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【第六章】 何とか繋ぎとめたノースウェストへの旅

第37話 シアトル・タコマ空港の恐怖

まだまだ旅行5日目は続きますが、いよいよこの旅も後半戦に入りました。

ロサンゼルスからシアトルへの航空機に乗り込み、これが2度目のアメリカ国内線という事になるのだが、もう十分飛行機には乗りなれてきていて、客室常務員さんにジンジャーエールも自然に頼めるようになった。

「何、子供みたいな事言ってるんだよ」と思ったそこのあなた!!海外旅行初心者の身分では、こういった些細な事がいちいち一大事なのです!!やりもしないのに出来ると思っているプライドの高いあなたは、きっと意識しすぎて自然に出来ずに、勝手に恥かいていますので注意してください!!以上、僕の経験からいえる事を述べてみました。

サンフランシスコの夜景に続き、航空機から見下ろすシアトルの夜景もまたきれいだった。サンフランシスコの夜景に続き、街中の明かりがシアトルという土地の輪郭がくっきり表現していて、まるでオームの怒りが大地を満たしている時のようだった。

シアトル・タコマ空港に着くとすぐにハジメさんのお父さんのヒデオさんに電話した。すると、バス停までの道のりも考慮し、この時の時間から十分間に合う時間として19時43分の#194のメトロバスに乗るように指示されたのだが、この空港でも右も左も分からない状況で、大きく分けて2つの関門が僕の前に立ちはだかった。

まず僕の前に立ちはだかった第一関門は、バッゲージクレームのある出口までの行き方だった。案内板を頼りに出口と思われる方向に歩いていったのだが、行き着いた場所は地下鉄のような電車の乗り場だった。

さすがにここは違うだろうと、うろうろうろうろと、また元の場所に戻ってみて案内版を確認したり、また進んでみたり、やっぱりやめてみたり、ちょっと立ち止まって途方に暮れてみたり、いろいろしてみたが、結局行き着くところはやっぱり地下鉄の乗り場だった。

僕の浅い知識では空港内での地下鉄というパターンは全く想定されておらず、ただただ立ち尽くすしかなかった。時間は刻々過ぎてバスへの乗車時刻がみるみるうちに近づいてきてしまったので、どうにでもなれという思いでその地下鉄に乗車したのだが、車内のマップを見て初めて、空港内でこの地下鉄が巡回しているという事が分かった。なるほど、固定観念は、ただ僕を通せんぼして前に進まなくさせるものなのだという事を知った。

次に立ちはだかった第二関門は、バス停の場所だった。バッゲージクレームと出口のあるメインターミナルで地下鉄を降り、また案内版を頼りにバス乗り場と思われる方向へ向かったのだが、そうして行き着いた先は、バスは確かに通っているが、メトロバスと思われるバスが走っている雰囲気のないバスターミナルだった。もう時間になるので、万事休すという状況で、ここでも下手に動けずに僕に残された選択肢は「待つ」のみだった。

結局、時間になっても僕の乗るはずだったメトロバスは現れなかった。ここのバス停は、明らかに特定の人を対象としたチャーターバス専用の乗り場だったので、冷静になって考えてみればすぐにここは違うという事に気付けたかもしれない。だが、異国での時間的制約というのはかなり強力なもので、なかなか僕を冷静にさせてくれないものなのだと思った。はぁあ、またやっちゃった・・・

仕方がないので、再び公衆電話からヒデオさんの携帯に電話をかけ、簡単に状況を説明して次の指示をもらった。今度は余裕を持ってバスの乗り場を探す事が出来たのだが、メトロバスの乗り場は空港の一番端っこで、案内板も分かりにくかった関係でさらに探すのに手間取ってしまった。

第38話 ヒトリデデキタ~!byジーコ監督

シアトル・タコマ空港の恐怖を、身を持って体験した後、#194のメトロバスに乗り、ヒデオさんに指定された4thアベニューとサウス・ジャクソン・ストリートの交差点で降りられるように、片言の英語に精一杯の気持ちを乗せて、その場所になったら呼んでもらえるようにバスの運転手に頼んだ。日本のバスに乗る時でも、初めての土地の場合はちゃんと目的地で降りられるかは不安なところだろう。アメリカではバス停のアナウンスがあるのは稀だった気がするので、こうでもしておかないと変なとこで降りちゃった時に、それをリカバリするのが極めて困難なのだ。

何とか目的地手前でバスの運転手が合図をしてくれたので、無事にバスを降りる事が出来た。

待つ事数分、ヒデオさんが声をかけてきてくれた。ヒデオさんは、「一人で出来たじゃん!いやぁ、大したもんだよ!」としきりに言ってくれたのだが、逆に、「出来ないとでも思ってたのか!!」とでも突っ込みたくなってしまった。「出来なかった」という事は、今頃どこかに置き去りになっているという事を意味するのだ。考えるだけで恐ろしくなってくる・・・だが、この時の僕には自信をもって「ヒトリデデキタ~!」と、いつかのジーコ監督風に言う事が出来たのが誇らしかった。

早速、ヒデオさんに中華料理のお店に連れてってもらい、ラーメンと餃子をここでも奢ってもらってしまった。もう旅行5日目だというのに、僕がこれまでに自ら遣った飯代は概算でまだ$10にも満たないかもしれない。何て恐るべき事なのだ!ヒデオさん曰く、こういったシチュエーションでは、大抵一回くらいは飯を奢ってもらえるそうだ。

飯を食べながら、ヒデオさんからバンクーバーまでのアムトラックチケットを受け取り、キング駅までの行き方の説明も受け、かなり重荷になり始めていたリエさんへのお届け物の雑誌2冊も渡してかなり身軽になった。リエさんとは、まだ会った事がないのに、さっそく僕の事を栗田マンと呼んでいるというハジメさんのお姉さんで、ヒデオさんの娘さんにあたる人だ。

中華料理屋を出ると、ヒデオさんの車でホテルへ向かってもらえたのだが、ホテルがちょっと分かり難いところにあったので見つけるのに時間がかかった。ホテルに着くと、ヒデオさんが流暢な英語でチェックインの手続きをしてくれ、朝食に纏わる特典やアムトラックのキング駅までのバスの行き方まで面倒を見てくれた。

第39話 TVの生中継現場に遭遇!!

ヒデオさんにお礼を言って分かれた後、部屋に荷物を置いて身軽になったところで軽く散歩に出かける事にした。

思い返せば、この旅ではホテル内で何かを楽しむって事は全く考えてなくて、時間と気力があれば外へ繰り出していた気がする。ホテルでは、シャワーが浴びられて日記が書けるスペースと寝られるスペースがあれば十分だなと思った。

シアトルは治安が良いという専らの噂だが、外は人通りが全然なくて閑散としていたので、なかなかスリルを味わえた。

しにホテルの近くにあるスペースニードルの辺りを歩いてみた。スペースニードルは、UFOが上に乗ったような印象的な白いタワーで、シアトルのシンボル的なものだそうだ。展望台に上るのは無料という事を後で知って、この時勇気を出して店員さんに聞いてみなかったことを後悔した。

スペースニードルの周辺を散策していると、どこからか爆音が鳴り響いてきて、この破滅的な爆音の真相を確かめに、その音のする方向に向かってみた。すると、フィッシャー・プラザという窓に大々的にイチローの姿が描かれた建物に辿り着き、その建物の前の広場で子供のブラスバンド隊がリハーサルをしていた。時計を見ると21時過ぎで、こんな時間にリハーサルしているくらいだからよほどの大事なのだろうなとは思ったが、案の定、テレビの生中継を準備するクルーもいて、これから生中継が行われるようだった。

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やがて、若い女性とおじさんのリポーターがエキサイティングにカメラに向かって状況のリポートを始め、その模様がそのまま近くのモニターに映し出された。日本でもこんな場面に遭遇した事のなかった僕は、興奮を押さえきれずに現地の人たちに混じって写真を取りまくった。野次馬達の中では常に先頭の方にいたので、僕もどこかの場面でテレビに映っていたかもしれない。

子供達によるブラスバンドのパフォーマンスが終わると、今度はバイクのパフォーマンスが始まった。パフォーマンス内容は、昔ファミコンではやったエキサイトバイクのような型のバイクの小型版で助走してジャンプ台を経て障害物を越えるというものだった。僕はベストポジションに陣取り、やがて迫り来るバイクを僕の携帯のムービー機能で追った。バイクはジャンプ台にさしかかり飛び立ち、見事に障害物を越えて着地した。確かに、テレビで見るより実際にこの目で見たほうが、確実に感動があったという事を確信した。同時に、バイクが助走し始めて皆がライダーに注目している間に、皆に気付かれないように僕が追加の障害物になって、バイクに轢かれてお亡くなりになられたら、どのくらい大きなニュースになるのか想像してみた。当然、答えは出なかった。

最初、ブラスバンドとバイクという組み合わせがどうしても結びつかなかったのだが、その時は、これこそが、シアトルが作り上げるドラマなのだと無理矢理自分を納得させた。だが、本当の意味では、今でも僕の中でその間の溝は完全に埋まってはいない。

一連の撮影が終わり、撤収が始まったので、ホテルに戻る事にした。ホテルに戻ると既に11時過ぎで、明日朝起きられるか自信がなかったのだが、とにかく目覚ましをセットして眠りに着き、これまた長い旅行5日目は終了した。

第40話 旅行6日目 カナダのバンクーバーへ、レッツ・ゴー!

11月8日、火曜日、旅行6日目が始まった。

アメリカ時間の早起きに体が適応し始めたのか、早朝5時30分に勝手に目が覚めてしまい、起きて早速シャワーを浴びた。

このホテルは、ベッドがトリプルサイズで、フェイス用の石鹸とかも置いてあり、しかも朝食がセルフでパンを貰いたい放題となっており、これまで宿泊してきたホテルより条件が良かったにも関わらず、宿泊費は一泊$59と一番安かった。貧乏性の僕はセルフである事をいい事に、パンをごっそり頂いた事は言うまでもないだろう。

さて、この日の予定は次の通りだ。
 1.ホテルからバスに乗りキング駅へ
 2.キング駅からアムトラックにのりバンクーバーへ
 3.午後にブリティッシュ・コロンビア大学を訪問
 4.バンクーバーで予約してあるホテルに宿泊

まず、フロントで$5分を$1×4と¢25×4に両替してもらい、近くのバス停で#358のバスを待った。暫くして目的のバスが来たので乗り込み、目的地のキング駅手前のバス停で降りた。ロサンゼルスのユニオン駅も立派な造りだったが、時計台の印象的なキング駅も負けておらず、威風堂々とシアトルのダウンタウンに聳え立っていた訳だが、裏口から入ってしまったからなのか、そんな立派な造りに似つかわしくないしょぼい入り口を通って建物内に入ると、アムトラックだけの駅の割には広すぎると思ってしまう程の空間があった。

窓口にて、昨日ヒデオさんから受け取ったアムトラックのチケットを渡して乗車手続きをし、出発までの間は駅の構内のソファで座って待っている事にした。

僕と一緒にアムトラックの出発を待つ人は、僕も含めて日本人が半分くらいを占めていて、中には僕のように一人旅をしていると思われる男性もいた。今となっては、彼に話しかけて、お互いに積もる旅の話を共有しておくべきだったと思う。もしかしたら、これ以上誰の手も借りなくても、一人でこの旅をやり遂げられるという傲慢な気持ちが、この時の僕にはあったのかもしれない。

やがて出発時刻を迎え、乗客十数名と共に僕はアムトラックへ乗り込んだ。

第41話 アムトラックの車窓から -北国特有の大自然が織り成す荘厳な景色に感動-

シアトルのキング駅からアムトラックに乗り込んだ訳だが、この区間のアムトラックは一日5本しか走っていないらしく、しかも列車での輸送は朝の便1本のみという日本ではなかなか考えられない発着スケジュールとなっていた。残りの4本は何なのかが気になるところだが、残りの4本はバスでの輸送になるのだ。それも、列車を利用するよりもバスを利用した方が、所要時間が短くなるというのはどういう事なのか??この時点では、列車を1日一本走らせている意味が全く分からなかった。

僕が利用したのは早朝に一本だけ走っている列車タイプで、早速乗り込んでみると、まず乗客の少なさに驚いた。僕の乗った車両では乗車率が全座席の20%にも満たなくて、その半数が日本人だった。もしかすると、僕以外の日本人は、この列車タイプのアムトラックの存在の本当の意味を知っていたのかもしれない。事前に指定された席は海側に面した窓側だった。同じように、ほとんどすべての乗客が海側に座っていた。

アムトラックはゆっくりゆっくりと進んだ。車窓から窺える景色はとても美しく、その美しい景色を見ながら僕は日記を付けた。ブランデーを片手にこの美しい景色を堪能する事が出来たとしたら、それはまさにダンディー丸出しだと言う他なかった。分かっているさ。僕には似合わない事くらい・・・

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それにしても何でこんなにも美しいのだろう。皆が美しいと口を揃えて言うのは街中の事なのかもしれないが、僕はこの郊外からも離れた人が足を踏み入れないような素朴な自然にひどく惹き付けられた。雨の多い北国特有の、じめじめと重く、どんよりとした陰湿な曇り空に覆われながらも、雨にも負けず風にも負けず、力強く生きる木々達が奏でるワルツのメロディーが僕には聞こえた。そのメロディーは全体を通してどこまでも暗く悲しげだったが、時折覗かせる希望の音色が僕の心の琴線を激しく揺さぶった。

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アイポッドをランダムモードにして聴いていたところ、たまたまアモルフィスという北欧のメロディックデスメタルバンドの曲がかかったのだが、そのバンドの音とこの景色が僕の中で絶妙にシンクロした。美と醜の究極の対比を追及するこのフィンランド出身の彼らの奏でる音は、僕の眼前に広がるこの荘厳な光景を完全に映し出していた。僕はまだ北欧の国々に足を踏み入れた事はないのだが、僕は確信できた。この土地が北欧の土地と通ずるものが必ずあるという事を。

昨日は、カリフォルニアでタンクトップを着て、いかにも陽気なカントリーソングが似合いそうなところにいたのに、今日は一転して寒い土地特有のどこか悲しげでメランコリックな響きのフォークソングが似合うところにいる。このギャップを考えてみると、おかしくなって思わずニヤニヤしてしまった。

列車での輸送の所要時間は4時間近くになると聞いていて、この移動時間はどう考えても時間のロスにしかならないと思っていたのだが、この時初めてこの列車が輸送の為だけではなく、観光も兼ねたものなのだという事に気づいた。

この旅で明らかに欠けていたのは体を休めてゆっくりすることだったのだ。この列車はその事を僕に思い出させてくれた。しばし頭の中をからっぽにして、窓の外に広がる荘厳な景色を堪能した。

アムトラックはゆっくりゆっくりと進んだ。なるほど4時間近くかかるわけだ・・・

暫くすると、カナダへの入国審査カードが渡された。分からない単語があったが、何とか電子辞書で調べながら必要事項を記入した。



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