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第七章 運命的な出会いが齎した激動のバンクーバー滞在記


第42話 カナダにて万事休す・・・

アムトラックの車窓から荘厳な景色を堪能した後、カナダのバンクーバーに到着して外に出てみると、かなり大粒の雨が降っていた。

早速カナダへの入国審査があり、ここではこれまでになくいろいろと質問された。「アメリカ西海岸をいろいろ周ってきた」という事を話したら荷物のことを聞かれて、荷物はこのリュックとウェストポーチだけだと言ったら、その審査員はひどく驚いていた。

「何をしに来たのか?」という審査員の問いに、ほとんど無計画だった僕は、「あれ?おれ何をしに来たんだっけ??」という極度の天然ボケ状態に陥り、訪れようと計画していたブリティッシュ・コロンビア大学という大学名さえも度忘れしてしまい、「ユニバーシティ、オブ、コロンビア・・・んん?コロンビア?・・・う~、コロンビア!!」と、どうしてもブリティッシュという単語が出てこなくて勢いで通そうとし始めた僕に、その審査員の方から単語補ってくれて何とかとか大学名が補完され、不審に思われながらも何とか入国審査をパスしたのだった。

実は、この旅行中に僕がバイブルとしていた地球の歩き方『アメリカ西海岸編』には、バンクーバーまでの情報が掲載されていなかった。かと言って、バンクーバー編だけ別でガイドブックを買うのもバカらしく思えたので結局買わず終まいだった。

駅の構内を見渡すが、ブリティッシュ・コロンビア大学までの行き方も、ホテルへの行き方も、どこがバス乗り場なのかさえも分からず、まさに右も左も分からない状態で、この時点で、カナダドルに外貨両替する必要があるなんて事は夢にも思っていなかった。

駅に隣接しているバス乗り場には、アラスカを除く本土全土に路線網を有する「グレイハウンド」のバスが牛耳っていたので、そこは明らかに遠距離を走る高速バスの為の乗り場だった。

外は大粒の雨が降っており、傘も持っていない僕は迂闊に外に出る事が出来なかった訳で、駅の構内をうろつく事しか出来ないまま、ただただ時間が過ぎていくだけだった。

アメリカに執着し過ぎていてカナダの事を甘く見ていた為か、今思えば、計画段階でカナダの事は何とかなるだろう的に、無意識の内にプライオリティを低く設定していた気がする。

何とか有用な情報を得ようと、パンフレット置場にてパンフレットを漁る事にしたのだが、日本語で書かれたパンフレットは当然なく、英語のパンフレットに軽く目を走らせた訳だが、全く知らない観光地の情報しか目に入ってこなくて、その行き方さえも理解出来なかった。

このままここから出られないような不安が僕を襲った。

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ソファに座ってじっくりとパンフレットを眺めてみたが答えは見つからなかった。

出口に出てみると大粒の雨が降っていて、広場の向こうの道路にバスが通っているのだが、僕はそれに気づけなかった。不安が僕の視界を奪い、目の前にあるものさえ見えなくしていたのだ。

新たな情報がないか縋る気持ちで再びパンフレット置場へ。目ぼしいパンフレットは既に僕の手の中にあった。

頭では分かっているのだが、再び駅に隣接するバス乗り場に出てみるが、そこには、僕の求めていないグレイハウンドのバスが所狭しと並んでいるだけだった。

再びソファに座ってパンフレットを見てみる。・・・

多分、この時、僕はこれらの行動を同じようなサイクルを3回くらいは繰り返していたと思う・・・

楽しそうな笑い声が響き渡る駅の構内にいて、僕の心は不安のどん底にあった。

旅行前の計画段階で、「バンクーバーにも行っとくといいよ」なんて軽々しく言ったハジメさんを恨んだ。

「あんたは苦もなくこなせるだろうけど、流石にこれは海外旅行初心者の一人旅に軽々しく薦められるルートではないでしょ」と心の中で攻め立てているうちに、ハジメさんがひどく無責任な人間に思えてきてしまった。

ここまで何とか繋ぎとめて来た細い糸が途切れて、やっとの事で積み上げて来てものがあっという間に崩れ去っていく気分になり、絶望の淵を彷徨う僕の心に、これまでアメリカ大陸を悠々と縦断してきたという自信は、もはや見る影もなくなっていた。

後で冷静になって考えてみると、勇気を出して誰かに道を聞けばすぐ解決したのかもしれないが、すっかり自信喪失してしまっていた僕の頭の中にはその選択肢を導き出す事は出来なかったのだ。

出口に出てみると雨は一層激しさを増しており、まるで荒れ狂う大海原のど真ん中に、これから一人投げ出されるような心境で立ちすくんでいた。

そんな時、この旅最大の奇跡とも呼べるハプニングが起こったのだった。

第43話 救世主現わる

一人の見知らぬ東南アジア系の男性が僕に声をかけてきた。

突然の出来事だったからか、彼の話す英語が特殊な発音だった為か、僕には何と声をかけてきたかはほとんど聞き取れなかった。

彼は、大きくていかにも重そうなスーツケース2つを、駅内に常備してあると思われるカートに乗せていて、さらに荷物の詰ったリュックを背負っていた。

僕の偏見でしかないのだが、彼は東南アジア人特有のいかにも農作業で生計を立てていそうな外見をしていて、年齢は、若くも見えるし意外と年が行っているようにも見えて全く予想できなかった。

日本以外のアジア諸国の事にはほとんど興味がなかったこの時の僕は、東南アジア人はとにかく野蛮だという勝手なイメージを作り上げていた為、彼も野蛮な人間だと勝手に思い込んでしまっていて、彼に対して軽蔑にも似た感情を作り上げてしまった。

確かに彼は立派とは言えない身なりをしていたが、今思えば、それは全く軽蔑すべきものではなく、言動は常に紳士的だったのにも拘わらず、東南アジア人の事を一つの枠でしか捉えられなかった僕の作り上げた彼の第一印象は、この駅周辺をうろつくホームレスだった。

やけに親しげに話しかけてくるので、観光客を狙った新手の罠なのかとも思ったし、最初のうちは、うまく話が通じてなさそうな雰囲気でとても気まずく感じていたので、さっさとごめんなさいして逃げてようかとも思った。

だが、僕がどんなに片言の英語でちんぷんかんぷんな話をしても、同じ事を何回聞き返しても、彼はすごく根気良く僕の話を聞いてくれたので、その人の誠意に押された形で、行けるとこまで話を続けてみようと思った。

話を聞くと、彼はシンガポールの携帯電話会社のネットワークを扱うエンジニアだったらしく、アメリカ大陸にはスタンフォード大学とワシントン大学へ短期留学の為に渡ったようだ。そうして、数日前にシアトルのワシントン大学での留学期間が終了してから、観光でバンクーバーへ立ち寄ったようだ。

この話を聞いた時点で、彼は間違いなく僕より高学歴で、僕より立派な仕事をする人なのだという事を知り、彼に対して抱いていた軽蔑は裏を返したように尊敬に変わり、僕の勝手に思い描いていた東南アジア人像は脆くも崩れ去ったのだった。

彼は、持ち合わせていた名刺を僕に渡し、「ニックスと呼んで」と言った。
年齢を尋ねてみると、32歳だと彼は答えた。

僕からも、1週間ほど前に訪れたスタンフォード大学とUCバークレーの話をしてみると、そのニックスという名のシンガポール人も、スタンフォード大学留学中にUCバークレーも訪れていたらしく、思わぬ偶然に僕等は驚きを隠せなかった。

さらに、彼は、サンフランシスコで体験した、町を挙げてのハロウィン・パーティーの様子についても語ってくれた。10月の最終日に行われるハロウィンの日にサンフランシスコにいたという事は、僕がサンフランシスコ到着した11月3日の数日前までは彼がサンフランシスコにいたという事だ。その後は、僕がカリフォルニア州で苦戦中に、彼は一足先にシアトルのあるワシントン州に飛んでワシントン大学で学んでいた事になる。

別のタイミングで同じようなコースを歩んできた僕等2人は、最終的には、この日、このバンクーバーという意外な場所出会う事となったのだ。

さらに話を進め、今後の予定について確認し合ってみると、全く持ってアンビリーバブルな偶然で、ななな何と、そのニックスと名乗ったシンガポール人は、僕の日本への帰国便と、同じ日、同じ時刻、同じシアトル・タコマ空港からのフライトチケットを持っているというのだ!

さすがにこの一致は怪し過ぎると思わざるを得なかったが、その時の彼のリアクションは、僕の26年間の経験では人間が演技で出せるものとはとても思えず、芝居でここまで出来る人はさすがにいないだろうという確信はあった。

もし、彼のリアクションが演技だったとして、騙される結果となったとしても、これだけの演技をかまされて騙されたなら、逆に潔く諦められそうに思えた。これもまた若いうちの貴重な経験になると思うし。

すっかり意気投合してしまい、出会ったばかりの2人のアジア人は、バンクーバーのパシフィック・セントラル駅の出口で、時間を忘れて暫く立ち話をする事となったのだ。

第44話 見ず知らずの外国人とホテルをシェアする、あなたには出来ますか?

ニックスと名乗ったシンガポール人は、まだこの日の宿泊先を決めていなかったようで、僕は事前に予約してある旨伝えると、「ホテルを一緒にシェアしない?」と提案してきた。もちろん料金も半分で、ベッドが2つなければ床で寝ても構わないと言っていた。

この時点で、まず、ニックスという人間を良く知らなかったし、言葉の通じない異国の地でシンガポールという文化も知らず、何が起こるか全く想像が出来ない状況で、僕の頭の中はただ混沌としていた。

話はそのニックス主導で進み、彼は僕の予約しているホテルに電話して、一人追加になる場合は$18だけで済むという事をあっという間に確認してしまった。

続けて、彼はカナダドルへの両替へ着手し始め、手際よく両替を行った後、僕に「両替したくなければしなくて良いよ。面倒見てあげるから。」と言った。

また、まだ昼過ぎだったので、さすがにまだホテルにはチェックインは出来ないと思ったけど、彼は「大丈夫、任せておいて」とだけ言った。

この時の僕の頭は複雑な事を考える事を拒絶しており、後先の事を良く考えずに、ただ「大丈夫だろう」という根拠のない楽観的思考しか持ち合わせていなかった。

この日出会ったばかりの外国人とのホテルのルームシェアが決まってしまうと、あんなに厚く見えた駅の出口の壁をいとも簡単に突破し、僕等は、広場の先の大通りにあるバス停でバスを待ち、バスが到着するとニックスがホテルまでのバスでの行き方をバスの運転手にいろいろ聞いてくれて、難なくホテルまで行けてしまった。

ホテル到着後、部屋に荷物を置いて、まず、僕からパスポートの交換しようと提案した。パスポートなんて取得したばかりで、ろくにじっくり見た事もなく、偽造されていたとしても見抜けない癖に、この提案は、混乱する頭で何とか導き出した唯一の彼への信用の確認方法だった。

その後、この日から4日後に控えているシアトルから日本へのフライトまでの予定を決めるため、まず、お互いの予定を確認してみた。翌日の9日(水)の昼に早々にシアトルに引き上げる僕の予定に対し、ニックスはその翌日までバンクーバーに滞在する予定となっていた。既に、お互いにシアトルまでの帰りのバスのチケットを取得済みだった為、さすがに予定を完全に合わせてずっと一緒に行動する事は難しかった。

確かに、僕のバンクーバー滞在期間は明らかに短くて、もう一日くらい伸ばしても良かったのだが、それをするには、アムトラックの時刻変更をするために、僕が自ら電話をして手続きをしなければならなかった。ニックスは電話で話す内容を紙に書いてはくれたが、それを言っただけで手続きが完了するとは到底思えず、その後の話の展開の事を考えると、この時の英語レベルでは到底無理な話だと思ってしまった。

結局、ニックスとは日本へのフライトの前日の10日(木)に、僕の予約しているシアトルのホテルで再会するという事になり、僕等の今後の予定をまとめると次の通りとなった。

1.11月8日(火)ブリティッシュ・コロンビア大学、チャイナタウン訪問
2.11月9日(水)ホテルを出た後は別行動
3.11月10日(木)夕方にシアトルの予約しているホテルで再開
4.11月11日(金)昼のフライトで一緒に日本へ

第45話 ブリティッシュ・コロンビア大学訪問

今後の予定が決まると、早速、貴重品だけ持ち、フロントでブリティッシュ・コロンビア大学への行き方を聞いた後、バスに乗ってブリティッシュ・コロンビア大学へ向かった。

結局、僕はカナダドルに両替をしなかったので、バスの料金もその後かかる食費などもニックスに任せっきりだった。

ブリティッシュ・コロンビア大学へはバスに乗って30分ちょっとくらいかかり、到着するとすぐに、帰りのバスの時刻を確認した。行きのバスのチケットで乗り換え可能時刻に帰りのバスに乗っちゃおうという魂胆だった為だ。

ブリティッシュ・コロンビア大学に入ると、まず、学生課で校内の地図を手に入れて、とりあえず図書館を目指す事にした。

ブリティッシュ・コロンビア大学は、開校当初は400名にも満たない学生数だったのだが、現在は在学生、研究生を合わせて約2万5千人にものぼるまでに成長したらしい。短期講座やESL(大学の英語補修クラス)などを利用する学生は4万人にものぼるとう大きな大学だ。

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日本人を始めとしてアジア人はカナダが大好きらしく、ブリティッシュ・コロンビア大学内を散策中も沢山のアジア人を見かけて、「あれ?ここはカナダだよな?」と錯覚してしまう程アジア人の学生が多かった。

冷たい雨が降る中、ニックスと僕はウィンドブレーカーのフードで雨を凌ぎながら歩き、途中、購買など寄りながら図書館にまで行った。

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図書館では多数のPCが常設されており、ウィンドウズの英語版で使いにくいなと思いながらもしばらくパソコンに触っていたところ、時計を見てビックリ、帰りのバスの時刻がちょうど過ぎようとしているところだった。

僕達はバス停へ向かってダッシュしたが、本来乗るはずだったバスは既に出てしまった後で、次に来たバスに乗り換え期限の切れたチケットをバスの機械に通したが、やっぱりダメで、仕方なくさらに料金を払う形でそのバスに乗る事にした。

僕はカナダドルを持ってないのでニックスが僕の分まで小銭をじゃらじゃら数えていた訳だが、小銭だけでは2人分足りなかったらしく、「$10しかないのだがお釣はあるか?」と言う事を運転手に尋ねてみていたが、運転手は「それじゃ、次乗った時に返してくれれば良いよ」と言ってくれたみたいで、その時はバス料金を払わずに済んでしまった。

第46話 出会ったばかりの外国人と明かした一夜

ブリティッシュ・コロンビア大学からバスに乗り、ホテルの近くで一度バスを降りて、今度は別のバスでチャイナタウンに向かった。

チャイナタウンのある適当なレストランで僕達はディナーにしたのだが、そこで注文した中華料理の量は凄まじかった。麻婆豆腐や回鍋肉など10種類くらいの中華料理の中で好きなものをトッピング出来たので、それぞれ3品くらいのおかずを注文したのだが、超大盛りのご飯の上に殺人的な量のおかずを乗せようとしている店員さんに、ニックスも僕も、「も、もう、そのくらいで勘弁してください・・・」という顔をしていた。しかし、相当に殺人的な量だったのにも拘わらず、一人分たったの$4.5で済んでしまったのには驚いた。

チャイナタウンからホテルへの帰りも、ニックスが現地のカナダ人女性に行き方を聞いてくれて、その人にバス停まで一緒に案内してもらえた。ホテルの部屋に戻ると、ニックスは荷物の中からノートパソコンを取り出し、これまでのアメリカ滞在中に撮った写真を見せてくれた。

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スタンフォード大学、UCバークレーの写真では、まさに僕が実際に見てきた景色がそのまま映し出されていて、実際に僕の携帯のカメラでも同じような景色が収められていた。サンフランシスコのハロウィンパーティの写真では、町中の住民が仮装コスチュームを纏っていて、とっても異様な光景だったが、皆がとっても楽しんでいる雰囲気がすごく伝わってきた。

翌日行く予定のシアトルのワシントン大学の写真では、日本やその他様々な国からの留学生と留学生活を楽しんでいるニックスの姿が印象的だった。
ニックスはとても話し好きで、僕にいろいろな話をしてくれたのだが、彼の着眼点がいちいち面白かった。

ニックスは、シンガポールの南洋工科大学を卒業後、イギリスの大学にも短期留学し、さらに今回のスタンフォード大学とワシントン大学の留学までも経験して、日本の三流大学を卒業しただけの僕とは比べ物にもならない位のエリートだったのだ。

彼は、人生の早い段階で、仕事で大成功を収めて早めに引退したいと言っていた。ここまで話を聞いた限りでは、彼がアメリカや日本のような先進国の資本主義的な考え方をしているのだなと僕は勝手に決め付けていた。

だが、彼は続けて、「仕事を引退した後はボランティアで世界中を飛び回り、恵まれない人々や悲惨な環境で暮らしている人たちの力になりたい」ということも話してくれた。現に、彼は日本の赤十字のメンバーと参加したというインドシナの大津波被害の救援活動の模様の写真も見せてくれて、この時は、勤めていた会社でわざわざ有給休暇を取ってこの写真の現場に向かっていたのだと言う。

「言うは易し、行うは難し」とは良く言われるが、ニックスは、間違いなく口だけではなく、大きな理想を持っており、その理想に向けて具体的な行動をしている。僕はその事にひどく感銘を受けて、いろいろと彼の話を聞くうちに、僕はシンガポールという国を知りたいと思うようになった。街中がキレイなだけでなく、テクノロジーが発達しているだけじゃなく、航空・貿易の利益が世界トップクラスなだけでなく、日本で起きているような異常な犯罪が皆無なだけでなく、それらすべてを支えている国民の揺ぎ無い哲学を育む何かがあるのではないかと思ったから。

その後、それぞれシャワーを浴びたのだが、彼への疑いの心は僕の中でまだ根強く残っていた為、僕がシャワーを浴びている間に彼に加えて僕の荷物までもキレイに無くなっていてもおかしくないという不安が常にあった。僕がシャワーから上がると部屋の様子は何ら変わりなく、そんな僕の疑いの心を嘲り笑う事もなく、ニックスは僕に対して友(チング)としての態度を貫いてくれた。

しかし、尚も僕は彼を信用し切る事が出来ず、彼に気づかれないように自分の貴重品をベッドの中に忍ばせ、肌身離さず抱いて眠りについたのだった。

第47話 旅行7日目 暫しの別行動のばずが・・・

11月9日(木)、旅行7日目の朝は7時半に起床。

訪れたばかりの土地で、知合ったばかりの外国人と目覚める朝は当然僕の人生で初めてで、まだ夢の中にいるみたいだった。

さて、今日の予定は次のようになっていた。

1.ニックスはこの日宿泊予定のユースホステルへ。僕はダウンタウンを散歩
2.バスの出発時刻前にパシフィック・セントラル駅に戻り、アムトラックでシアトルへ
3.シアトル到着後はダウンタウンを観光
4.シアトルのダウンタウンのホテルで宿泊

お互いに今後の動きを確認して8時前にはチェックアウトした訳だが、出発直前にトイレにて僕のしたビッグ・ビジネスがトゥー・ビッグ(でか過ぎ)だった為か、トイレが詰って流れなくなってしまった・・・ルームメイドの方に申し訳ないと思いながらも、そのままチェックアウトしてしまった。

これからニックスとはしばしの別行動で、無計画だった僕は時間までバンクーバーのダウンタウンを散歩する事にした。

バンクーバーは、カナダ西部の最大都市というだけあって、ダウンタウンにはモダンな建物が整然と立ち並ぶ一方、美しい山々と海に囲まれているという世界でも非常に美しい都市の一つで、ビクトリア調の建物が街のあちこちに建っている事もあり、古きよきイギリスを忍ばせる街としても人気が高い。

そんな事を一つも知らなかった僕は、ぶらぶらと、ビジネス・デポットという日本で言うヤマダ電機のような電機屋や、ロンドン・ドラッグという日本で言うクリエイトみたいな薬屋や、適当な本屋に入って時間を潰した。

ロサンゼルスで購入したパタゴニアのフリースの上着を始め、カナダの寒さに備えて出来る限りの重ね着をしていた訳だが、そんな中、驚いた事に上はTシャツ一枚という服装で歩いている男性がいた。僕は未だに証拠写真を持っている。合成ではありません。

その後も適当にぶらぶら歩いていると、視線の先に大きな建物があり、その向こうに美しい港が広がっている下り坂に差し掛かった。何となく散歩することに飽き始めていた僕は、面白そうなので、港に出てみる事にした。空は相変わらず曇っていたのだが、港に出てみると、人々がバンクーバーは美しい街だと言うのが納得できた。

港の名前はその名もポート・バンクーバーで、観光用のセスナやクルーザーが運航していて、港の向こうには雄大な山々があり、それらを眺めている白人男性の姿は、まるで映画の一場面のようで、すごく様になっていてとにかく格好良く見えた。僕が同じ事をやったとしても同じ結果にならないのが悔しいところだったのだが。

振り返るとダウンタウンのモダンな町並みが見渡せて、この時初めて、バンクーバーが美しい自然に囲まれた皆に愛される街なのだという事を知った。
ベンチに座り、暫く頭を空っぽにしてバンクーバーの美しい景色を堪能した後、さっき坂道から見下ろした時見た大きな建物に入ってみた。

その建物はスカイトレインという地下鉄のウォーターフロント駅だった。当初、ダウンタウンからアムトラック駅のあるパシフィック・セントラル駅までは歩いて行く予定でいたが、スカイトレインの路線図を見てみるとパシフィック・セントラル駅の近くまで路線が通っている事が分かった。しかも、カナダドルを持っていなくてもクレジットカード経由でチケットが購入可能という事が分かり、クレジットカード経由でチケットを購入し、予定を変更してスカイトレインでパシフィック・セントラル駅を目指す事になり、スカイトレインのチケットが、カナダで唯一の買い物になったのだった。

スカイトレインであっという間にパシフィック・セントラル駅近くの駅に到着してしまった為、シアトルまでのアムトラックバスの出発時刻まで1時間以上時間を潰さなければならなくなってしまった。仕方なくぶらぶらとメインストリートを歩いたり、パシフィック・セントラル駅の構内に入ってみたり、消防車が数台到着してものものしい雰囲気の通りで、火が出ているとは思えないビルの中に入っていく消防隊の様子を近くのベンチに座って見たりしていると、どこからか僕の名を呼ぶ声が確かに聞こえた。

後ろを振り返ると、巨大なスーツケースを2つ抱えていて、移動が思うように出来なそうなニックスがいた。「何という偶然なのだろう!そんなにバンクーバーは狭いのか?いや、まさかそんな事はないだろう。この人はここでうろうろしながら新手の手口で犯行を重ねているのではないだろうか?」
と、また僕の中の疑いの心が一瞬見え隠れした。

お互いにその後の話をして、彼がまだこの日宿泊予定のユースホステルにチェックイン出来ずに身動きが出来ていない事を初めて知った。彼は僕に気を遣って、この日宿泊予定のユースホステルにチェックインが出来るはずがないのに、僕の予定に合わせて早朝に一緒のタイミングでホテルをチェックアウトしてくれたのだ。僕はそんな事にも気づかず、自分の予定の為に彼をホテルから追い出してしまうという結果になってしまった事を彼に申し訳なく思った。

一方、ニックスはそんな事を根に持っている雰囲気は一切なく、僕が帰りのシアトルへのバスを逃してしまって、こんなところで佇んでいるのではないかと心配してくれていたようで、言葉を慎重に選んでいる雰囲気があった。
こんなにも相手の事を気遣える人に悪い人がいるはずがないと思い、彼の事を信用する気持ちはさらに大きくなった。

暫く立ち話をした後、「また明日必ず会おう」としばしのお別れの挨拶をし、駅の中でバスを待つことにし

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