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退職読書日記 ♯10

11月5日(日)
 三連休の終わりはいくら早起きしても、起きた瞬間から「きっと足りない」に支配されて罪悪感と焦りでスタートする。さすがに11月でこれは暑すぎでは、と半そでTシャツ姿の自分が不安になる。不納得感をすこしでも薄めるためにブランケットを膝にかけた。 
 あの本も読みたい、気になっていることを書き出したい、いつもより丁寧に掃除もしたい、裁縫もしておきたい、ヨガもしたい。でも、この時間に起きたってことは家族が起き出してくるまでに全部を満足いくまでやりきることはできないだろう。5時40分だった。
 焦りと、すぐにベッドから抜け出せなくてスマホであの記事を読んでいた10分だって切り詰めればよかったのに、という罪悪感でますます体の動きが鈍くなる。
 いいかげん出来なかったことを数えるのをやめて、完璧にはなれない自分を許せばいいものをなあ。完璧主義じゃないし~、超適当でズボラだよ~、とへらへらする面があるのは間違いではなく、でも休日を有意義にしたいという点については私はかなりストイックだ。
 昔はもっと呑気やポジティブの配合が大きかったんだけどな。

 自己効力感/自己効力感/大きな石理論/重要だが緊急ではないこと/PDCA/スモールステップで習慣化/インプットとアウトプット

 たくさんのビジネス書や啓蒙的なSNS、刺激をくれる人たち、それらから取り込んできた言葉や考え方は私をきっと「成長」させてくれたはずだし、できることも増えた。でもその分「そうはできない自分」もクリアになってしまって、その明らかにされた駄目な自分を受けいれるほどの器がまだない。
 育児書を読んで、やるべきこと(ポジティブな肯定的な声掛けをしましょう、子供に敬意を払いましょう、早寝早起きが基本です、機嫌よくいましょう)と、やめるべきこと(スマホを置いて子供と向き合おう、否定的な言葉はやめましょう、叱ることは無意味です)を知ったとて、できなかった自分に落ち込む、そいいう仕組みだ。
 
 今後の手堅い雇用と平均的な賃金が守られている公務員としての身分を捨てたのは、なんというか、一発逆転して努力以外で「時間」というものを手に入れたいという捨て身の飛び込みだった。
 さて、できることは増えたんだろうか。
 時間がないのと余裕がないのはイコールではない、と最近Voicyで聴いて非常に納得した。じゃあ、余裕やゆとりを持てない考え方をしていたら、私はいつまでたってもキリキリしているままということか。
 
 5時に起きても遅かったと自己嫌悪になる私は、余裕があるとはいえないだろうね。手帳にびっしりと三連休にやりたいことをリストアップして、引いた線に恍惚として、残ったタスクにイライラして自分や近しい人を責める感覚は貧しいよな。
 
 昨日は図書館で久しぶりに、いかにも自分が好きそうなラインナップの本を借りた。ぶらぶらと書架の間をパトロールして、ときめくものだけを借りていたのはたぶん10年くらい前までだった。
 だから昨日は自分を取り戻すように、いかにも、な本を借りてすごく楽しかった。
 「東京23区お土産散歩/たかはしみき」「絵本作家の日記2/長新太」「東京おさんぽノート12カ月/菅澤真衣子」「東京みちくさ案内/香奈子」「大人の旅じたく/柳沢小実」「幸せのしたく/内田彩仍」あとは着物の本を2冊。どうやら私はどこか、近くて小さな旅をしたいようだった。
 
 まず長新太さんの日記を読む。しびれた。
 絵本は何冊か読んだことがある。この人はナンセンス作家というくくりにされていたような気がする、たしかにシュールでつかみどころのない絵と文、作風だった。
 日記も間違いなく捉えどころはない、のがいい。
 多くを語らずのほほん、の背後にすごい強気のアウトローを感じる。超ロック。
 
 なるべく深く考えずにだらしなくて緩い人間だと思われたいのに、本当はストイックなガリ勉タイプで、残念なことに地頭はそんなに良くない、社交的に振舞って人見知りせずににこにこして話すことができてコミュニケーションは得意、だけどその全部が好きではない、という自分をそろそろ受け入れたっていいだろう。
 長新太さんの本にはそんなわかりやすく頭を撫でてくれるような優しさは直接書かれてはいないかったけれど、書かれていないものに気付くということだって、ある。 

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