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a girl from Kyoto 番外編 伯母の引越し その2

ナーシングホームへ入居した伯母。
あれから3年余り。

要介護1だった伯母はこの三年間で要介護5へとなった。

施設で過ごしていた伯母の暮らしに変化が訪れた今夏のこと。

八月末のお昼間。
施設から昼食後、伯母の様子がおかしいから救急車を呼びますと電話が入った。

誤嚥性肺炎。

入院先では口から食事を摂ることが厳しく管を通して栄養を体内へ。

体力的にも年齢的にも口での摂取は今後難しいとの判断になり施設を退居し、療養病院へ転院する運びとなった。

小さな頃からたくさんお世話になった伯母。
私の家の近くの病院へ転院しました。

施設に居る頃は水分摂取と食事が生活の全て、と言わんばかりに苦労していたけれど入院先では水分と栄養が点滴から安定して体内へ入る為、本人の肌艶はとても良くなり面会時には笑顔で手を振っていた。
その手には点滴チューブを外さないように水色のミトンが装着してあるのでミトンの中の手がどんな動きをしていたのか本当のところは謎だけれど。
満面の笑みを魅せる姿から想像するにきっとハロー、ハロー、という感じで手を振っているのだろう。
そのミトンをした姿は言葉を選ばなければゆるキャラ感が満載でなんとも可愛いのだ。
拘束、と言ってしまえばそうなのだが命を繋ぐためのミトンだよ、と頷く。

手を振る伯母を見ていると最期まで穏やかに過ごして欲しいと強く思う。

本日、お世話になった施設へ伯母の荷物整理へ行きました。
帰りの電車に揺られながら伯母の荷物を見つめているナウ、です。

九十年生きて
今、彼女の荷物は大袋三つ。

たった三つなのか。
三つもあるのか。

隣で母が
三つか、と呟いている。

小春日和。

伯母が好きなさだまさしの秋桜と僕にまかせてださいを耳元に。

伯母の荷物には
趣味だった習字の作品や伯父の表彰状。
写真。
そして縁起担ぎの五円玉。
カセットテープに記された私と姉の名前。

このカセットテープに何が録音されてるんだろう。

伯母が書いた私の名前を見ると胸がギュッとした。

とても好き。
そしてとても尊敬している。

それが私の伯母です。

時間がゆるす限り会いに行こうと思う。