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人生のロングバケーション

かなり前にロングバケーション、というドラマがあった

とても好きなドラマだった

いまだにあの言葉の響きが人生の豊かさを想起させてくれる


主人公である南は仕事も男も失って、何もしてないこの時期のことを『ロ〜ングバケィショォ〜ン』って言いながらキラキラと、そして堂々としてたところに一瞬で気持ちが吸い寄せられていった


あのドラマの中では、南が結婚式当日に婿に逃げられたシーンから始まって、モデルとしてもお払い箱になる、っていう設定なのだけれど、一度に訪れた不幸(のちにチャンスとなる)をまず受け入れられないというステージでは、モガきにもがいて、瀬名という同居人や、モデルの後輩であるももちゃんから優しく支えられながら、過去頑張ってきた自分に頑張ってきたなーとやさしくハグして、本来の自分と向き合っていく南の姿と、とびきりの笑顔が印象に強く焼き付いている

泣いたり叫んだりしながら、惨めな自分を、それでいいんだよ、と包み込んでいく姿が、私の心の中にある塊のようなものにそっと触れて溶かしてくれるかのようだった

私のストーリーと重ね合わせてみる


2018年2月

ある朝目覚めてみると、天井がグルグルとまわっていた(いや、いま思えば、自分の頭がふわりふわりと回旋していたのかもしれないのだけれど) 
突然まったく起き上がれず仕事に行くことができなくなってしまった  しばらく体調を整えるために会社を休むことにした、というか、もうまったく働く気が湧き起こってこなくなってしまった
あんなに仕事第一でがんばってきたのに

原因はわかりきっていた
ストレスだった

そこからわたしの人生のロングバケーションは始まった

5年以上の月日が流れたいま、やっとこの状況を素直に受け止め、無職である自分にたいする負い目はほとんどなくなったけれど、
1週間……1ヶ月……3ヶ月、
半年……1年、2年……

色んな時間を過ごしてきた  
どれだけかけてもこんな自分を受け止めることが、働いていない自分を許してあげることができなかった
いままで私の土台となって根底から支えてくれていた信念のようなものが、ガラガラと、時にはものすごい音を立てて崩壊してくこともあった
そのたびにわたしは、いままでの自分ってなんだったんだろう……涙……
と悔しくて、寂しくて、自分の存在意義すらどこにもみいだずやるせない思いがいつまでもいつまでも追いかけてくる


けれども、ゆるやかにシフトを重ねながら、過去の自分を癒しながらやっとここまで来られた


2019年の世界規模のパンデミックの到来により、社会が、人々の生活が、大きく変わっていく様子を、少し離れた距離から静かに見つめていられたのも、頑固に握りしめていた“過去の自分”と決別できていたからなのかもしれない


こんなにもどっぷりと”私”という存在の中に潜っていって、底の方にひっそりとうずくまってなかなか顔を出せずにいる自分がいることを知ったのもまだ最近のこと

働いていない人を責めていた過去の自分が、いま何もしていない自分にこれでもかと突きつけてくる  
そんなんでいいの?と

あの日からゆったりとそれまでの軌道を外れ、まったく別の軌跡を描きはじめた人生というスペースシャトルは、今後どんな空間へと私を連れていってくれるのだろう


ロングバケーション


人生の中でこんなにも様々なことを豊かに、そして丁寧に感じられる時間がとても愛おしい


もうしばらくこの時間を堪能してみようと思う


生きている時間の中で、立ち止まって後ろを見たり、見えない先を眺めてみたり、友と語らい励まし合いながらまた歩く気力が湧いてくる日々にありがとう