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「90年代はOSSがビジネスの競合だった」Community Drive 第1回再録 高橋征義さん②

さまざまな技術コミュニティの運営者にお話しを伺うPodcast「Community Drive」の再録。第1回目のゲストは達人出版会の代表であり、日本Rubyの会や技術書典など、さまざまな活動をしている高橋征義さんです。(聞き手:法林浩之、鹿野恵子、まとめ:鹿野恵子)

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■目次
・最初にRubyを知ったのは「fj」(第1回)
・Rubyは言語を作る人のコミュニティだった(第1回)
・コミュニティがこの10年で「団体」からゆるいつながりに変化している(第2回)
・OSSがビジネスの競合だった90年代(第2回)
・大規模イベント運営では燃え尽き症候群も(第3回)
・予算が個人の年収を越えた(第3回)
・技術コミュニティの受け皿としての技術書典(第4回)
・秋葉原という「場」のパワー(第4回)
・技術を広めたい、知りたいというモチベーション(第5回)
・コミュニティに関わることが仕事になるようになった(第5回)
・すごく無駄だけどみんな1から勉強するしかない(第6回)
・業者やスポンサーとのやり取りが重い(第6回)
・お金だけポンと出してスポンサーになってもあまりメリットが無い(第7回)
・5年放置すれば問題は時間が解決してくれる(第7回)
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コミュニティがこの10年で「団体」からゆるいつながりに変化している

法林:今日高橋さんとお話するに当たり、高橋さんから「るびま」の記事を見ておいてくださいと言われたのですが。そちらのほうに高橋さんのいわゆるコミュニティに対する考え方みたいのが出ていて、非常に興味深い言葉がいくつか載っていて面白かったですね。
特に日本Rubyの会の設立の経緯についてはなかなか面白いと思ったのですが「日本Rubyの会というのは、Rubyの中の人のためにあるのではなくて、Rubyの外にいる人が、Rubyに関して何かしたいとか、問い合わせたいという時の外向けにある」というようなことが書いてあります。これはすごく面白いです。
高橋:法林さんとの関係でいうと、LL(Lightweight Language)イベントなんですよ。

注「LL(Lightweight Language)イベント 」:軽量プログラミング言語のイベント…だったのですが、最近Learn Languagesイベントに名称を変更しました。本番組の聞き手である法林浩之、鹿野恵子はこのイベントの運営スタッフでもあります。

(2003年に開催された)LLイベントの第1回では、いろいろなLLコミュニティに声をかけて、登壇者を募って、それぞれの言語を紹介してくださいという話しになっていたらしいですよね。

法林:確かそうですね。
高橋:ではRubyの人たちは?とという話がRuby方面に流れてきていまして、でもRubyにはそういうコミュニティみたいなものはないしな…という感じになっていたわけです。
そうすると、ではどうなるのかというと、Rubyに関して何かしたいという人の問い合わせが全部まつもとさんに集中するわけですね。それはまずいだろと思って。
法林:そういうことがきっかけになったんですね。
LLイベントのWebサイトとかには協力してくれている団体名が書いてあるのですが、最初のうちはたぶんRuby関係の名前はないんですよ。Rubyの人たちは参加してくれているのだけれども、(団体としての)実態がないから名前の載せようがなかった。(注 初回のLLでは地域Rubyユーザグループ的な「かさいらぐ」の名前で載っていました)
でもRubyのメーリングリストでやりとりをしているということは知っていたのですが、「るびま」の記事を読んで、改めてこうやって作られていたんだなと知りました。

2006年のLL Ringでのまつもとさん。(CC BY 2.0  Taken by uemura 

高橋:たとえばPerlとかPythonとかPHPは当時すでにユーザ会があったんですよね。PerlであればPerl Mongersとか。
法林:Rubyはそういう意味ではあとからそういう組織化されたということでしょうか。
高橋:ものに名前がついたっていうか、ものも名前があるんだかないんだか分からない感じ。ふわっとしてていた。名前をつけること自体が器を作る感じですよね。器をぼんととりあえず作っておきますみたいな感じ。
法林:でもコミュニティというものは、本質としてはそういうものなのかなということを、高橋さんの記事を読んであらためて思いました。
昔はコミュニティはjusのようにもっと「団体」という器がはじめにあって、そこに人が所属しているという感じでした。Rubyもそうですが、ここ十数年ぐらいのコミュニティにはそのような団体然とした形のものは減ってきていて、もっとゆるい。特に今はメーリングリストもなくてSNSでつながっていたりします。ここ十年でそのような形になってきました。

OSSはビジネスの競合だった90年代

法林:あともう1つ高橋さんが事前に参照用に教えてくださったのが「るびま」の28号の記事ですね。コミュニティについての高橋さんの考えが書かれていて、コミュニティの内と外の区別や境界を考えるだけで徒労であるということが書かれていて、なるほどなと思いました。
高橋:最近だと、企業からコミュニティに対してアプローチするという感じになっていますが、もう少し前の時代だと、コミュニティはコミュニティで別にあって、企業は企業で別に(ユーザー会のようなものを)作っていました。それぞれ全然違うからお互い別々ですよねという感じの雰囲気で。当時はコミュニティのほうから見ると企業がもうちょっとコミュニティに対して何かできることなどはないですか?という感じでしたね。
今はもう少し企業がコミュニティとうまくやるようになっていて、企業自体もコミュニティの中に入っていったり、あるいはコミュニティの外からコミュニティを支援したり。そういうことを積極的にやったほうが、企業にとってもプラスになるというようなマインドセットに変わりつつあるので、まあその辺は多少は状況が違っているのかなと思いますね。
法林:企業のコミュニティに対するアプローチは10年前、15年前とはだいぶ変わったなと思っています。
特にLLイベントなんかもそうなんですが、最初のうちはこういうコミュニティがやってるイベントに企業がスポンサーをするということはほぼなく、資金的なことは期待できなかったんです。そこでLLイベントは、参加者の方から参加費をいただいて、会場費などはその参加費でなんとかするというモデルを作りました。
jusは、90年代はもう少しビジネス的なつながりでやっていましたね。ですので、会費もありましたし、UNIXフェアは各社がワークステーションを展示するような普通のビジネス展示会でした。だから普通に出展料を徴収していたのですが、コミュニティの人たちからは同じように取ることはできませんので。
ちょうどオープンソースまつりっていうイベントを99年ごろにやったときは、いわゆるOSS系のコミュニティの方にたくさん出ていただいたのですが、出展料は取りませんでした。でも会場費はかかります。ところが企業は当時OSSには理解がないので、スポンサーはまったくしてくれませんでした。
高橋:むしろOSSは自分たちの仕事を奪うのではと考えられていましたね。
鹿野:競合扱いだったんですね。
高橋:ダンピングしてる、みたいな。俺達は金もらって開発してるのにあいつらは無料でやってて、どうすんだこれ、みたいな。
法林:ですので、全然スポンサーが集まらなくて、そんなに続けられなかったという思い出があります。
それに比べると今はコミュニティが主催するイベントに企業が普通にスポンサーをしてくれるようになったので、時代は変わったなと思います。

第3回目に続きます。

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