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ポジティブな感情で苦手を克服する

「英語学習」が気になる

私はNOTEに投稿する以外にも、コーチングに関する情報を発信するためにXやLinkedInなどのSNSを使っている。そのついでに興味のあるテーマをいくつかフォローしているのだが、その一つは「英語学習」だ。

いまでこそ英語が得意とまでは言わないが、一応何とか仕事を進めることは出来る。それだから尚更なのかもしれないが、自分が実践してきた英語の学習法を振り返ってみると、もっと効果的な方法があったのではないかと思うのだ。また、ここ10年、20年の間に様々な科学の分野で進歩があったので、何か新しくて効果の高いメソッドが開発されているかもしれないと思ったりもする。

そういう訳で、「英語学習」についての情報をゆるく追いかけて来たのだが、ここ数年コーチングを学んで実践する間に気づいた事がある。


コーチングを実践していて気づいた事

それは、日本人は特にスピーキングとヒアリングが苦手と言われるが、学び方以前の部分で大きな障害があるという事だ。

どういうことなのか、私の経験から説明してみよう。

私の中学での英語学習

私は普通に中学校で英語を学び始めたのだが、たまたま入った学習塾の影響もあり、難関高校の受験を目指すことになった。それで英語は随分と勉強したのだが、文法、単語暗記、読解、英作文が中心で、ヒアリングとスピーキングはほとんど何も勉強しなかった。

ヒアリングとスピーキングについては、学校の授業中に英語の先生が教壇にテープレコーダーをおいて、何度かテキストの該当部分の音声を流して、生徒たちがそれに合わせて声に出して練習した。でも、本当にほんの少しの時間だったし、しかもテープレコーダーの音が聞き取り難い上に、たまにお手本を聞かせてくれる先生の発音がジャパニーズ・イングリッシュすぎてネイティブの英語とは程遠く、学習効果は低かった。

高校でもスピーキングは置き去りに

その後無事合格できた関東の高校では、英語の授業のうち一部の時間に視聴覚室を使った授業があった。そこで一人ひとりヘッドホンを付けて、聞こえた英語を口に出して言う練習を何度かやった記憶があるが、これも圧倒的に回数が少なかった。また、授業の中で対話形式でスピーキングの練習をするということもなかったので、高校でもスピーキングは全く身に付かなかった。

高校の時は学生寮に入っていたのだが、寮生の約半分は帰国子女で、そのうち英語圏に住んでいた人はほとんど英語が話せた。実際に彼らは英語を使って日常生活を送っていたのだから不思議でも何でもないのだが、普段英語を使うこともなく何の役に立つのかよく分からずに英語を学んでいた私は、英語が話せる彼らがとても羨ましかった。

大学時は英会話学校に短期留学

そして、大学に入ってからは、英会話学校に通ったり、「1000時間ヒアリングマラソン」という毎月テキストとCDが送られてくる通信講座で学んだりした。二十歳の夏休みにはサンフランシスコに約1ヶ月の短期留学もした。それでも、思うようにしゃべれなかった。

そもそも英語を話している絶対時間が少な過ぎるのは分かっていたが、何となく将来海外に駐在して仕事をしたいから、そのために英語は必要だろうという位の目的意識しかなかったので、英語を話す機会を創造的に作り出すことも出来ていなかった。

英語必須の部署に配属された!

そして、その中途半端な英語力のまま広告会社に就職した。ところが就職して最初に配属されたのが、英語必須の海外メディアの広告を扱う部署だったのだ。仕事上でやり取りをする相手のうち三分の一は外国人という環境だった。

当時は通信手段と言えば電話とファックスが中心で、先にファックスを送った後に電話して確認するような仕事の進め方だった。私はスピーキングが得意ではなかったので、出来るだけ伝えたいことや確認したいことはまずファックスに書き込む方針でやっていた。

通常の仕事のやり取りの時はそうやって出来るだけ話す機会を減らすようにして凌げたのだが、外国メディアの広告販売担当者が来社した時には、会議室でface-to-faceで情報交換をしなければならない。しかも世界中の主要なメディアの担当者が頻繁に来社した。大体は先方が先に自社のメディアの特性とか、ターゲットにしている視聴者や読者についてプレゼンテーションしてくれて、その時こちらはふんふんと聞いているだけで良い。ところが、彼らは日本側の広告ビジネスの状況や個別の広告主の動向を知りたい訳だから、それはこちら側が英語で説明してあげないといけない。まだ話すのが苦手だった頃は、それこそ上司や先輩に任せきりだった。英語が話せるのが当たり前の部署で、外国人が来るたびに思うように話せないのは、とても苦痛で情けない気がしていた。

何年か経つと、私の英語は多少進歩したが、それでも英語に対するネガティブな感情はずっと引きずっていた。

ところが、英語と並行して学ぶようになった中国語に対してはネガティブな感情が湧かないのだ。これはどうしてだろうと、それが随分長い間不思議だった。

それでは、今度は私と中国語の関係をお話しよう。

中国語との出会いは大学

実は中国語学習も英語と同じくらい歴史が長い。ただ、中国語の方はのんびり学んでいたし、今も英語ほど使いこなせる訳でもない。でも、心理的には中国語を口に出すことはそれほど抵抗感を感じない。

中国語に最初に触れたのは大学生の時なのだが、その時は自分は全くの初心者なのに、いきなり大学で中級講座を受けるという無謀なことをしたので、授業の内容は全く分からなかった。ただ中国語にはなぜか興味が湧いた。私の専攻は経済学だったのだが、発展途上国の経済についてのクラスで中国経済を学び、その頃ちょうど中国は改革開放路線に舵を切ったばかりで、これから発展する国であるという大きな期待があったのも中国語への興味に影響したのだと思う。

入社して3年目で中国担当に

その後、大学を卒業して会社に入って、さっき言ったように英語は必須だったのだが、入社3年目から6年目まで中国市場も担当するようになり、中国語も出来た方がよいということになった。

それで、自発的に自費で語学学校に通った。やがて簡単な日常会話程度は中国語で話せるようになり、また、会議中も単語を拾いながら話の内容をある程度推測できるようになった。

なぜか中国語は楽しい!

中国人が来社する機会も少なからずあり、上海、北京、広州には出張する機会もあったので、少しでも中国語を話せた方が良い場面がたくさんあった。そういう時、私が拙い中国語で何か言おうとすると、中国人がとてもポジティブに反応してくれた。当時はまだ中国語を話す日本人が少なかったこともあり、もうそこは私が喋っている中国語が正しいとか間違っているとかではなく、中国語を話しているお前は友達(朋友)だ、という雰囲気。こちらもそのポジティブな反応が嬉しくなって、どんどん知っている単語を繋いで、ジェスチャーを交えて伝えようとした。

その後、しばらく中国市場からは離れていたのだが、再び2005年から2009年頃に別の部署で中国担当になり、またしばらく期間をおいて、2017年〜2018年にかけて今度は上海に1年間駐在した。

苦境でも苦しさを感じない中国語

上海では2つのチームを率いることになった。一つは英語が話せる中国人チームA。もう一つが中国語しか喋れない中国人チームB。実はチームBには一人だけ流暢な日本語が話せる中国人社員がいたのだが、私が赴任して約一ヶ月で転職してしまった。要するに、チームAは英語で何とかなるが、チームBとは中国語でしかコミュニケーションできない環境に置かれたのだ。

コミュニケーションを取るのに不自由さは感じたが、それで辛いとか苦しいとかいうことはなかった。逆に、赴任して間もなく上海の中国語学校に週一回週末に通い始めて、そのために平日に予習復習もしていた上に毎日中国語に触れる生活をしていたので、どんどん自分の中国語が通じる場面が増えて来て嬉しかった。

こんな風に英語に接する時と随分と違って、中国語に対しては全くネガティブな感情が湧いて来なかった。そして、それが学習の成果にも大きく影響をしているのではないかと思うのだ。

学びはじめは感情が大切

少なくとも外国語を学び始めた頃には、その言葉を話すのが怖いとか、嫌だとか、恥をかいたらどうしようなどのネガティブな感情が湧いて来ないようにするのがとても重要なのではないか?たとえ言い間違いがあっても、気にせずにどんどん話し続けるようなマインドの状態を維持することが大事なのではないか?

私の場合では、英語に触れ始めた頃に、全くヒアリングとスピーキングを学んでいなかったので、知らず知らずのうちに苦手と思い込んでしまっていたし、読む・書くとのバランスの悪さが居心地の悪さを生んで、余計に英語に対してネガティブな感情を抱くということになってしまった。

一方、中国語ではスピーキング重視で学習をスタートしたし、話せば話すだけ相手からはポジティブな反応をもらって勇気づけられたので、どんどん前向きになっていった。

このように外国語を学び始めた頃に、その外国語の学習に対してどのような感情を持って取り組むのかが、その後の学習効果に大きく影響すると思う。

情動記憶

人は、ある状況とその時に感じた感情をセットにして記憶している。そして、同じような状況を再び経験すると予想しただけで、同じ感情が湧き出て来る。

また、人は何かをしようとする時に、記憶に照らしてどう判断し行動するのかを決定しているので、ネガティブな情動記憶と対になっている出来事と似た状況が予想されれば、それを避けようと無意識が働く。

要するに、過去の経験の情動記憶が今の行動の方向性を決めていると言えるわけだ。

でも、よくよく考えて見ると、これからやろうとする事に、過去の類似した状況で感じたネガティブな感情を再び感じる必要はない。起こり得る状況を想像して自動的に感情が湧き上がっているだけで、その状況が実際に発生した時に必ずそう感じる必要はない。

未来にはポジティブな情動記憶を

これから自分が未来に起こすことに対しては、ポジティブな感情が湧き上がるようにしてしまえばいいのだ。そして、実際にやってみた時にまた上手くいかなかったとしても、「私らしくない。次は上手くやろう」と言って、何度もトライすればいいのだ。

ただ、そんな風に思えるようにするためには、予行演習して十分に準備しておく必要がある。

未来の映像と感情を組み合わせる

まず最初にいま対処しようとしている状況と直接関係なくて良いので、自分が過去に上手にやって、楽しい・誇らしい・嬉しい・清々しい・気持ちいいなどのポジティブな感情を感じた出来事を思い出してみよう。そして、その時に感じたポジティブな感情をしばらく十分に味わってみる。その後、その感覚を保持したまま、頭の中で映像だけをこれからやろうとする苦手な場面に切り替える。要するに、感情をポジティブなものに付け替えてしまうのだ。

頭の中で映像と感情の組み合わせを変えるだけで、目の前で起きている物理的な現象を伴うものではないので、慣れると簡単にできると思う。

こうして、今まで苦手にして来た状況に遭遇しても、自動的にネガティブな感情が出てくることは無くなっていくだろう。逆に、その場面を思い起こすとポジティブな感情が湧いて来て前向きに取り組めるようになっていく。

英語が苦手という人はもちろん、何か苦手意識のある人はぜひ、試してみてほしい。


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