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つなぐ場の提供と,自分と人の選択肢を増やすための行動。見えなかった未来を見えるように。…

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つなぐ場の提供と,自分と人の選択肢を増やすための行動。見えなかった未来を見えるように。選べなかった選択肢を自由に選択できる勇気と環境を。雑多な思いと備忘録。 CP/CPP/研究者*ここでの発言は個人の見解を示すものであり,所属・関係機関とは異なるものです。

最近の記事

Macを修理に出したので設定が1からに。

以前Macに切り替えた時のことを記録に残したが、あのあと、というより1ヶ月ほどまえにMacが突然壊れた。起動しても20秒ほどで再起動を繰り返すし、セーフモードも起動しない。なにをしてもどうしようもないので、とりあえず電話をかけてみた。 ところ、「ああ、それはどうしようもないですね。そこまでなってると、工場で作られた時にごくわずかな静電気がついて、そのようになったのではないか」 はあ?とおもいつつ、1年ちょっとしか経っていないMacは修理へと出し、莫大なお金が掛かることにな

    • WindowsからMacBook Air (M1, 2020)に切り替えて1ヶ月。思ったこと(2021年7月)

      表題の通りである。 もう十数年とずっとWindowsを使っていたところから,ちょっとしたきっかけで今Macを使っている。このまま使い続けるかは不明だが,使って1ヶ月ほど経つ今,ぶち当たってる(超細かい)問題や使いやすさを取り上げようと思う。 *PCの知識は詳しくないので,あくまで一般人としての感想である。 子供の頃から慣れ親しんでいたのはWindows。実家にあったからだ。大学時代にMacの起動音を聞いた時に,古い記憶が揺さぶられ吃驚したことがあったが,あれは小さい頃親

      • 幸福とは何か

        この人生何をして生きたいがない。生きるには衣食住をそろえる必要がある。そのためには金が必要で,仕事が必要だ。しかし果たして,そこまでして生きて何をしたいのか。 問いが間違っているであろうことは認める。「そこまでして生きて何をしたい」と投げかけられたら,基本否定的回答を出してしまう。これはWhatで構成される疑問文だが,私の中ではどちらかというとWhyの質問である。帰属を求め,空気に触れようにも絵には描けない。というかむしろ,「生きててどうすんの?」という,すべてを無にしてし

        • 幸せに圧倒された話➀

          医療従事者として,外出自粛,たびたび出張や東京などに行く人と会うのも自粛,自粛すると何を連絡したらいいかわからない。連絡したとて,向こうも自粛者。お互い躊躇いつつ空虚な慰めの言葉を交わし,仕事に疲れて連絡を交わすのもむつかしい。 元々別にそこまで動き回るタイプの人間ではない。バーンと旅行を連発するわけでもないし,コロナ前も基本は人の少ない,1店舗に2,3人程度くらいしかいないようなお店にいた。自分一人だと止まらぬ考えに惑わされ,飲み込まれ,そして非合理的な考えの合理的証明や

        Macを修理に出したので設定が1からに。

          焦燥感に殺される

          常に何かをし続ける。 生産性を掲げ,何かやった気にならなければ気が収まらない。 義務教育や会社員は,そういう「何かやってる」から,「考えなくていい」と免罪符をもらっている。ように見える。 あれやりたい,これやりたい。自分はもっとこうなりたい。社会の中のハコに収まると,何か不満が生じる。そしてそれが原動力となって欲求が生じる。 自身に所属があることは,その故焦燥感に殺されることは少ない。自分は自分の生活を賄えるほどの金を持っている。その中で,もっとしたいことがあって,そ

          焦燥感に殺される

          ミイラ取りは初めからミイラである

          医者の不養生という言葉がある。ふつう,goo辞書のように,「人に養生を勧める医者が,自分は健康に注意しないこと」。それを聞くと,ああなるほど,まあ確かにそうだ。腑に落ちるところがある。 人に言っていても,自分に実践できないことなんてざらにある。自分を大切にするのって,意外に難しいものなのである。他者に毛布をかけることはできるが,自分が冷えているときに自分に毛布を掛けることはあまりない。「寒いなあ~」なんて言って,動くの面倒だから動きません。 厚着したら動きにくくなる。洋服

          ミイラ取りは初めからミイラである