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退職読書日記 ♯1

思えばここ二か月、快楽としての読書はとんとご無沙汰で
これは、わたしとしてはかなり悪魔的状況なんじゃないか。

これまでの人生、
アレをやらかしたときも、ソレに傷ついたときも、コレに泣かされたときもいつだって寄り添って励ましてくれたのは本だったでしょうよ。
(ときに馬鹿にされ罵られ蔑まれて、それもカイカンだったじゃないか)

それなのにわたしは、3月4月の卒園入学というモーレツタスクに青筋浮かべて対峙しているあいだ

読書の純然たる喜びから遠ざかって、読書人の矜持たる偏屈、偏愛、頑固さをそのへんに放っていた。
情けない情けない。
人生の参考書として、すぐさま役に立ちそうな育児書や自己啓発本を読む。
絵本やエッセイをぱらぱらとめくる。
kindleUnlimitedをのぞき見する。
無料漫画をどれどれと試してみる

そういう、いわば実用的な読書はしていても
それは、なんというか、取扱説明書を読んだり、テレビのザッピングと同じ程度のものであって、必要に迫られたがゆえの、あるいは低負荷で無気力な時間の過ごし方でしかなかった、のではなかったか。

私は本棚にささったままの、緑の、比較的薄い単行本を睨む。
「我が友、スミス」
文芸ですね。
芥川賞候補にもなっていた、おもしろそうで、考えさせられそうな、たのしそうな本だ。

どうして私はこれを読んでいないのか。
そういえば序盤、三分の一にはいかない、四分の一くらいかな、というところで読み止まっている。ごめんね。

読みたいのに、全然つまらなくないのに、私の余裕がないばっかりに、
サプリメントやプロテインみたいに、すぐ役立ちそうな、だけど嚙まなくてよい本ばっかり読んでいて、
噛み応えのあるごはんやお野菜は後回しにしていたよ。胃腸が弱っているときみたいだ。
不甲斐ないよ。昔はもっと食べれたんだけどなーって焼肉でぼやく中年の気分だよ、中年だけど。

表紙をさする、私のかすれたネイルも緑色だった。
追われることばかりで、毎日呼吸が浅い感じの二か月を駆け抜けて
そうだ、私は退職しようと思って、というかそう思っていたことをちゃんと自覚して、そうしたら私はちゃんと本を読めるようになる。

ゴミみたいなネイルの指でページをめくって、読み始めたら
あっという間に読み終えてしまった。

主人公が、いざ勝負の直前、ただ自分のすべき目の前のことに全力で取り組んでいること、それができることに多幸感を感じるシーンがあって、
その文章を読む私も多幸感に痺れちゃう。味わって、メタ。

「腕立て伏せの間、私の胸には奇妙な感慨が芽生えた。多幸感とでも言おうか、私は、自分は幸せだと感じたのである。気の済むまで、誰にも邪魔されず、自分の身体を鍛えられること。それだけの時間と、金と、環境と、平和と、健康な身体が、私の手中にはあること。つまり、私は例えようもなく自由だということ。この瞬間がどこまでも続けば、私は何も言うことはない。」

「舞台裏で一人、黙々と腕立て伏せに励むこと。
これ以上、一体私が何を望むだろう。」
            

(石田夏穂「我が友、スミス」P121)

本を読めるって幸せだ。

さて、私は退職に向けて歩こうか。
もしかしたら、253日後の私は考えが変わって退職をやめているかもしれない。もっと早く辞めているかもしれない。

でも、とりあえず読もうか。


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