努力は必ず報われる??

 「努力は必ず、報われる」

 (一体、何を根拠に言ってるんだろう。)

と、心がモヤモヤしていたのは
自分が努力してきたことが報われなかった「私」に対して、友達が言った熱い言葉だ。

私には、この言葉は冷たかった。
そして、私が抱く勝負心も冷めていた。
だから、中学校最後の試合で負けたとき、
泣けなかった。

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中学2年生・春

 私は剣道部に所属して一年が経ち、後輩たちが入ってくる季節になった。

 経験者の1年生が2人。5人制で団体戦を行う剣道は、補欠が2人。女子の先輩がいなかったため、中学2年の5人が1年生の頃から試合に出ていた。だから、地区選手権大会は経験者の1年生は補欠だと思っていた。

しかし、そう思っていた歯車は狂ってしまった。

ある日、私は部活中に骨折した。

人生初の骨折のうえに、部活は1か月できない。周りと差が開いてしまう。そんな焦りから、痛い足を誤魔化しながら素振りをした。

 地区選手権大会の時も骨折は
治っていなかったため、
代わりに1年生の子が選手になった。

強かった。
とても活躍していた。
顧問は喜んでいた。

あ、、、。もう、選手になれないかも。
って思った瞬間だった。

その後、足が治っても経験者の子は選手で私は補欠だった。骨折していなくても私は補欠だった。骨折はどうやら関係ないみたいだ。

関係あるのは、実力だけ。

そう思い知った中2の私は、学校外のスポーツ少年団の練習に行った。

努力すれば、認めてもらえる。報われる。

そう思い描きながら、稽古に励んだ。

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中学3年・夏

 いよいよ引退が視野に入ってくる頃。
スポーツ少年団での稽古が功を成して、地区選手権大会で団体の選手に選ばれた。

嬉しかった。

 その日の稽古から私に向ける顧問の目の色が変わった。
 顧問「もっとこうしなさい!」
 私「はい!」
 顧問「違う!こう!」
 私「はい!」
 顧問「返事だけやな!!!」
 私「はい!」
と、まァこんな感じで顧問が私にアドバイスの刃を向けた。(向けてくれた)

 地区大会・当日

 団体戦で副将をした。
2回打ったコテ面で2本とも面ありで2本勝ちだった。
 団体での結果は、3-2で勝った。

挨拶して、次の試合のために面を持った瞬間、


顧問「ノムラさん、次補欠ね」


耳を疑った。




勝ったのに補欠なのか。勝ったのに。

放心状態だったから、この後のことは
覚えていない。この前久々に見た大会の集合写真では、優勝トロフィーをなぜか私が持っていて、笑っていた。いや、作り笑いだった。

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 1か月後に迫る県大会の選手発表が、地区大会後の2週間後にあった。

顧問「それでは選手を発表します。」
顧問「先鋒、〇〇」
先鋒「はい!」
顧問「次鋒、〇〇」
次鋒「はい。」
顧問「中堅、〇〇」
中堅「はい!」

次、私だ。この前の試合勝てたから。決勝戦の時は補欠になったけど、最後の試合だから出たいな。

顧問「副将、〇〇」
副将「はい。」
顧問「大将、、、」


大将を読み上げた時の顧問の声は聞こえなかった。頭が真っ白だったから。
顧問「補欠、ノムラ」
私「はい!!」
返事はした。返事だけはした。

 結局、最後の団体戦は補欠だ。その現実を突きつけられた瞬間、今までの努力って何だ?と思った。補欠という現実から目を背けたくなった。そして、この日から約1か月間、離人感に襲われた。

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 県大会・当日

 団体戦は一回戦負け。
引退が確定した瞬間、同級生はみんな泣いていた。

 私は、泣けなかった。
 涙の流し方さえも忘れた。
 完全に感情が枯渇していた。

 無表情の私に、顧問が呼び出した。
顧問「ノムラさん、よく頑張ったねってスポ少の先生が言ってましたよ」みたいなことを言われた。

 現実感がなかったため、この時に何を言われたのか、記憶も曖昧だが、私は泣いていた。

 スポ少で面倒を見てくれた先生が褒めてくれたことを人伝えだったが聞けたことに泣いていた。
自分の努力を見てくれる人がいた。そのことが嬉しくて泣いていた。


 そもそも剣道を頑張っていたは、努力じゃなくてただ「頑張り」を認めてもらうだけのものだったのかもしれない。でも、私は「努力した」と言いたい。「剣道を本当に上達させたかった」と言いたい。

だから、努力は報われるものだなんて思わない。
努力の指標は、自分自身が決めるもので、それが報われたかどうかも結局は、自己評価だと思う。

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 そして、大学2年生になったノムラリアンが最近思うこととしては、「自身が本当に努力している場合、それを努力だとは思わないのではないだろうか。」ということが挙げられる。つまり、「努力」とは、努力していると思わないほど夢中になっている状態のことではないだろうか。
 また、時として人の努力している姿は他の人の背中を押すのではないだろうか。「自分もあの人みたいに頑張ろうかな、よっこいしょっと。」みたいな。

 自分が努力していると思い込めば「努力」に苦しめられるが、他の人が努力していることに気づけば「努力」に励まされる。努力って本当に、なんて厄介で素敵なものなんだ。

                  終わり.

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