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退職読書日記 ♯4 理想の夏読書がしたい

梅雨に入った途端に暑くなるのは毎年のことで、家の中にいてもじっとりと水に囲まれているような雨の日と、強烈な陽の光にじりじりと焼かれる夏日が交互にやってきて、私のなけなしの体力をかっさらっていく。
かわるがわる蒸し料理と鉄板料理にされているようだ。
昨日は暑かった。今日も暑そう。

夏に向かっていくと、夏らしい読書がしたくなる。
夏らしい、っていうのは、まずは夏が舞台の小説であるとか、タイトルに夏が入ってるものが定番。

例えば、「夏季限定トロピカルパフェ事件」「ハローサマー、グッドバイ」佐藤多佳子さんの「サマータイム」とか?「夏への扉」は当然入るか。
森見登美彦さんはどれも夏の京都が読んでいて楽しいけど、夏!として挙げるなら「宵山万華鏡」かしら。

あと個人的には夏目漱石の「こころ」

夏だけの話じゃないし、太陽の眩しさとは真逆の低温小説と思われるむきもありましょうが、私はあの小説の海水浴のシーンが好きなもんだから、私の脳内では夏っぽい小説ってことに分類する。鎌倉で泳ぎまくる夏、いいなぁ。
海って私の生きている時代ではレジャー目的でいくところであって
(遊ぶだけではなく、うっとり眺めるということも含める)健康増幅のために海で泳ぐか~
とはならないだろう。もちろんそういう方もおられようが、日々の運動として「体を動かす」という目的を達成するために海水浴をするのは、ちょっとばかし工数が多すぎる。
 海辺まで移動するか逗留して、着替えて、砂まみれになって足裏火傷しながら塩水に入って、めっちゃクロールするってのもなんか違うけど波に揺られながらバタ足してみたりして、海から出たら出たでどこでどう着替えるのがベストか問題をクリアし、この全身のべたつきと磯臭さを早く一掃したい!洗っても洗っても砂鉄のように引っ付いてくる砂!と最後まで戦う。

 海大好きな人はきっと気にならないだろう、楽しめるだろうことが私には気になってしょうがない。これらをクリアしてまで海水浴という運動をしようとは思わない。いや海大好きな人だって、海の解放感が好きとか、みんなではしゃぐのが好きとか、泳ぐ以外のマリンスポーツが好きとかが多いんじゃないか。
「こころ」の海水浴、健康目的の全身運動として海水浴…

そこが昔っぽくて、それが文学っぽーい!!すき!共感してくれる人いるかなぁ…

昔の変わった習慣や現代とは乖離した常識、が出てくると文学的トキメキを感じるんだ…

戻そう。
自分の中のイメージとともに味わう夏っぽい読書が好き。
読む姿勢及び環境としては、畳か板張りの床に敷いたゴザの上に寝転ぶかあぐら。床に置いたお盆にはグラスにびっしり水滴がついた麦茶。三ツ矢サイダーやラムネでもいい。その場合は瓶で。ビジュアル的にはガリガリ君やスイカバーを片手に持っていると雰囲気がでるが、実際のところ垂れてくるアイスが気になって仕方ないから、じゃあ一章読んで休憩の時に食べることにしようか。なお送風は扇風機とうちわのW使いで。

読み疲れたら昼寝して、寝汗かいて起きる。
気付いたら夕暮れ。蝉の声。窓からカレーの匂いが流れてくる。
風鈴がチンと小さく鳴った。

これよこれ。これが理想の読書よ。

今は三浦しをんの「好きになってしまいました。」を読んでいる。久しぶりの新刊エッセイだ。
三浦しをんさんのエッセイは、ずーっと読み続けている。自分よりちょっと上の世代のしをんさんを追いかけて年取ってきた感覚がある。
新しいの出た、読まないと。って、本の内容よりもっと外側の理由が読む理由になることもある。

昨日は高瀬隼子さんの「犬のかたちをしているもの」を読んだ。
最近の純文学、しかも新人賞系を読みたくなる病気を定期的に発症するのだが、これもその発作の一つで、本屋で即決購入してすぐ読んだ。

あー理想の夏読書がしたい。
畳とラムネと昼寝が似合う理想の夏読書がしたいんだ。

結局は読んでる間にも洗濯もの乾いたかなとか、夕飯何にしようなんて考えてしまうんだけど。

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