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江藤淳作 妻と私を読んで…

随分前に購入して何度も読んだ本です。
末期癌に侵された奥さんを看取る江藤さんの手記。
わたしとたいして違わない年齢で妻の慶子さんは、病気に侵され他界されたけど、少しもかわいそうとは思わない。ご主人にこんなにも愛され中身の濃い人生を送られたのだから、むしろ羨ましさすら感じるとともに、住んでる世界が違うと、こうもゆとりある豊かで穏やかな夫婦でいられるのか、とつくづく感嘆のため息がでる。
人間皆平等というけど、そんなことはない。
手記の随所に私達庶民で子供を育てるのに日々あくせくして夫婦喧嘩ばかりして35年の結婚生活とは明らかに違う妻を思いやる作者の愛の深さを感じる。
例えば、慶子さんが、真珠のネックレスを欲しいと言った時、御木本真珠店に寄ったがろくな品物がなかったのでもう、止めにしようかしらと言ったのを押し留めてとにかくもう一軒、和光に寄ってみよう、と江藤さんが言い
和光に気に入った品があった。64回目の誕生日まで若い頃求めた質素なものしか持っていなかったことに胸のうずきを感じた、というくだり、うちの夫ならバカバカしいと言うだろう。
この御夫婦は子供がいないということで煩わしいことがなく充実した豊かな暮らしができたのか、元々著名なご主人のお陰なのかわからないが、奥さんと共に海外に行き、紀伊國屋で買い物をし、奥さんは読書会、絵画、プールと人生を謳歌された。
さっそうと、外車を乗りこなし、しょっちゅう夫婦で外食、それも一流のホテルや料理店で…
それだけでも羨ましいのに、慶子さんの病気が末期だと知らされてからの作者の気づかい、また大きな病院の院長とは懇意の関係、少しずつ弱っていく奥さんを観て病院近くのホテルに泊まり込み、最後には病院に泊まり込んでの手厚い看病、なにもかもわたしには叶わないことばかり。
そして、手助けをしてくれる信頼の置ける人達がいる。
もう助からない命ならできるだけ苦痛のない安らかな臨終を迎えさせてやりたいと医師に頭を下げる夫。
奥さんが亡くなる頃には自分も過労から敗血症をおこされる。
点滴を受けながら通夜と告別式をのりきるが、奥さんを亡くされた喪失感の深さから、今まで張り詰めていた糸がきれたかのように自身も入院、手術を余儀なくされる状態に。幸い一命を取り留め、奥さんの遺骨を青山の墓所に埋葬され、煩雑な諸手続きをこなされたところで手記は終わっているのだが、如何に奥さんを愛されていたかという文章、慶子は無言で語っていた。あらゆることにおいて自分は幸せだったということを…そしてわたしも無言で繰り返していた。きみの命が絶えても、自分に意識がある限り、君はわたしの記憶の中で生き続けていくのだということを。はぁ~、こんなに深くお互いを愛し合う夫婦の形があるのか、
世の中の夫達に是非読んでもらいたい。
慶子さんの葬儀には千人を越える会葬者がみえたとか。
お二人の交友関係の多さ、しかもその関係はお互いにしっかりとした信頼関係で繋がっている。
お葬式をみれば、その人の生きてきた証がわかるというけれど、本当に中身の濃い人生を生きぬかれたのだろう。
お元気だった頃のお二人の写真をどこかで見た覚えがあるが、聡明で辺りを払うような凛とした美しい奥さんの姿を今も覚えている。
そして、もうどれくらい前か思い出せないが、江藤さんが奥さんの亡き後、自ら縊死されたことを新聞で知って驚いたのは、この本を読む前のことである。
慶子の看病をすることがわたしの生きている意味なのに、死んでしまったら自分の生きている意味などどこにあろう、と書いている。
この本を読めば慶子さんと淳さんは一身同体、魂の深いところで繋がっておられたのだなと理解できる。

なんだか読書感想文というより、庶民でしょっちゅう夫婦喧嘩しているわたしのひがみ、やっかみみたいな文章になってしまった。

今日もわたしが、頭痛でひっくり返っているのを横目に我が夫は一人で奈良の長谷寺へ出かけていった。
うちは先に倒れた方が負け、とばかりにバチバチ火花がとんでいる。
やはり、ないものねだりのやっかみ感想文でした。

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