家を立ち上げて覇道政略を繰り広げる。
 それが世界大戦と大戦後の潮流というか謀略だったのですね。
 私達の受けた戦後教育の中心に何故民主主義(自由社会)と国家(管理社会)とい う矛盾しそうな概念が中心にあるのがやっと透けて見えてきた思いです、
 核の傘下もなるほど巧みな謀略か、と。
「憲法9条が堀川殿が据えた自壊装置」という意味が分からないまま気になるのですが、ここまでくると少し感じられるような気もします。
 すみません、思わず書き込みました。
 
 国連を作ったのはたしかに國體天皇堀川殿辰吉郎ですが、永遠の機関として創ったわけではありません。
 どうみても2対1の実力格差がある米国とソ連を、対等の対立軸とする二極構造の国連は当初から安定を欠きました。そこで両軸に属する諸国をNATOとワルシャワ条約で固め、その境界に「鉄のカーテン」を張り巡らして東西に峻別したのですが、その過程で分裂国家が生じました。
 東西ドイツ、南北朝鮮、南北ベトナム、国民党台湾と本土共産党に分かれた支那などがそれですが、WWⅡ以後に起る戦争がすべて、実力の劣るソ連に属する「北・東側」が、実力で勝る米国に属する「南・西側」を吸収する形となるのは、国連の二極構造を安定化させるために地政学上の勢力均衡が必要だからです。
 したがって、いまだ統一を果たしていない南北朝鮮も、近い内に北鮮が韓国を吸収する形で統合される筋合です。となると「西側に属する台湾と東側の中国の統合は良いのですな」と、確認される向きがあろうかと思います。
 だがこれは、そもそも支那固有の地域でない台湾共和国をまるごと呑み込むつもりでいる本土共産党政府の存念が間違っているのです。

 WWⅡ終戦に際して生じた国共内戦のドサクサ紛れに台湾島に侵入した国民党にぶら下がってきた「外省人」を置いたままの台湾島を、今まで独立させなかった国連およびアメリカの誤りですから、国連における国民党政府の地位を継承した中国共産党政府が、台湾島に僑居する「外省人」を中華本土(プロパー・チャイナ)に引き取り台湾を解放するのが正当な解決法です。
 ちなみにワルシャワ条約の解消の時も、国連は台湾と同様の誤りを犯したので、目下ウクライナで多大の流血と損害が発生しています。
 「ソ連が一方的に侵入したウクライナで云々」と連日連夜、無知な女子アナに”したり顔”でしゃべらせるのが本邦のテレビ局ですが、国際問題の本格的解決は、歴史に背いては、あり得ないのです。
 ウクライナ問題の根源は、ワルシャワ条約失効のドサクサ紛れに、「精神がロシア化した露語話者ウクライナ人」の集住地を、新生ウクライナ共和国領内に引き入れて「東ウクライナ」としたことで実質上の分裂国家となったのが「新生ウクライナ」です。ソ連の圧力で落ち着いていた東西ウクライナの対立が、ソ連崩壊で露呈したのです。
 つまり「ソ連が一方的に侵入した」のではなく、ソ連崩壊の時に本来独立さすべきであった「東ウクライナとクリミア半島」を西ウクライナが取り込んだことが、ロシア侵入の真因です。この修正を図るプーチンの活動は理に適っていますから、アメリカに使嗾されたNATOが、いかにゼレンスキーを武器支援しようとも、最後には必ずプーチンが勝ちます。

 今後の地球温暖化は北国勢に味方しますから、ロシアは必ず浮上してきます。そのロシアに率先して喧嘩を売った岸田首相は、アホ顔の下にそれなりの存念を秘めておるはずです。その奥底まで探り得ない落合は、これ以上論じませんが、一言すれば、昨年七月八日に奈良西大寺で起こった某重大事件と深く関わていることを固く信じております。
 堀川辰吉郎が憲法第九条を「やがて自爆せざるを得まい」と観ていた、と聞いた落合は、その意味を「米ソ対立が激化した時に、アメリカは日本の潜在軍事力を利用するからであろう」と考えましたが、結局は日本が内外の改憲圧力をかわしている間にソ連が崩壊してしまい、第九条はアメリカの一極支配体制を支える手段になってしまいました。
 ところが、その前に訪れたのが戦後体制の崩壊です。原因はWWⅡの延長戦たるベトナム戦争において、北ベトナム軍に潜在する日本の軍事力に米軍が敗れたからですが、詳細はここでは省きます。

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