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JAM

 スピリチュアル界隈では、現在、光と闇が戦いの真っ最中であるらしい。

 なるほど。

 では、「光」の定義は?
 それから「光」しかない世界は存在するの?
 それが私の最近の疑問。

          ✵✵✵

 まず、じゃあ「光」の定義からいこうかな。
 多分、ここでいう「光」は「善」なんだろう。

 全てが「善」な世界。
 光に溢れていて、悲しいことは何もなくて、誰も争ったりなんかしない。全ての生き物は共存していて、私もあなたも目と目だけで分かり合う。
 ストレス?そんなものはない。
 差別もない。
 生きている者は全てが全ての知恵を持っていて、何もかもが満たされている。

 ああ、なんて退屈な世界だ。

《火の付いたタバコをくわえた骸骨》
1885〜1886 フィンセント・ファン・ゴッホ

 悲しいことがないのなら、きっと別離もないのだろう。離反もない。だって争わないんだから。
 みんなポジティブに肯定し合って、にこにこと……

 そうか、だから成長も変化もないのか。

          ✵✵✵

 差別もない、全てが揃った完全な世界なら、どうして「闇」は弾かれるのだろう。
 界隈のひとたちが話していることを聞くと、「闇」は「光」によって駆逐されなければならないらしい。
 「光」の神はそういう「完全」な世界を作りたくて、彼らはその神のためには命だって投げ出す。

 けれど「闇」が駆逐され、消えなければならないなら、それは「完全」な世界じゃないよな。
 だって、揃ってないもの。
 論理として破綻してる。

 ── それは本当に「光」の神かい?

「光」は「闇」があるから輝く。
「闇」も「光」があるから、存在できるのだと。

          ✵✵✵

 さっきまでNHKで放送された、『レギュラー番組への道「危険なささやき」( 2023年9月23日放送)』を観ていました。

 統一教会さんの勧誘における心理テクニックを解説した番組で、とても面白かった。
 彼らはこれを放送して欲しくなかったそうですが……まあ気持ちは分からなくもないよ。

 人間は善悪二元論が大好きだ。
 これと同じことはそこここで行われている。

 陰謀論界隈でもそうだし、ジェンダー界隈でもそう。国家間の関係だってそう。
 日本の近代史だってそうだ。
 善悪二元論に囚われて争っているうちに、大切な何かはいつも失われる。

 私のかつて働いていた職場もそうだったな。
 ターゲットの他社さんの製品の揚げ足をとり、そこを仮想敵にしてモチベーションを上げさせて。
 人間はそういうマイナスなエンジンじゃ走れないよ。
 だからみんな心を病んで辞めていくのに。  

 

 ねえ、もう一度、深呼吸して。
 フラットな気持ちで、前を見てほしい。
 そこにいるそれは、本当にあなたの敵なのか。

 本当の敵は。
 そう、いつも目の前にいるとは限らない。

 この争いで、この馬鹿げた乱痴気騒ぎで。

 ── 特をするのは一体、誰だ?

          ✵✵✵

 私たちは争ってはならない。
 この、世界が加速度的に変質している今こそ。

 戦うのは「闇」でも「悪魔」でも「鬼」でもないよ。
 この世界に真っ赤なジャムを塗って、食べようとする奴を。

 ── 赦してはならない。


 

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