東北に阿部寿樹、阪神に矢野輝弘

コブ山田です。

ようこそいらっしゃいました。

今回は、トレード移籍について、記します。

2023年04月13日(木)、東北楽天ゴールデンイーグルスは阿部寿樹の出場選手登録を抹消しました。

昨年オフに涌井秀章とのトレードがあり、故郷東北に戻ってきました。
03月30日(木)の開幕戦は奇しくも新球場初戦であるエスコンフィールドHOKKAIDOでの東北楽天戦であり、その開幕戦からヒットを放つ活躍を見せます。
北海道日本ハムのアリエル・マルテぃネスと1塁ベース上で並び立つシーンもありました。

しかし、その後打撃不振に陥ってしまいました。パ・リーグのピッチャーへの適応ができていなかった様子です。
04月の登録抹消前の打率は.107。その数字がありありと示しています。

一方で中日の選手になった涌井は04月01日(土)東京ドームでの登板を皮切りに先発ローテーションの一角を守り抜いていました。
春先の話ですが、最低でも05回04失点という成績です。大野雄大が離脱してしまっている状況下で健闘していると言えます。
一般的な打線の援護があれば勝ち投手になっていた試合も複数ありました。

この様子から、中日は余剰戦力で安定感のある先発投手を獲得したというコメントを複数見ました。

ところが、夏場になるとこれが変わってきます。阿部は08月絶好調。1軍の試合でホームランを打ちます。

一方で涌井は同じころ、1軍で勝利投手になれず登録抹消されていました。2軍で投げていました。

最終的に、2023年オフの契約更改では涌井は現状維持で阿部は減俸という結果でした。

これを受けて、お互いにプラスを生まなかったトレードだというコメントを見ました。
しかし、私はそんなことは思っていません。何年も経たないとわからないものだからです。10年後でも早いぐらいです。
本当に長い年月を経て答えが出たトレード移籍劇を見ていたからです。その答えは今後また変わるかもしれません。

1999年09月30日(木)。中日は明治神宮野球場にて勝利しセ・リーグ優勝を決めました。
1999年の中日を語るに欠かせない人物のひとりが関川浩一です。外野の一角を守り抜き、打率は.330。
MVPはピッチャーの野口茂樹でしたが、バッターでは関川の名前は必ず出ると言っていいほどの大活躍でした。
まさに本人の長所が活きやすい環境にて活躍できた例です。

同様に久慈照嘉も安定した守備で夢をかなえてくれました。星野仙一監督が東京の空に舞います。

そのシーンをホテルのテレビで見ていた人物がいます。名前は、大豊泰昭です。
実は、まさにその関川・久慈とのトレードで中日から阪神に移籍していたのが大豊だったのです。そのまま中日にいれば自分も星野監督の胴上げに参加できたかもしれない。
どうして自分は中日ではないユニホームを着ているんだろう、と寂しい思いでそのシーンを見ていたと発言していました。

トレードの成立は1997年10月です。
その時点では何もわかりません。ただ、1999年に中日がトレードで加入した関川と久慈が優勝に貢献し、片や大豊が最下位に沈むチームに所属している。
中日側の視点だと、大儲けのトレードだったと言う人が多数のはずです。
2000年オフには大豊が中日に復帰を果たします。2002年まで、中日に関川、久慈、大豊が所属しているという状態でした。
1998年~2002年は阪神が中日以上の順位になったことはなく、中日が得をしたと言っていい状態であり、私はそう思っていました。

それは2002年までは、です。
2003年から流れが変わり始めます。中日に所属していた大豊と久慈が退団します(大豊は引退、久慈は阪神に出戻り移籍)。関川は中日の外野手として出場を続けるも福留孝介の外野コンバートなどがあり、2003年こそは盛り返すも2000年以降の成績は下降線でした。
2003年の阪神は多くの新戦力を擁し09月15日(月祝)にセ・リーグ優勝を決めてしまうほど圧倒的な強さを見せました。
縁の下の力持ちである正捕手として支えたのが、矢野輝弘でした。

矢野も、実はもともと中日の選手でした。1997年、大豊と同時に中日から阪神にトレードで移籍しています。
中日では味わえなかった優勝を、阪神の選手としてではありますが体験することができたのでした。それも主力としてです。

両チーム優勝した。久慈は両方で優勝できて大豊は優勝できなかったことで完全にイーブンではありませんが、阪神にも大きな利益が発生したのです。
阪神はその後2005年にもセ・リーグ優勝。矢野は同じように正捕手として戦い抜きました。そのころ、関川は中日を離れて東北楽天ゴールデンイーグルスで外野の一角を守っています。

このトレードは阪神に大きな利益があったと言えるできごとは、それから10年以上経ってから決定的になりました。
2018年オフ、阪神は矢野輝弘改め矢野燿大に1軍監督就任を要請し、受諾され阪神矢野監督が誕生しました。

2022年までの04年間で、阪神は優勝こそはできずもすべてAクラスでありクライマックスシリーズの常連でした。
安定した強さを持っていたと言えます。1軍監督としては立派な成績です。

一方、関川は東北楽天で引退後に2012年から2014年まで阪神のコーチを務めており、中日には2005年以降在籍していません。

こう考えると、1999年の時点では完全に中日が得をしたと思えるトレード移籍劇でも、20年後に大きく逆転していることもあります。
2022年オフに中日から阿部寿樹と京田陽太がトレードで退団しました。前年オフにはFAですが又吉克樹も退団しています。
そして代わりに迎え入れた選手たちがいます。

中日の視点で書いてきましたが、その2022年オフは阪神にも動きがありました。
25年前のトレードの当事者であった矢野が監督を退任しました。別の動きでは、トレードで北海道日本ハムから渡邉諒と高濱祐仁が入団しました。
トレードが何年後にどのような結果になるかわからない、というのは阪神ファンの方も感じていると私は思います。

関川と久慈が中日へ移籍し、大豊と矢野が阪神に移籍することが決まった1997年から25年ほどの歳月が経過した現在、一般企業でも成長分野へ人の移動を促す動きがあります。リスキリングという言葉の流れで出てくる話です。

プロアスリートだけではなく一般的な社会人にも当てはまることです。環境が変わったことは、長い目で見て考えたい。
阿部寿樹と涌井秀章、砂田毅樹と京田陽太、そして関川浩一・久慈照嘉と矢野輝弘、そして天国の大豊泰昭を見て改めて思ったのでした。

ありがとうございました。

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