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第五章 風のように駆け抜けたロサンゼルス滞在記

第27話 ロサンゼルス観光ツアー開始

サンディエゴのサンタフェ駅からアムトラックに乗り、特に問題なくロサンゼルスのユニオン駅で下車後、この日会う予定のヤトミさんに公衆電話から早速電話してみた。もうこの頃になると公衆電話からの通話はお手の物だった。

この時ヤトミさんはまだ仕事中で、あと15分くらいで終わるから、終ったらすぐ僕のいるユニオン駅まで迎えに来てくれるとの事だった。

時計を見ると午前中の10時頃で、この時間に仕事をしているという事は、相当迷惑な時間帯に呼び出してしまっているのではないかと心配になり、せめてバスか電車でもうちょっと近くまで行くと言おうと考えた。だが、よくよく考えてみると、僕の方はロサンゼルスの地理に疎くて携帯電話を持っている訳でもなく、僕がうまく待ち合わせ場所に行けなくて迷惑をかけてしまう恐れもあったので、素直に迎えに来てもらうことにした。

待ち合わせ時間まで1時間程のフリータイムが出来たので、ユニオン駅から歩いていけそうなリトルトーキョーに行ってみる事にした。

リトルトーキョーはアメリカ最大の日本人街で、日本人向けの銀行や病院、弁護士事務所なども多いらしいが、極めて治安の悪い地区と隣接しているらしく、日本人街だからと言って決して油断できないらしい。

そんなこんなで僕はリトルトーキョーに向けて歩き出した訳だが、「適当」且つ「方向音痴」という僕の性質が祟ってしまい、今一場所が分からぬままぐるっと回って元のユニオン駅に戻って来てしまった。

こんな自分が情けないなとも思ったが、こうやってぶらっと街中を何となく歩くのも良いなと思った。

待ち合わせ時間近くに再びヤトミさんに電話をしてみたが、仕事が思ったより長引いてしまっていたようで、結局さらに1時間後の12時に待ち合わせとなった。

また1時間ほどフリータイムが出来た事により、リベンジの絶好のチャンスが訪れ、再びリトルトーキョーを目指す事にした。今度は計画的にガイドブックで方向を確認していたので、見当違いな方向に向かうことなく無事にたどり着けた。

リトルトーキョーに着いたは良かったのだが、思ったよりずっとしょぼくてがっかりした。僕が行ったのはジャパニーズ・ビレッジ・プラザという小さな商店街だけだったが、そこは全く東京じゃなく、外国人から見た間違った日本のイメージの集大成という感じで、果たして、もっと奥地に行ってみれば同じように感じずに済んだのだろうか・・・

第28話 今にも壊れそうなスリリングな日産車で高級住宅街を爆走

リトルトーキョーからユニオン駅に戻り、12時過ぎにはヤトミさんと初対面を果たした。

事前に、ヤトミさんに関する情報がほとんどなかっただけに、どんな車で現れるのか全く予想できなかった。ロサンゼルスに住んでいるくらいだから、もしかして高級車なのかもしれないなどいろいろ思いをめぐらしてはみたが、僕の予想を大幅に反してヤトミさんは思わず「ポンコツ」と口が滑ってしまいそうな日産の古―い型の車で現れた。

恐る恐る車に乗り込みさぁ出発だという事で、確かに車はに動き出したのだが、何故かそれに連動してスピードメーターは動き出さなかった。しかも、ガソリンメーターも0を振り切ったままで機能してなさそうだった。この極めてスリリングな車で、僕等はまずはダウンタウンからフリーウェイに乗ってハリウッド中心部へ向かった。

当初の計画では、どこかで自転車をレンタルしてサンタモニカからハリウッド近くまでをサイクリングしようと考えていたのだが、この時点でロサンゼルスの広大さに圧倒されてしまい、その計画は元々無理な計画だった事にやっと気づいた。

という事で、ヤトミさんにお勧めのコースを決めてもらい次のように決まった。
1.ダウンタウンからハリウッドへドライブ
2.ハリウッドからウェストハリウッドに抜ける
3.ビバリーヒルズの高級住宅街をドライブ
4.UCLAを訪問する
5.サンタモニカをツアーする
6.予約しているサンタモニカのホテルまで送ってもらう

まずは、ハリウッド方面に向かった訳だが、ハリウッド中心部では、スターウォーズやスパイダーマンなどのコスチュームを着た人が通行人に向けていろいろパフォーマンスしていた。通行人に写真を撮らせてお金をもらうシステムなのだそうだが、お金を払わないと支払いを要求される事もあるそうだ。もしかして正義の見方のスーパーマンの姿をしている人でも支払いを要求してくるのだろうか。夢を壊すような事はしないで欲しいなと思った。そんな僕の場合は、写真を取りまくっていたにも拘わらず、車からなのでお金を払わずに済んだのだが・・・

ウェストハリウッドを車で通りながら、ここはゲイの街として有名だという話を聞いて、ここに集まる人たちはそれを大っぴらに主張しているようにも感じられた。店の名前もそれを主張する名前が多く、自由である為に力強く生きる人たちがここにいるのだなと思った。

ビバリーヒルズは高級住宅街で世界的に有名だ。僕は昔からエディーマーフィー主演の「ビバリーヒルズ・コップ」という映画が大好きで、この映画で見た事のあるような風景がそこにはあってかなり興奮した!!ドライブしている間、ビバリーヒルズ・コップの各挿入歌が自然と僕の頭の中に流れてきた。

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実際にビバリーヒルズを訪れてみる前は、僕にとってビバリーヒルズなんて一生行けないような映画の中だけの場所だというイメージがあったのだが、案外簡単に行けちゃうもんだなぁと思った。こう思えるようになれたのも僕にとって一つのブレークスルーだった。

次に、いかにも高級そうなゲートを通ってビバリーヒルズに負けず劣らずの高級住宅地「ベルエア」周辺の道を軽くドライブした。ベルエアという住宅街はあまり知られてないらしいが、閑静で広々とした住宅地で有名人も数多く住んでいるとの事だった。

そこら中でスターマップなるものが売られていて、有名人の邸宅の住所を手に入れる事は簡単のようだった。しかも、その住所を元に有名人の家を巡るバスツアーもあるそうだ。有名人達もありがた迷惑だと思っているのだろうなと少し同情してしまった。

第29話 UCLA訪問

ベルエアから車で5分もしないところにUCLAはあった。

日曜だったのでUCLA内の駐車場は閉まっていた。仕方がないので邪魔にならないところで路上駐車して、僕等は校内を歩き出した。これで、スタンフォード大学、UCバークレーに続く、アメリカの名門大学3校目訪問を果たした事になる。

UCLAは、1919年に設立された州立総合大学で、構内には100以上の建物が軒を連ねる中、巨大医学研究所、寮や庭園などもあるそうだ。スポーツにも力を入れているようで、フットボールフィールドや巨大な体育館など、スポーツ施設が充実していた。

さすがに日曜日なので学生は少なかったのだが、日曜なのにライブラリーで勉強している学生は沢山いて、勉強熱心なアメリカの学生の雰囲気をひしひしと感じられた。

僕が日本の大学に通っていた頃、こんなに熱心に勉強をしている学生は少なかったように思う。もちろん、今の自分と当時の自分の感じ方は違うだろうが、僕は教育の国アメリカで、この熱心な学生達に触発され、お互いにモチベーションを上げ合いながら勉強をしてみたい。今まで漠然としていたが、この旅で一番目に焼き付けて持ち帰りたかったものは、このアメリカの学生の熱心さだったのだという事に今頃になって気づいた。

次に、昼食をとる為に学食に向かった。パンダエクスプレスというアメリカで展開されている中華のチェーン店で料理を注文したのだが、ここでもヤトミさんに奢ってもらってしまう結果となってしまった。

こんな初めて会ったような人間に対してでも自然に歓迎の気持ちを示してもらえて本当に嬉しかった。これがアメリカに住む人の習性なのかどうかは分からないが、僕ももっと日本の事を好きになって、日本に訪れてくれた外国人に対して、ヤトミさんみたいに自然に歓迎の気持ちを示せる人間になりたいなと思った。
この日の天気はそれほどよくなかったのだが、外のカフェテリアで食べる事にした。

パンダエクスプレスのサービスで、デザートのお菓子の中に占いみたいのが入っていたのだが、それによると僕は、

"You desire to discover new frontiers!"

らしく、まさに新天地を求めて冒険をしている僕にぴったりの言葉かなと思った。

ヤトミさんとはいろんな話をした。ヤトミさんは日本での大学時代を無駄にしてしまったと感じていたらしく、アメリカで心機一転して勉強を頑張ってみようと決心してアメリカへ渡ったのだそうだ。それから何十年もアメリカで生活しているのだからすごいなと思う。

ヤトミさんがアメリカに行こうと思ったきっかけは僕が留学を決意したきっかけに近く、いろいろお話を聞くべきだったのだが、気づくと僕の話を一方的にしてしまっていたようだ。何だかヤトミさんとは昔から知合いだったような感覚があって何でも話せてしまった。

昼食をとった後、試しにUCLAの講堂を覗いたり、UCLAのシンボルの熊の迫力あるオブジェクトを見たり、いろいろな彫刻が並んでいる庭園を通って車に戻った。

第30話 サンタモニカツアー

UCLA周辺にある学生街を通ってサンタモニカへ向かった。

サンタモニカの名前の由来となったといわれる聖モニカ像を横切り、適当なところで駐車すると、今度はサンタモニカ・ピアを見に行った。サンタモニカ・ピアは、サンタモニカのシンボルともいえる古い木の桟橋で、どことなくノスタルジックな雰囲気が感じられる場所だ。浅橋上には遊園地があり、いかにも有名な観光地といった様相で、実際、多くの映画やドラマでこの場所が使われているらしい。

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ピアに近づくにつれて潮の香りがしてきた。僕のホームタウンの平塚も海の町なので、潮の香りがすると、僕はいつもホームタウンに帰ってきたという感覚になる。この時も例外でなく、「帰ってきた」という気分にさせてくれた。

アメリカ大陸は、太平洋を流れるカリフォルニア寒流の影響で西や南に行くほど涼しく、東や北に行くほど温かくなるそうだ。なので、カリフォルニアは基本的に寒流なので水温は低いという事になる訳だが、11月なのにも拘わらず水着で海に入っている人もいた。外では既にコートを着た人もいるというのにいろんな人がいるものだなぁと思った。

ビーチには沢山の十字架が規則正しく並んでいるエリアがあった。何やらこれはちょうど二千個あるらしく、イラク戦争で戦死した兵士の数が二千名を超えた事に対する政府への抗議の意味で用意されたものなのだそうだ。

イラク戦争では、戦争を起こしてしまった原因が未だに不透明で、独裁者は捕らえられたものの、イラク国内には未だに戦争同様のテロ行為が絶えない状況となってしまっている。僕達一人一人では余りにも無力だが、こうやって立ち上がる民衆が増えたとしたら、もしかしたら状況が逆転出来る日が来るかもしれない。

何故か話は、日本の自殺者が3万人を超えているという話から日本のBSE対策についてのアメリカ側の見方の話まで話が及んでしまい大分暗い話になってしまった。

天気もどんより曇っていて、あまりカリフォルニアにいるという感覚ではなく、晴れている時のピアも見てみたいなと思った。気持ち良さそうだし。

ピアを一通り歩いて回り、続けてサンタモニカ・プレイスというショッピングモールを通って、今度は3rdストリート・プロムナードとう通りに出た。

途中、中学生くらいのストリートパフォーマーがエレキギターをかき鳴らしながらロックンロールを熱唱していたのだが、若いのに歌がめちゃくちゃうまくて、彼からアメリカンドリーム大のでっかいスケールを感じた。

その後、ホテルに向かう途中に、僕のわがままでパタゴニアという洋服屋に寄ってもらい、アメリカ北部滞在に備えてジャケットの下見をした。

第31話 ハプニングの神は僕に微笑み続ける

優柔不断な僕は、結局パタゴニアで何も買わずに、この日宿泊予定のスーパー8というモーテルまでヤトミさんに送ってもらった。

スーパー8は、ドライブ旅行者御用達のモーテルというだけあって、サンタモニカ・ピアからもかなり遠くにあった。ヤトミさんにサポートしてもらえなかったら一人で辿りつけていたかはかなり怪しい。

ヤトミさんはどこまでも紳士的で、チェックインまでしっかり面倒を見てくれ、おまけに「お腹減ったでしょ?」と、実際お腹が減っていた僕に気を遣ってくれて、カリフォルニアと周辺の限られたエリアでだけで展開されているという、イン・エンド・アウトというハンバーガー屋に連れて行ってくれる事になった。
部屋に荷物を置いて、どんなハンバーガー屋なのだろうかとウキウキしながら部屋を出ようとした時にそれはハプンした。

オートロックのドアのはずなのに、ドアを外から閉めても普通にドアが開いてしまうのだ。ドアノブをいじってみたり、2人で手分けして内側と外側で試行錯誤したりしてみるが、全く状況は好転しなかった。

なんだ、ドアが壊れてるじゃんか。

これまでも数々のバラエティ溢れるハプニングが起こってきた訳だが、まさかここまでやってくれるのかと半分呆れてしまった・・・何かしらの見えない力が働いて、僕にこういったトラブルを経験させる為にいろんな障害を演出しているのかとさえ思えた。

ヤトミさんが進んでフロントの人に状況を話してくれて、フロントの人もさすがに笑うしかなかったみたいだが、笑って済ませられる問題でもなかった。運が良いのか悪いのか分からなかったが、一番大きい部屋しか空いてなかったようで、同じ料金でその部屋に変更してもらえる事になった。

ここのフロントの人はすごく感じの良いかわいらしい女性で、僕等が日本人だって事に対して何の壁も持っていないようだった。すごく笑顔が素敵で自然体でとってもキュートで、思わず恋しちゃいそうな女の子だったのだ。彼女が、僕等に対して自然に接してくれたのは、ヤトミさんが流暢な英語で感じよく話が出来たからなのかもしれない。だとすると、まず僕に足りないのは英語力で、僕がアメリカ人と感じよく話せないのは、英語での会話に対してまだ根深いコンプレックスを持っているからなのかなと思った。こういったコンプレックスは相手に直に伝わるだろうから。

変更してもらった部屋に入ってみると、ダブルベッドよりさらにでかいトリプルベッドが二つあり、何をするにもでかい部屋だったので、恐らくこの部屋は家族用だった。あまり部屋が広すぎても、ただ寝るだけなので何か申し訳ない気がしてまった。

第32話 リサ・ステッグマイヤーさんも大絶賛のハンバーガー屋「イン・エンド・アウト」

ドアのシステム故障により変更してもらった部屋に荷物を置いた後、カリフォルニア州で大人気というイン・エンド・アウトというハンバーガー屋に向かった。

イン・エンド・アウトは、ファストフードにしては珍しく、冷凍モノを使わない事を売りにしていて、当然店内に冷凍庫はなくて保温ライトも電子レンジもないらしい。さらに、すべてフレッシュで仕入れてレタスなども手割、フライポテトのフライもトマトも現場でザクザク切って使いきりにする等の拘わりがあり、他のハンバーガーチェーンとは一線を画しいて、カリフォルニア州では人気NO1なのだそうだ。僕はこのお店のことは全く知らなかったのだが、リサ・ステッグマイヤーさんも自身のブログで大絶賛していて、彼女は、多い時には滞在中2~3回もこの店に寄るそうだ。

ここでもヤトミさんの奢りで、ダブルダブルのセットをドライブスルーで買ってもらってしまった。

その後、再びホテルまで送ってもらって、本当にお世話になりましたと感謝の気持ちを伝えてヤトミさんと別れてから、部屋でハンバーガーを食べてみた。

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ヤトミさんの言うとおり、一つ一つの素材が活きていて、今までに味わったことないようなリアルな味がした。ポテトにしても油が良いのか非常にさっぱりしていて、僕のお腹に自然にフィットした。ハンバーガーも中身がぎっしり詰っていて、手抜きは全く感じられずに丹精込めて作られたという風に感じられた。難しい事抜きにして、とにかくうまかった!確かにこのお店を経験してしまうと、カリフォルニア州では他のハンバーガーチェーンには行く気になれくなるかもしれない。

お腹も満足したので、翌日のサンタモニカでの動きとその後のシアトル行きの予定など確認し、20時頃には眠りに着いて、旅行4日目は終了したのだった。

第33話 旅行5日目 駆け抜けて青春@サンタモニカ

11月7日、月曜日、旅行五日目に突入した。この日も朝6時頃には既に起きていたのだが、昨晩は20時頃には寝たので10時間くらいは眠れた計算になる。
風呂でゆっくりした後、朝食のパンをフロントまでもらいに行ってそれを食べながら日記を付けた。アメリカに来てから初めて余裕のある朝を迎えて、十分にゆっくりしてから8時30分頃にはチェックアウト完了。チェケラ!

さて、この日の予定は次のようになっていた。
1.バスでベニスビーチまで行く
2.ベニスビーチからサンタモニカ・ピアまで歩く
3.フライトの時間に間に合うように、バスで空港に向かう
4.ロサンゼルスからシアトルへ発つ
5.ハジメさんのお父さんのヒデオさんと合流する
6.シアトルのダウンタウンにあるホテルに宿泊する。

まずは、サンタモニカ・ピアまでの中継地点のベニスに向かうため、近くのバス停で観光ガイドにも載っていないカルバーシティバスという市バスを待ったのだが、昨晩、ヤトミさんがフロントにサンタモニカ・ピアまでのバスでの行き方を聞いてくれなかったら、この得体の知れないバスに乗ることは決してなかったであろう。

バス停のベンチでバスを待っていた現地住民と思われる人達は、気持ちの良い笑顔で優しく僕に声をかけてくれた。その人達というのが30代くらいの男性と60以上と思われるおばあちゃんだったのだが、どうやら彼等も初対面だったようだ。初対面なのにこんなにもフレンドリーになれる雰囲気って憧れるなぁ。彼らは、「バスの料金はいくら?」という僕の質問にも快く答えてくれた。

カルバーシティバスはどこまで乗っても一律$1で、さすがに観光ガイドにも載ってないだけあって現地の人たちの生活感が十二分に味わえた気がした。

僕は、今まで日本でしか生活してなかったから、日本だけにリアルな生活があって、海外はというと映像の中で動いているだけというイメージがあった。もちろん頭では分かっている。でも、頭の中にある知識はただの知識なだけで、経験や体験が伴って現実的に有用な知恵になるのだと思う。
この時、アメリカという世界が僕の中で動き出したような気がした。

ベニスに到着し、普通であればここからビッグ・ブルー・バスに乗り換えてサンタモニカ・ピアまで向かうところだが、計画通りベニスビーチから海岸線沿いに伝ってサンタモニカ・ピアまで歩いていくことにした。

昨日に引き続き空は曇っていたが、やはりビーチに出ると開放的な気分になってきて、人目も気にせずに、適当な所で短パン(ユニクロ)+サンダルに穿きかえた。波打ち際で足を波に浸してみると、ひんやり冷たかったが、引き続き開放的な気分が持続していたので、このまま波打ち際を伝って裸足のままサンタモニカ・ピアまで歩いていくことにした。

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観光ガイドによると、ベニスビーチからサンタモニカ・ピアまで1kmちょっとのようだったのだが、見た目はもっと遥か遠くのように感じた。

しかし、こうしてカリフォルニアの自由な雰囲気に包まれていると、帰らなきゃいけない場所がないというのはいいなとつくづく思った。というのは、滞在期間中にずっと同じホテルを取るのも楽でよいのだが、必ずそこまで戻らなければならずに自由に動き回れないのが玉に瑕だからだ。一方、毎日ホテルが変われば毎日そこまで戻る必要がなくなり、目的地目指して自由気ままに突き進むだになるのだ。全荷物を担いで歩かなきゃならないというのは確かに辛いが、自由である事とどちらを選ぶかと言われれば、僕は間違いなく自由である事を選ぶ。それが、旅の醍醐味だと思うから。

途中で日が出てきて、その後もカリフォルニアの強い日差しを浴びながら暫く歩き続けていたのだが、やはり大分体が暑くなってきて汗ばんできてしまったので、着ていた長袖(ユニクロ)を脱いでタンクトップ(ユニクロ)姿になった。
道中、ゴルフボール大の黄色い柔らかいボールを見つけたので、それをサッカーボールと見なしてドリブルをしてみた。そのボールは旅の良いお供になり、時にキング・カズ風のフェイントも交えつつビーチを駆け出した。こんな何でもない出来事が物凄く幸せだったりした。

僕は自由だった。あまりにも自由を感じ過ぎて、ビーチにいた鳥達と一緒にどこかへ飛んで行ってしまいそうなほどだった。危なかった・・・

途中、旅のお供を手に入れて楽しそうに走り抜ける僕を、ちびっ子が羨ましそうに見ていたようだが、そんな視線には脇目も振らずに駆け抜けた。ビーチに残してきた足跡はやがて消えてしまうかもしれない。だが、僕が歩んできたこのビーチの記憶は僕の中で消える事は決してない。

ベニスビーチから1時間近くかかって、やっとの事でサンタモニカ・ピアに到着した。

サンタモニカ・ピアに着いたはいいが、足を洗うところがなかなか見つからずに周辺を少々彷徨う事になったのだが、何とか探し当てて洗う事が出来た。

昨日もこの場所に訪れたわけだが、足を乾かしがてらもう一度ピアを探検する事にした。ピアでは潮風に吹かれながら釣りを楽しむ人が沢山いて、実際に釣れていたようだった。

ベンチに座ってしばし休憩。平日だからか人は少なくのんびりしていた。はぁ、幸せだなぁ。こんなにゆっくり時間が流れるのって。

ベンチであまりのんびりしていると眠りに落ちそうだったので、昨日と同じようにサンタモニカ・プレイスを通って3rdストリート・プロムナードのGAPと、ボーダーズというアメリカ最大の本屋チェーンと、アバクロンビー&フィッチ(アバクロ)というアメリカの若者に大人気というカジュアルウェアのお店に寄った。結局何も買わなかったのだが、僕なりにこのウィンドウショッピングを楽しんだ。

その後、メインストリートに向かう途中で念願のアメリカのマクドナルドを体験した!

ビッグ・アンド・テイスティのセットを注文した訳だが、皆が言うほどテラブルな(恐ろしい)量ではなかったが、僕のお腹を満たすには十分だった。それとはあまり関係ないが、ここのマクドナルドの女性店員の肥満率はほぼ100%だった。

その後、お腹が一杯の状態で長い距離歩くのは横っ腹に堪えたが、メインストリートを1kmくらい歩いて、やっと昨日下見をしたパタゴニアに辿り着いた。車だとすぐ着いた気がしたが、歩きだとめちゃくちゃ遠く感じた。

パタゴニアには、相変わらず良いジャケットが多数あったが、結局、貧乏性がここでも発揮されてしまい$78の安いフリースの上着を一着買っただけに留まった。ジャケット代だけで$200くらいは予算に入れていたので、これでかなり資金的には楽になったのではあったのだが。とりあえず、このフリースの上着の下に何枚か着込んで、さらにその上にウィンドブレーカーを着れば、シアトルでもバンクーバーでもへっちゃらだろう。

第34話 目・と・目・で・通じ合う~♪

パタゴニアで買い物をして、いよいよアメリカ北西部へ旅立つ準備が出来、ロサンゼルス国際空港に向かう為に、まずはビッグ・ブルー・バスの通るリンカーン・ストリートを目指した。リンカーン通りと交差するアップダウンの激しいマリーン通りを1km以上歩く事になったのだが、この辺りの住宅地もまさにカリフォルニアといった風景で、この辺りに実際に住んでみれば、カリフォルニア州の人達のような外見につられて、僕の姿形までもが徐徐にカリフォルニア形に変形していくのではないかとさえ思えた。

相変わらず全荷物を背負って相当きつくなってきている体に鞭打って、やっとの事でリンカーン通りまで辿り着けたのだが、ビッグ・ブルー・バスのバス停まで行くのに、リンカーン通りをさらに500m程歩かなければならなかった。

バス停に着くと沢山の人がバスを待っていたのだが、バスがなかなか来なくてまたフライトの時間が気になり始めた。やがてバスが到着し乗り込んでみるとバス内はかなり混んでいた。

混んでいる車内で、僕の近くにメキシカンと思われる女の子がいて、物珍しそうに僕の顔をじっと見つめていた。僕が微笑みかけてもずっと表情を変えずに、その子はじっと僕の顔を見ていた。僕は相変わらずピースをしたりガッツをしたりしてその子にアピールを続けていた訳だが、その子が母親とバスを降りる仕草をして何も分かり合えないままお別れを迎えてしまうかに見えた。

しかし、その子が母親とバスの出口のステップに足をかけていよいよ外に出ようする時、その子は僕に向かってとびっきりの笑顔でバイバイしてくれた。僕も思わず顔をクシャクシャにしてその子にバイバイ返しをした。

日本でも、電車の中とかで同じような事があった事をこの時思い出した。子供達には、子供好きの人間から発せられる「子供好きオーラ」が感知できるのかもしれない。それは万国共通だという事も、今回の経験で分かった。

第35話 あなたのしてくれた事、僕は決して忘れない

その後もバスは進み続け、空港に近づくにつれて乗客は徐徐に少なくなり始め、それに比例して僕の胸の中の不安も増大し始めていた。案の定、空港を通り過ぎて終点のアビエーション駅というメトロ線も通っているトランジット駅まで行ってしまったようだ。

この日もフライトの時間を見越して早めに出てきてはいたのだが、だんだんフライトの時刻が気になり始めていた。

この駅からはシャトルバスが出ていて、「シャトルバス=無料」だと勝手に決め付けていた僕は、急いでそれに乗り込んだ。しかし、どうやらこのシャトルバスはメトロ線を利用した人に限り無料になるようで、運転手のおばちゃんに「メトロ線のチケットを買って来なさい」と言われてすっかり門前払いを食ってしまった。

サンフランシスコ~ロサンゼルス間のフライトに間に合わなかった時もそうだったが、時間がなくて急いでいる時に門前払いを食うと本当にカウンターパンチを食らったみたいに想像を絶するようなクリティカルなダメージを受けてしまう・・・

仕方なく、僕はがっくりと肩を落としながらもメトロ線のチケットを買おうと券売機に向かった。すると、一部始終を見ていたと思われる一人のダンディーが、駅の階段を半分登ったところから、「ヘイユー、これ持って行きなさい」と僕に声をかけてくれて、何とメトロ線のチケットくれたのだ!本当に嬉しかったし感謝の気持ちで一杯だったのだが、その時僕に使えた英語は「サンキュー・ベリー・マッチ」だけだった。どれだけその人に深く感謝の意を伝えるかは、それを、如何に心を込めて言うかしかこの時の僕には表現の方法がなかった。

日本ではこのような美しい光景はなかなか見られない気がする。その人は、僕に「アメリカにはいろんな人がいて、仕事とはいえ、たまに辛く当たってくる人もいるけど、悪く思わないでね。」って語りかけてくれているような気がした。

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それは愛国心とかから来るのかもしれない。こういった愛国心を持って、日本の事に少しでも責任を持てる日本人が果たしてどれだけいるのだろうか。僕の場合も今の時点では出来ないと思う。だけど、こんなに美しい場面を演出してもらってしまっては僕も日本で実践せざるを得ないなと思った。そうやって、外国で得た素晴らしい影響を日本に輸入してくれる日本人が増えれば面白い結果になるかもしれない。

第36話 カミング・バック・ザット・ナイトメアー

空港を通り過ぎて終点まで行ってしまったバス停から何とか次の空港行きへのシャトルバスに乗れた訳だが、「よぅし!空港に着いた!それ降りろ!」と逸る気持ちを抑えきれず、空港に入ってすぐのバス停で僕は下車してしまった。そのバス停は空港内には間違いないのだが、どうやら目的地と正反対のポイントだったらしく、目的地まで歩いてどの位かかるのかは全く計算不能で、時間的に全く予断を許さない状況だった。

サンフランシスコでの悪夢が頭の中を過ぎった・・・

U字型になっているロサンゼルス国際空港のターミナルは考えられないほど不便で、イメージ的にはU字の片方の先っぽ地点でバスを降りてしまった僕は、U字の反対側の先っぽ地点にあるユナイテッド航空のターミナルまではるばる歩いて行かなければならなかった。再びバスに乗った方が良いとは夢にも思わずに・・・

チェックイン時刻のデッドラインの1時間前は容赦なく迫ってきていて、いよいよヤバイと思ってそりゃぁ走ったさぁ!走っている途中で「ヘイ!ナイス・シャツ!」と声をかけてくる人がいて、「おぉ!さすが!ユニクロもやっぱ世界レベルだ!」と一瞬喜びに浸ってしまったのだが、ただの勧誘の為の一声だったという事に気づくと、ただただ時間のロスになっただけで、いちいち立ち止まった事を公開した。

その後も走り続け、何とか走って出発の1時間前にはユナイテッド航空のカウンター前に到着した。

サンフランシスコ国際空港での苦過ぎる過ちを繰り返さない為にも、念の為、事前にどの列に並べばよいかを係りの人に聞いて正しい列に並んだ。ここの空港での発券方法は、カウンターでの係員の対応に加え発券機でも行われていて、僕はちょうど発券機での購入となった。ガイドが英語だったのもあり、発券機による発券は困難を極め、登場時刻までの残り時間が僕の胸を圧迫し、僕の心臓を激しく鼓動させた。

一刻も早くここをクリアしなければと思い、近くのユナイテッド航空の係員さんにやり方を聞いたのだが、あまり丁寧に教えてくれなかった。やはり、英語が全然話せない人に対して、客商売をしているアメリカ人の対応は全体的に冷たいなと思った。

何とか発券機による航空券発券をクリアし、かなりバタバタしながらセキュリティーチェックを受けた後、搭乗ゲートの69Aまで足早に向かい、乗り遅れる事もなく予定通り航空機に乗り込み、無事シアトルへ出発する事が出来たのだった。

読者の皆さん、お疲れ様でした。ここまでお楽しみ頂けましたでしょうか?まだ五合目を通過したばかりですので、ここらで少し目を休めてから後半をお楽しみ下さい。

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