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座り込んでいる女・第三幕

座り込んでいる女を見ても、声を掛けてはいけない。

奴らは苦しんでいるフリをして、獲物が掛かるのを待っている。自分が襲える獲物が掛かるのを……。


私が高一の時、同じクラスになったあの子。あの子は、ちょっとでも嫌なことがあったらすぐに「イジめられた」とか騒いでいた。

他人の言うことに耳を貸さず、自分の殻に閉じ籠って……。

そのうち授業をサボって、廊下やトイレに座り込むようになった。


そんなあの子は、やがてとんでもない虐めに遭った。
トイレで座り込んでいたら、性格の悪い子たちによって、トイレに閉じ込められてしまった……。

それからあの子は、学校に来なくなった。


ある日、他のクラスの子とあの子の話をした。
「あの子、来なくなったの?」
別のクラスの子は何処か楽しそうだった。
私は少し溜息をついて、話に合わせた。
「まあ、あんだけやられたら、仕方ないよね。可哀想っちゃあ、可哀想……」
私がそう言ったら、別のクラスの子はそれを否定した。
「でも、自業自得じゃん。ずっとあんなトコに座り込んで、キモ過ぎたし。しかも、先生に言われたら逆ギレするとか。あの子、やられて当然だよ」
そう言われても、仕方ないよな。と、私は思った。

イジめでもないことを「イジめだ」とか言い続けたから、本当に虐められたのかな?


二学期になって時間が経ち、中間テストも近づいてきた。
あの子は一向に学校に来る気配を見せない。
あの子が居ない教室、あの子が座り込んでない廊下、踊り場、トイレにも慣れて来た。


なんだけど、この頃から錯覚というか幻覚をよく見るようになった。
「うわっ……!? バケツだったか……」
壁際の消火器やゴミ箱、トイレに置いてあるバケツ。
壁際に置いてある小さな物を、座り込んでいるあの子と見間違えることが多くなった。
はっきり言って、気味が悪かった。


だけど、そんなことより……ある日。大事件が起きた。
「皆さんに、辛い報告です。担任の先生が亡くなりました」
ある朝、朝礼に別の先生が現れ、担任の先生は殺されたと話した。
あの時、衝撃で教室がパニック状態になったのは、今でも忘れられない。


学校の説明やメディアの報道によると、担任の先生はその日、不登校になったあの子の様子を窺う為、あの子の自宅に向かっていたらしい。
その途中で道に座り込んでいる人を見つけて声を掛けたら、その人は顔を上げるや担任の先生の胸を、何処かに忍ばせていたナイフで突き刺したようだ。
その様子は、近くの商店街が設置していた防犯カメラで撮られていて、テレビニュースでも報道された。

担任の先生を刺した人の顔はよく見えなかったけど、髪が長くてスカートを穿いていたから、女だと判った。
いや、それ以上のことが判った。
(あの子だ! どうして担任の先生を!?)
そう、あの子だ。何故か私にはハッキリと判った。

それともう一つ、担任の先生を刺した理由も、テレビが放送する映像を三回目に見た時には解った。
「どうして性格の悪い子たちに謝らせたの!? あんなことしたら、私がまた虐められるでしょう!? そんなに私を陥れたいの!?」
解像度の悪いモノクロの映像で音声も無いのに、何故かそんな声が聞こえた気がした。
(恨む相手違うでしょ……。あんた、それは無いって……)
あの子は、恨む相手を間違えていた。

担任の先生はあの子のことを思って、真剣に向き合っていた。
それなのに、どうしてそんな人を殺したの?
理解できなかった。

暫く、テレビニュースは面白がってその話題の報道を続けていた。
そして四回目にその映像を見た時、私はあることに気付いた。
担任の先生があの子に話し掛ける前に、何人もの人があの子の前を通り過ぎていた。
もしかしたら本当に体調不良かもしれない、座り込んでる女の子を無視して。

善意で近づいた人が殺されて、見て見ぬフリをした人が助かる。
こんな不条理があっていいの?
私はそう思うと共に、重大なことにも気付いた。
(そりゃそっか。見て見ぬフリしたのは私も一緒。だけど、私は殺されてない。見て見ぬフリした方が得なのか……)
普通に考えたら、あの子が恨む相手は、あの子をトイレに閉じ込めた性格の悪い子たち。
そして、それを見て見ぬフリして黙っていた私だ。
だけど、あの子が襲ったのは、担任の先生。
あの子は、恨むべき相手を選んで襲った訳じゃない。
ただ、襲える相手を襲っただけだ。
おかしな話だけど、本当にそうでしかなかった。

(担任の先生は立派だったと思うよ。だけど、善意や誠意を向ける相手を間違えたね。あれは関わったらいけない人種だった)
私は心底そう思った。
あの子がまともだったら、担任の先生の善意や誠意は伝わった。
でも、あの子はまともじゃない。座り込んでいる女だった。
だから担任の先生は殺された。

善意や誠意を向ける相手が違ったら、もっと充実した教員人生を謳歌できただろうに、酷い話だ。
担任の先生は真面目で優しかったから、あの子に振り回されて、挙句の果てには殺された。
そして、私みたいに見て見ぬフリをするようなクズが生き残った。

道端に座り込んでいる女が、通行人に襲い掛かる事件は暫く続き、死傷者が何人も出た。犯人が逮捕されたのは、担任の先生が殺されてから約一か月後だった。
犯人は十六歳の女の子だと、テレビニュースは報じていた。
その後、警察の人やマスコミの人が頻繁に学校を訪れるようになり、やっぱり犯人はあの子だったんだと私は確信した。
と言うか、みんなそう思っていただろう。

その後、あの子がどうなったのかは知らない。
精神鑑定の結果、責任能力が無いと認定されたとか、
精神病院に入院したとか、
あの子の両親は謝罪行脚と慰謝料地獄で死にそうだとか、
いろんな噂を聞いた。
なんだけど、あんまり興味は無かった。

(あの時、あの子が閉じ込められたのを黙ってて、正解だった。じゃないと、私があの子に殺されてたかもしれない。座り込んでいる女を心配したら駄目だ)
私は、そう自分に言い聞かせた。

道に座り込んでいる女に刺されたのは、いずれも「大丈夫ですか?」と心配して話し掛けた人だ。
見て見ぬフリして通り過ぎてようとしていた人たちが、そう証言していた。
酷いけど、これが事実だ。
善意や誠意は、接する相手を間違えたら報われないどころか痛い目を見る。
だから座り込んでいる女は、善意や誠意で自分に接してくる相手を選び、その相手に襲い掛かる。

だから、私は座り込んでいる女には近づかない。
どんなに泣き叫ばれても構わない。
ハッキリ言ってドクズだと思うけど、自衛の為なら仕方ない。
今までも、そしてこれからも私はドクズとして生きていく。
それが、あの子や担任の先生が教えてくれたことだ。

何だけど、二十年経った今も見間違える。壁際にある小さな物が、座り込んでいる女に見える。
まだ、あの子は私の近くにいるの? 取り敢えず、気味が悪い。

そして今日も、あの子を見たという訳だ…。

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