JAM
スピリチュアル界隈では、現在、光と闇が戦いの真っ最中であるらしい。
なるほど。
では、「光」の定義は?
それから「光」しかない世界は存在するの?
それが私の最近の疑問。
✵✵✵
まず、じゃあ「光」の定義からいこうかな。
多分、ここでいう「光」は「善」なんだろう。
全てが「善」な世界。
光に溢れていて、悲しいことは何もなくて、誰も争ったりなんかしない。全ての生き物は共存していて、私もあなたも目と目だけで分かり合う。
ストレス?そんなものはない。
差別もない。
生きている者は全てが全ての知恵を持っていて、何もかもが満たされている。
ああ、なんて退屈な世界だ。
悲しいことがないのなら、きっと別離もないのだろう。離反もない。だって争わないんだから。
みんなポジティブに肯定し合って、にこにこと……
そうか、だから成長も変化もないのか。
✵✵✵
差別もない、全てが揃った完全な世界なら、どうして「闇」は弾かれるのだろう。
界隈のひとたちが話していることを聞くと、「闇」は「光」によって駆逐されなければならないらしい。
「光」の神はそういう「完全」な世界を作りたくて、彼らはその神のためには命だって投げ出す。
けれど「闇」が駆逐され、消えなければならないなら、それは「完全」な世界じゃないよな。
だって、揃ってないもの。
論理として破綻してる。
── それは本当に「光」の神かい?
「光」は「闇」があるから輝く。
「闇」も「光」があるから、存在できるのだと。
✵✵✵
さっきまでNHKで放送された、『レギュラー番組への道「危険なささやき」( 2023年9月23日放送)』を観ていました。
統一教会さんの勧誘における心理テクニックを解説した番組で、とても面白かった。
彼らはこれを放送して欲しくなかったそうですが……まあ気持ちは分からなくもないよ。
人間は善悪二元論が大好きだ。
これと同じことはそこここで行われている。
陰謀論界隈でもそうだし、ジェンダー界隈でもそう。国家間の関係だってそう。
日本の近代史だってそうだ。
善悪二元論に囚われて争っているうちに、大切な何かはいつも失われる。
私のかつて働いていた職場もそうだったな。
ターゲットの他社さんの製品の揚げ足をとり、そこを仮想敵にしてモチベーションを上げさせて。
人間はそういうマイナスなエンジンじゃ走れないよ。
だからみんな心を病んで辞めていくのに。
ねえ、もう一度、深呼吸して。
フラットな気持ちで、前を見てほしい。
そこにいるそれは、本当にあなたの敵なのか。
本当の敵は。
そう、いつも目の前にいるとは限らない。
この争いで、この馬鹿げた乱痴気騒ぎで。
── 特をするのは一体、誰だ?
✵✵✵
私たちは争ってはならない。
この、世界が加速度的に変質している今こそ。
戦うのは「闇」でも「悪魔」でも「鬼」でもないよ。
この世界に真っ赤なジャムを塗って、食べようとする奴を。
── 赦してはならない。
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