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オシアンの歌~マスネ歌劇「ウェルテル」から


「何故に御身はわれを目覚し賜うや、春のそよ風よ?御身は媚びたわむれて言う、われは天上よりの滴もて汝をうるおさんと。されど、わが定めの時は近し。迫りくる嵐がわが葉を散らさん。明日こそはさすらい人来らん。来りて、かつて見し美しかりしわれを求め、はるかなる野を見渡し求め、求めてわれを見出すことなからんー」(「若きウェルテルの悩み」からオシアンの歌)

»Warum weckst du mich, Frühlingsluft? Du buhlst und sprichst: ich betaue mit Tropfen des Himmels! Aber die Zeit meines Welkens ist nahe, nahe der Sturm, der meine Blätter herabstört! Morgen wird der Wanderer kommen, kommen der mich sah in meiner Schönheit, ringsum wird sein Auge im Felde mich suchen und wird mich nicht finden. –«

 「若きウェルテルの悩み」の主人公ウェルテルは、想い人ロッテに決まった相手がいることに絶望して、遺書を書き、クリスマスイヴの前、二人で最後に会った。ウェルテルが訳したオシアンの歌を、ウェルテルが長々と朗読し、その詩に登場する歌人たちの境遇に重なるところを感じた二人は、感極まって初めて口づけを交わした。ウェルテルはその後ピストル自殺をし、オシアンの朗読時が二人の地上での別れとなった。

 「オシァン」はゲールと呼ばれるケルト民族に語られたスコットランドの古歌。3世紀頃フィンガル王の王子オシァンが、高齢で失明した後、息子オスカルの許嫁で竪琴の名手マルヴィーナに一族の戦士たちの思い出を語り聞かせたものを、マルヴィーナが覚えていて後世に残した。高地地方の荒涼とした風土の中に活躍するフィンガル王一族の勇壮にして優しい人柄や、白い胸の娘たちの悲しくも美しい物語で、愛誦された。古代人の大きな感動を持つ生活と美しい自然を描写した全篇が抒情的な哀愁味を帯び、シラー、ゲーテなどが熱狂した。 

 ウェルテルの、自己憐憫の空想的な感傷はオシアンの歌に負うところが大きい。

 ウェルテルは白髪の吟遊詩人オシアンにレゾナンスを感じていたようで、10月12日の日記には、「オシアンが僕の心の中でホメロスを追いやった。この卓越した詩人が僕を導きいれるのは、なんという世界だろう」「ぼくは詩人の顔に深い苦悩を読み、このひとり残された最後の勇者が、身も心も疲れ果て自らの墓へとよろめき近づいていくのを見る」「その神のごとき詩人を追って、わが魂をもまた死のなかへと解き放ちたいのだ」と述べている。

 そのくらいウェルテルにとってオシアンは大切な詩人で、マスネの歌劇「ウェルテル」にもウェルテルがアリア「オシアンの歌」を歌うシーンがある。「定め」「嵐」など感傷的(メランコリー)な歌で、マスネの甘美なメロディと合わさって、観衆の心を捉える素晴らしい歌で愛聴しています。良かったら聴いてみてください。https://www.youtube.com/watch?v=nHDd26ssO_o

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