Lucy

この海をただ泳ぐ。ぎゅんぎゅんする気持ちのありか。

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余白を愛していきていく

木に咲く花を撮る習慣がある。土から生える可愛らしい花も愛おしいけれど、木は命そのものっぽいから好きなのだと思う。良い写真が撮れるわけでもないけれど、ときめくとすぐにiPhoneのカメラを起動してしまう。 陽の光を浴びて歩くとき、ぬるい向かい風に包まれる時、駅近くの階段を登るとき、私は日々を慈しんでいることを実感する。 先日「忙しそうな人をやっている」ということを書いたが、それもこれも、余白を愛しているからできるのだと今更気がつく。何かに夢中になれるからこそ取り巻く環境のやさ

    • 息する手段は枝分かれをして

      しばらく会えずにいた友だちを訪ねた。歩けるようになったちいさな娘は彼女によく似てとてもとても可愛らしかった。時間を空けても当たり前に笑って過ごせる関係性が心底ありがたい。私の生活の中に、彼女がまた現れてくれたことが嬉しい日曜だった。 少しの間、なかなかnoteを書けずにいた。手書きの日記も昔に比べて飛ばし飛ばしになった。文字に心を乗せていく作業はずっと必要不可欠だったし、私にとっては生きることの一部とも言える。それなのに書く作業から離れていたのはたぶん、「離れられるようにな

      • 代わりようのない人生、あなただけのもの

        久しぶりに、女の子たちとの日々について綴る。 相変わらず何人かの女の子たちと交流を続けていて、そのなかでしみじみ人生の多様さに思いを馳せている。大人の身勝手さによる皺寄せを受けて、子どもらしくあれぬまま育った子が多い。背負いすぎて生きてきた分、赤ん坊のように縋って甘えてくる子もいれば、妙にドライに身の上を振り返る子もいる。当然、全員、違う。 「親のせいでこうなった」という言葉に頷く。そこに嘘はないし、本当にそうだと思う。ただ、生き抜くために選んできた術が、彼女たちのスキル

        • ひかれ、私が紡ぐもの

          命削ってつくったものを全身全霊でぶつけられる人を心から尊敬する。表現したいと思うのであれば躊躇ってはいけないね、遠慮心は良さを欠いてしまう。 先日、いつか生ものとして触れたいと思っていたアーティストのライブに行った。偽りも手抜きもない血の通った舞台だった。強烈に浴びてしまった、もうなあなあに日々を送れない。 芸術にまつわるサバイバル番組を好んで見るのだけれど、スーパーモデルを目指す参加者たちに「なぜカメラの前で没入できないんだ」とカメラマンが叱責するシーンがあった。あれこ

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          ともすれば生まれなおし

          いま思えば、私はかなり早い段階で自分を諦めていたのだと思う。「私自身」が持ち得ているものはとても少なく、何かを身につけることで武装しようとして懸命に走っていた気がする。勘違いされることも多い人生だった、妙に目立ってしまうから。好きなことを楽しみたいだけだったけれど、「得をする側の人間」として扱われる機会も度々あった。本当はいつもなんだか物悲しく、なんだか寂しく、切なかったけれど、そういう部分を拾ってくれる人は実際少なかった。 見せてこなかった自覚もある。他人のせいにしたけれ

          ともすれば生まれなおし

          私が「私」を選ぶ時間

          今年は新しく始めようと決めた事がいくつかあり、新年早々から手を出している。規模の大きなものではなく、あくまで「自己満の幸せ」につながる諸々だ。手を動かす趣味、美容習慣、身体づくり。ちょっとしたことだけれど、今までは触らずにきた範囲のそれら。胸がわくわくするから、きっと正解だったと思う。というか、私が正解にした。 好きなことを好きなようにするというのが私の人生の本分。だからやるというに過ぎないのだけれど、人より少しばかり持っている肩書きが多いもので、こなさねばならないタスクが

          私が「私」を選ぶ時間

          願いをだきしめて

          昨年、これからの1年間で叶えたいことを100こ手帳に書いた。大小さまざまな願い事で、買いたいものを並べてみたり、私という人間への変化の期待があったり、なんともまあ自由なリストになった。 年を終えていくタイミングで結果を確認したが、半分に完了のチェックマークが入っていた。「歯医者に行く」はできなかったけれど、「言いづらいことも素直に伝える」はハードルの割によくクリアできたと思う。人からすれば甘い水準かもしれないが、私にとってはチャレンジだったのだからそれで良いとしている。

          願いをだきしめて

          愛について 2023

          どうやら私は、手当てをされた。 誰かを1対1で愛する、ということをずっと怖がってきた。ほんとうにほんとうに、私はずっと怖くてたまらなかった。私のことを好きだと言ってくれる人の気持ちもよくわからなかったし、一体なにを以て「好き」だなんて明るく言えるのだと心底思っていた。 「好き」を貰ったって困る。わからないんだもの。わからないから、相手を傷つけてしまう。持て余してしまうくせに、愛されたいと小さく願う自分もいた。心の中で捏ねたり伸ばしたりをした結果、「真正面に向き合って結ぶよ

          愛について 2023

          ひとつもこぼさず覚えていたい

          記憶を失くしていく映画に、これまでどれほどたくさん出会っただろう。博士の愛した数式、エターナルサンシャイン、君に読む物語、頭の中の消しゴムなど、有名どころでもこれほどに。 本当は脳の奥底に埋まっているとしても、思い出せないというのは存在自体失ったように感じる。「忘れてしまう」という響きすら寂しい。でも仕方のないことだと割り切ってきた。老化もあるし脳の容量もある。過去よりもいまがいちばん新しい人生なのだから、思い出のキャパシティはそこそこになってしまうのだ。愛する人を忘れてい

          ひとつもこぼさず覚えていたい

          「好きな人をもっと愛したっていいのよ、心地よいと感じる人のことをうんと愛していいの」と言ってもらったことがある。心のお守りにしている、誰かを愛するということを心底怖がっている私だったから。やさしいやさしい言葉だと思う。おかげでいまは、愛することができる。

          「好きな人をもっと愛したっていいのよ、心地よいと感じる人のことをうんと愛していいの」と言ってもらったことがある。心のお守りにしている、誰かを愛するということを心底怖がっている私だったから。やさしいやさしい言葉だと思う。おかげでいまは、愛することができる。

          こころがほどけて気づくのは

          こころがほどける、という感覚。 私はきっと、弱くやわらかい人間に変容していっている。 弱く、ということは昔なら明らかに負の意味で使っていたと思う。自身に向けて「強くあろう」と何度も言い聞かせていたから。本当はそうではない自分、わかりながらも奮い立たせるのが日々だった。 私だけをみてくれる人がいる安心を知ってしまった。おかげで不安も増した。ひとりで処理できていたことができなくなった、特に感情において。 正直いって、生まれてこのかたずっと寂しかったのだけれど、そういうものを消

          こころがほどけて気づくのは

          高く跳ぶには深く踏み込んで

          「自分の力でなんとかしようとしなくて大丈夫。自然にゆだねて、まかせて」 占いYouTubeを見ていたら、そう声をかけられた。ぷしゅ〜と私から空気が抜けた気がした。 もはや笑えるくらい嬉しくない出来事が立て続いて起きた。揉め事に巻き込まれたり仕事のトラブルが起きたり、心が落ち込むような相談が届いたり。隔日ペースで発生するそれらを受けて、2週間のうちに何度も泣いていたら体調を崩した。しばらく感じたことのなかったような頭痛に見舞われ喉が痛み、ぞくぞくしたかと思えば熱に変わった。

          高く跳ぶには深く踏み込んで

          冬の始まり、痛みを思い出して

          急激に気温が下がり、冬がすぐそこまで来ていることを感じる。というかもう、冬なのかもしれない。厚手のニットを着始めた。 毎年恒例なのだけれど、年末年始の期間の心の下降を恐れている。あっという間にまたこの季節。世間の”クリスマスハッピーモード”がスタートするとともに私の不穏は加速していくので、そろそろカウントダウンが始まる。 一昨年と昨年の年末に書いた日記を読んだ。どちらも御多分に洩れず「心がぐちゃぐちゃになっている」と書いてあった。締めくくりと幕開けの両方をほとんど同時に迎

          冬の始まり、痛みを思い出して

          きらめきは長持ち

          なにかを心待ちにできる瞬間って、なんて豊かなものだろう。 家を出発して1時間、いま私はのぞみの真ん中にいる。久しぶりの旅行に胸がときめく。少し早いけれど、今年1年頑張った自分たちへのご褒美のつもりで計画を立てた。お財布もしっかり薄くなったけれど、毎日指折り数えてこの日を待った。ぜんぶ、きらきらしている。 パートナーが県をいくつも跨いだところに住み始めて以来、新幹線に乗る機会がぐっと増えた。もっとリーズナブルになったらいいのにね。コストが理由で会えないということは今のところ

          きらめきは長持ち

          投じるように一日を送れば

          よく眠るためには、よい満足感が必要。 -- 再来週あたりから、仕事が本格的に忙しくなる。今はその準備期間にあたるタイミングで、やらねばならないことはあれど期限は少し先…という状態である。先月は別の案件で忙殺されていた反動もあり、ここ最近の私は少し気が緩んでいる。 こんな日があってもいいか、と根詰めずに仕事をした数日間を経て、段々気持ちが悪くなってきた。怠惰にしか過ごせなくなりそうな予感がした上に、余計な不安を抱える隙間が生まれてどんどんネガティブになった。負荷や制約があろ

          投じるように一日を送れば

          はやく手放しで自分を委ねられる人間になりたい。依存とはちがう。私を開け放すようにして、弱いところを見せられるようになりたい。

          はやく手放しで自分を委ねられる人間になりたい。依存とはちがう。私を開け放すようにして、弱いところを見せられるようになりたい。