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【雪国リトリート】厳密に言うと違うけど、個人的にはそんな感じだった新潟2泊3日の旅を振り返る


3月の終わりに2泊3日で新潟へ行ってきました。新潟は昨年11月にも訪れているので、「再び」ですね。今回はその11月の際にお会いした方のお誘いでの来訪でした。色々な機会を頂いたことに感謝です。今回はその新潟の旅で感じたことを残していこうと思います。


雪国リトリートとは?


この note の表題にある【雪国リトリート】という言葉は、私の造語ではなく、雪国観光圏さんという一社法人の事業名です。

雪国リトリートのHPはこちらです。


「地域を再生し、私を再生する。」というモットーが素敵です。地域が主役なのがいい。地域復興事業なのです。事業として物凄く考え抜かれたのだなと感じます。

私は、昨年11月に魚沼市須原の地で開催された雪国リトリートのモニターツアーに参加しました。

そのときの記憶と記録を残した note がこちらです。13000字超という少々長めの note ではありますが、よかったら読んでください。


もともと「自然の中のリトリート」の興味があり、開催される場所には特にこだわりがなかったのですが、雪国リトリートに参加したことをきっかけに、新潟県に少し近しいものを感じるようになりました。

雪国リトリートのHPや、私の  note にもあるように、雪国リトリートが開催される地は「雪国観光圏」といって、新潟県・長野県・群馬県にそれぞれ所在する、魚沼市、南魚沼市、湯沢町、十日町、津南町、みなかみ町、栄町です。世界でも有数の雪国とのこと。

今回の2泊3日に私が訪れた地は、新潟県の魚沼市、南魚沼市、そして湯沢町でした。いずれも雪国観光圏の地です。雪国リトリートのプログラムに参加したわけではないので、厳密に言うと違うけど、個人的には【雪国リトリート】した気分になりました。

なお、今回の旅は魚沼市須原の雪国リトリートでお世話になった案内人さんのお誘いでした。貴重な体験をする機会を頂き、本当に感謝です!




東京から新潟へは意外と近い


昨年11月に雪国リトリートに参加するまで気づかなかったのですが、東京駅から新潟県の越後湯沢駅まで、新幹線で1時間半を少し切るくらいなのです。片道6500円程度で行くことができます。

都内のどこに住んでいるのかによりますが、東京駅、上野駅、大宮駅への便がいい方は、新潟まで2時間かからず辿り着くことができます。

もちろん越後湯沢駅が終着の旅ではなく、他のエリアに足を延ばすとなるともう少しかかるけど、でも、意外と近いなと思いました。越後湯沢駅を新潟県の入り口と考えるといいです。

寂しい感じがした六日町
今回2泊3日した宿は、六日町というところにありました。南魚沼市にある宿場町です。越後湯沢駅から上越線かほくほく線で20分程度で、六日町駅に辿り着くことができます。

宿は六日町から歩いて向かうことができました。20分から30分くらいでしょうか。・・・いやあ、何もない、誰もいない、なんと寂しいのだろうと感じながら歩きました。

あの、お店もあるし、車の往来もあるし、建物の中に入ると人の気配はするし、何もない訳でも、誰もいない訳でもないのです。ただ、世界一の人口密度を誇る東京から訪れてしまうと、なんと寂しいのだろうと感じてしまいました。

六日町の駅を降りて印象的だったのは、図書館です。黒い外壁の新しい建物で、中に足を踏み入れると、天井が高くゆったりした空間に本がたくさんあって、僅かに数名いらした人々はみんな静かに本をめくっていて、いい図書館だなと感じました。


魚野川




ryuon(龍言)での「さかとケ」体験


2泊の滞在をしたのが、ryugon(龍言)という「古民家ホテル」でした。


ただ、ここには一般のお客さんとして滞在したわけではなく、「さかとケ」というプログラムを利用しました。

旅行サイトを調べていただくと分かるのですが、ryugon はいわゆるハイクラスのお宿です。1泊ならともかく2泊もなると、かかる宿泊料は、かなりの覚悟が要ります。代わりに近場の海外に行きたくなるくらいです。

「さかとケ」とは、ホテルのお仕事を手伝いつつ無料で滞在できる仕組みです。素敵なHPが用意されています。



このプログラムの利用は私にとって新鮮な体験でした。少し簡単に振り返ってみたいと思います。

ホテルのお仕事を手伝う
初日は夜のワークをお手伝いしました。ダイニングの厨房にて夕食の皿洗いをするのです。業務用の食洗器を活用しながら、膨大な量、膨大な種類の食器たちをどんどんどんどん片付けました。17時から22時までの5時間、ひたすら下洗いする、食洗器に入れる、拭く、しまう、の繰り返しです。一回だけ辛うじてお手洗いのために場を抜けましたが、休憩無しの一本勝負みたいな時間でした。

ホテルの厨房または飲食店でご経験がある方は、その労働量がなんとなく想像がつくかと思います。ryugonのダイニングでは和のコース料理を提供しているので、器も様々だし、グラスも飲み物に合わせて6~7種類あって、難易度が高めだったのではないかと・・・。

この夜のワークは、がっつり働いた!という時間でした。もうね、22時に「おつかれさまです」と声を掛けられたときには、心底ほっとしました。なんとか乗り越えられたと思って。

現在の私は、活動量の本当に少ないフリーランスの身ですし、またそれ以前のおよそ10年はデスクワークがメインでしたので、久々の立ち仕事は本当に疲れました。ワークを終えてから飲んだ炭酸が美味しかったです!

そして3日目の午前中に、朝ワークに入りました。やはりダイニングの厨房にて朝食の皿洗いをすることからスタートしました。この日は私以外にもお二人の「さかとケ」利用の方がいらして(私をこの旅に誘ってくださった方です)、3人がかりでの参加でした。忙しく感じる時間帯もありましたが、もう初日の夜のワークに比べたら断然楽ちんで、それこそ「お手伝い」という感じでした。

朝食の皿洗いが一区切りすると、客室清掃のお手伝いに入りました。これが、とても楽しめました。ryugon の客室の写真を、是非ご覧いただきたいです。どの部屋タイプも広々としていて、リビングエリアが十分にあって、露天風呂がついていて、和モダンな雰囲気が本当に素敵なのです。このお部屋に足を踏み入れるだけでも、楽しい気分になれます。「お手伝い」だからこそ感じる感覚なのだと思いますが。

ここの客室清掃は、複数名でチームのようになって取り掛かっていました。そこに私たちがお邪魔する感じです。掃除機かけたり、モップしたり、ベッドのシーツをはいだり、トイレ掃除したり、お風呂拭いたり、その場その場で少しずつ体験させて貰いました。

私が「さかとケ」のワークをお手伝いしてみて感じたのは、これは真に「お手伝い」であって、ホテル側のメリットは無いに等しいのだろうな、ということです。たとえば、人件費削減に繋がるというような策ではありません。業務フローも「さかとケ」を前提に組まれているわけではありません。スタッフの方の私たちへの説明も、その人その人なりで、実に効率は置き去りにされていました。(ここはあくまで一個人の感想です。)

そういう仕組みに留めた「さかとケ」のセンスが素晴らしいと思いました。私たちはお手伝いすることで1泊できるし、スタッフの方はお手伝いがあることで日々の業務がほんの僅かでも軽くなります。お互いに「ありがとう」と言い合う関係が成立します。

なんて鷹揚で、懐の深いお宿なのだろう!と感じる体験でした。私たちを迎え入れてくれるスタッフの方々に感謝です。

もう長く経験されていると思われる年配の女性スタッフの方が、新潟からほとんど出たことがないという地元の方で、一人称が「オレ」で、客室清掃の教え方(やり方ではない)もなかなかに大雑把で、ひっきりなしにお喋りしてくれて、楽しい方だなあと思いながらお手伝いしていたのですが、客室を出たところの廊下でふと宿泊のお客様に出くわしたときに、すっと背筋を伸ばして、はっきり凛とした声で「ありがとうございました。いってらっしゃいませ」とご挨拶されたときは、物凄くカッコいいなあと感じました。スタッフの方はみなプロフェッショナルでした。

最後に敢えてアドバイスをするなら、夜のワークはお友達と一緒に複数名で参加することをお薦めします。朝のワークは私が体験することの無かった大浴場清掃があります。どんなかしらね。


シンプルな自分のお部屋が与えられる
ワークをする代わりに無料で滞在できるお部屋は、実は ryugon の客室ではありません。同じ敷地内に専用の宿泊部屋が用意されています。

25㎡はあると思われる広々ゆったりしたお部屋です。ビジネスホテルのシングルルームより、ずっといい雰囲気です。


羽根布団があたたかかった
デスクもあります
デスクに並んでいた本たち
3点ユニットバス付き


このお部屋はワークをすれば無料ですが、ワーク無しの有料で宿泊する選択肢もあるようで、その際は1泊7700円のようです。それにしても安いと思います。

写真は載せていませんが、ホテル客室によくあるような小さな冷蔵庫と、割と広めのオープンクローゼットと、金庫もありました。タオル、スリッパ、アメニティ類もあります。

退出時に自分で清掃することも、ワークの条件に入っています。デスクの上に説明書きがありますし、普通のお部屋の掃除と変わらないので、気負う必要はないです。

唯一、私が辛いと感じたのは、初日の夜のワークから戻ってきたときのことでした。5時間の立ち仕事の後に、硬い木のフローリングを歩くのはしんどかったです。地味に疲れた足に響きました。


ryugon の空間も十分満喫できる
さて、宿泊部屋こそ「さかとケ」専用(あとはインターンの方が利用されていた)ではあるものの、大浴場やラウンジなどは、一般の宿泊のお客様と同じように ryugon の施設を利用することができます。

もうね、それだけでも十分 ryugon を満喫した気分になれます。特にいくつかあるラウンジがどれも素敵なのです。


座り心地も寝心地もよかった、赤いの
広々和室
「籠る」居心地が良かった


ラウンジは夜の12時まで開放されていました。一般の宿泊のお客様もちらほらお見かけしましたが、なにせ彼らには素敵な宿泊部屋があるためか、ラウンジは静かでした。本当に居心地が良かったです。

最後に外観写真も載せておきます。古民家の風情が素敵ですね。





私にとって過酷だった「間伐材の雪上搬出体験」


ryugon には2泊し、ワークは初日と3日目にしたので、2日目は一日フリーでした。今回の旅にお誘いしてくださった方が、ちょうどこの日に開催されていたイベントへの参加を提案してくださいました。

それが、魚沼市大白川の「間伐材の雪上搬出体験」でした。

積雪に覆われたブナ林に入り、ブナ間伐材の伐採見学と雪上搬出体験をする、というような文言が案内に載っていました。私は物凄く軽い気持ちで、参加してみたいと思ってしまったのです。

いやあ、想像をはるかに超えて過酷でした!!!私にとっては!!!

これは体験後数日経っているから言えることですが、本当に途中で挫折するかと思いました。生きて帰ってこれて良かったです。

ブナの木を間伐するとは
ブナの森林を永く健やかに保全するために、充分育ち切った木を間伐し、若木が育つ余地を与えるのだそうです。

間伐をせずに放っておくことで、ブナの木は無計画に伸び放題となり、すみずみまで光の届きにくい鬱蒼とした森となり、結局は枯れ木ややせ衰えた木が増えてしまうとのこと。

自然に人間が手をいれることで、健全な森を作ることになるのですね。

間伐した木はその場に放置するのではなく、運び出して活用します。その運び出しの作業は、積雪のある冬の間にすることが多いのだそう。雪の上を滑らせて運ぶのですね。

今回は、その作業の体験会でした。

雪山を歩いて登る
さてそこで、・・・何が過酷だったかと言うと、「雪山を歩いて登る」ことです。

事前に頂いた案内には、間伐搬出現場まで「雪上を20分ほど歩きます」って、やさしい丸いフォントで書かれていました。私はこれを読んで、なんとか大丈夫だろうと思ったのです。というか、そんなに大変なことだと思わなかったのです。

実際には「雪山を40分ほど登ります」が正しい表現だったと思います。

それがね、全く経験の無い、体力の無い、体が重い、運動不足の、40代半ばの女性が「雪山を歩いて登る」って本当に大変でした。歩き始めて3分くらいで、もう駄目だ・・・と思いました。本当に。

ひと冬かけて積もった雪の上を歩く、雪山を登る、ってコツがいるのですね。私はとにかく長靴が雪の中に深く埋もれてしまい、一歩、一歩、ズボッと雪に沈み、沈んだ足を引っ張りだし、また沈み、引っ張りだし、の繰り返しとなり、歩くというか、もがくという感じでした。

ところが、他の参加者(なんと総勢69名もいらした)の方は、みんな軽々とザクザク歩いていくのです。まあ、少なくとも私にはそう見えました。時々ズボッって足を雪に深く踏み入れる方もいらしたけど、なんということもなく、スポッと抜いて、ずんずん進むのです。

列をなして歩いていたのに、私のところでどんどん歩みが遅くなるという事態に。わーん!もう、私のことは置いていってくださーい!という気持ちでした。少しずつ後ろの方に道を譲って、先に進んでもらいました。

そしたら、とある女性の参加者の方が、ご自身が履いている「かんじき」を貸してくださったのです!!!

「これを履くと歩けるから、私は慣れているから大丈夫だから、むしろ脱ごうと思っていたところだから!」と、本当に気持ちよく貸してくださったのです。「かんじき」が初めての私の長靴に、装着してくださったのです。


初めてのかんじき


わーん!もうだめだ!と思っていたところに、この赤い「かんじき」を履かせてもらって、もうね、ずっとずっと歩きやすくなりました。少なくとも、もがく、から、歩くに動作が変わりました。

今回のこのイベントは私のように県外からの参加者もいるにはいましたが、ほとんどの方が地元の方でした。少なくとも、雪山に慣れていらっしゃる方が多かったです。

集合したときに、ご自身の「かんじき」を手に持っていらっしゃる方が何人もいらして、それを私は不思議な思いで見ていたのです。「かんじき」って、なんとなく昔の方が使っていた道具だと思っていました。でも、それは物凄い勘違いでした。

かんじき(樏、橇、檋、梮)は、の上など不安定な地面を歩くための民具わらじなどの下に着用する。履くと接地面積が増え体重が分散されることから、雪に深くめり込まず、さらに斜面などでずり落ちにくくする効果がある。

wikipediaより


wikipediaの説明読むだけでも、時代は関係ないな、って分かりますね。この説明通り、足が雪に深くめり込まないので、本当に歩きやすくなりました。

「かんじき」を貸してくださった方は、もちろん地元の方で、とても雪深いところにお家があるとのことでした。慣れてしまうと、「かんじき」を装着しなくても、雪の上を難なく歩けるようになるようです。

自分の「東京育ち」を痛感する時間でもありました。


いざ、間伐材の雪上搬出体験
雪上を20分ほど歩いて、ではなく、雪山を40分ほど歩いて、ブナの森林の間伐現場に辿り着きました。間伐の作業は既に事前に終えられていて、あとは所定の場所に運び出すだけとなっていました。



そうそう、写真に写っている方々のように、私もヘルメットを被って、上下防水のレインスーツを着込んで、滑り止めのついた軍手を履いて、そして「かんじき」を装着していました。

雪山に転がった丸太たちを運ぶのは、これまた初体験でしたが、雪山を歩いて登るよりずっと楽でした。中には女性の方も、年配の方もいらして、あと学生さんも多くいらして、みなさん親切に声を掛けてくださいながら、一緒に作業しました。


雪山中腹に集める
ブルーシートを活用して運ぶ


まあ、一緒に作業するといっても、なにせ雪山を歩きなれない私は動きが遅く、それを見てらしたのか、ベテランのおじさまが「細めの丸太を肩に担ぐとひとりでも運べる」と教えてくださって、それを黙々とこなすことにしました。

間伐材の搬出作業が終わったあとには、一本のブナの木を実際に間伐する現場を見学することができました。近くにいると誤って倒れてきたブナの木に下敷きになる可能性があるなど、とても危険な作業なので、遠目から見守りました。


倒れていく木
倒した直後の木
見上げると倒れた木の分の余白が


搬出作業が終わると、今度は雪山を歩いて下りました。下りは下りで歩くコツが要りますが、登りより気持ちを楽に進むことができました。


スノービーチ材の活用をみんなで考える
雪山を下りると、お昼ご飯の時間でした。近くの「山菜会館」(ネーミングも妙ですが建物もまた時代を感じるものがありました!)で、熱いお味噌汁をいただきました。また、私は手作りのお弁当までいただいてしまいました。ほっこりしました。

このお昼ご飯の時間に、主催者である大白川生産森林組合の方の思い、間伐したブナの木を「スノービーチ」と呼んで活用するグループのみなさんの思い、この企画をずっと支援されている方々の思いをそれぞれ聞くことができました。家具職人の方や、木工職人の方の作品を見ることもできました。

雪国リトリートのモットーにあるように、ここでも「地域を再生する」ということに真剣に取り組まれているのがよく分かる時間でした。





さてさて、長くなりました。印象的だった2つの事柄をいっぱい書いて、気持ちがすっきりしました。

私は3月31日の夜に東京に戻りました。「さかとケ」でのワークや「雪山を歩いて登る」経験でよれよれだったので、いつ筋肉痛が来るかと恐れていましたが、そこまでには至りませんでした。やれやれ。

普通の観光とは違う体験をした2泊3日でした。ワークや雪山を歩いているときに、ふと「自分と向き合っている、内省している」自分に気づくことがありました。面白いですね。まさに、【雪国リトリート】をしているなと感じる瞬間でした。

新潟でお会いしたみなさんに感謝です。またいつかふらっと行くことになるかな。美味しいごはんを食べにいきたいですね。



冒頭の写真は大白川エリアにあるダム湖です(た、たぶん)。雪山を登っている途中で撮りました。湖は白く凍っているように見えましたが、そうではなく、湖面に雪が積もっている様子なのだそうです。神秘的ですね。

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