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見捨てられ不安との向き合い方

なんだかまた、不安に襲われるようになってしまった。ここ1年は気持ちが安定していて、ほとんど不安を感じることなんてなかったのに。

一度不安に襲われると、一時的に不安から解放されたとしても、すぐにまた不安がぶり返してしまう。そうやって繰り返し不安に襲われていると変に癖づいてしまって、なかなかそのループから抜け出せなくなる。

今繰り返し感じているのは「見捨てられ不安」だ。これには子どもの頃から悩まされてきたけど、「見捨てられ不安」と呼ばれるものだと知ったのはほんの2年前のことだった。

自分の不安の正体を知ったことで、どうやってその不安に対峙したら良いのかが見えてきて、少しずつではあるものの、その不安に対処できるようになっている。

2年前までは不安を一人で抱えきれず、SNSで病んでいるアピールをしてみたり、人の前で泣きながら不安を吐露してみたり、誰かに不安を押し付けることで正気を保っていた。

でも今は、自分一人で不安と立ち向かうことができる。不安の波が強い時は不安を誰かに押し付けたい気持ちになってしまう時もあるけど、行動に移す前にその衝動も抑えられるようになった。

自分で不安を対処できるようになってからは、不安を感じること自体もほとんどなくなっていたのだけど、火種はまだ残っていたようだ。ちょっとのことでまた燃え始めてしまった。

不安が大きくなるきっかけは、LINEの返信が来ないとかのほんの些細なことだった。文字にしてみると本当にちっぽけなことに感じるけど、それによって生じた不安が徐々に増幅されて、自分の存在を揺るがすくらいまで大きくなっている。

不安に襲われている時は1分1秒がとても長く感じて、何も手につかない状態になってしまう。眠るしかないと思って横になってみても、頭の中が不安でいっぱいになって眠れない。「この人は私を見捨てていない」と感じることができるまで、その不安は続く。

つまり今は、自分の不安を解除するスイッチを他人に握らせている状態だ。自分一人で不安を処理することが、私にはまだできない。他人に不安をぶつけなくなるまでに、大体1年かかった。不安解除スイッチを自分で握れるようになるには、後どれくらいの時間が必要なのだろうか。


では、そもそもなぜ見捨てられ不安に悩まされているのか。それは、まだ自分そのものの価値を信じきれていないからだと思っている。相手の役に立てて初めて存在価値がある。だから、誰かの役に立つことができない私には存在価値がないと、心のどこかでまだそんなふうに思っているのだと思う。

誰かの役に立たなければと思うのに、人が何を求めているかわからない。当然、そんなことでは自分が相手の役に立つことができているかもわかるはずがない。そして、「役に立てていないかもしれない」という思いが存在価値を脅かし、不安を生じさせている。

もとより、私の周りの人は私に役に立つことを期待しているわけではない。だから、役に立てているかわからなくて不安になるというのは見当違いも甚だしいことなのだ。頭ではそうわかっているのに、どうしようもなく不安な時は、その事実を信じられなくなってしまうから怖い。


少しは自分そのものを愛すことができるようになったつもりでいたけど、まだまだ道のりは遠かったみたいだ。時間はかかるだろうけど、いつか自分そのものを愛せるようになりたい。少しでもその時間を縮めることができるように、正しい不安との向き合い方を身につけていきたいと思う。

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