違和感というエンターテインメント

あなたはTempalayというバンドを知っているだろうか。

読みは「テンパレイ」。音楽サイト各所で「サイケデリック・ポップ」と評される、日本の3ピースバンドである。

公式のバイオグラフィーにはこんな謳い文句が躍る。

「西海岸周辺の海外インディーシーンを感じさせる新世代脱力系サウンドに中毒者が続出中!

「脱力系」「中毒」…この紹介文を読んだとき、私がTempalayを初めて聴いてからずっと抱えていたモヤモヤが、スッと腑に落ちたような気がした。

そう、「モヤモヤ」。「違和感」と言い換えてもいい。それがTempalayの魅力を語る上で、かなり重要なキーワードになっている。





数か月前にふとしたきっかけで代表曲の『革命前夜』を聴いて以来、私はあっという間に彼らの魅力に憑りつかれていった。ヒタヒタと足元に迫りくるこの見たことのない色合いの沼に最初こそ怪訝な顔をしたものの、次第に私は躊躇するどころか、不思議なほど自然にこの沼に自らの身を投じたのだ。

ドキドキして胸が苦しくなるでも走り出したくなるように高揚するでもなく、どこか淡々としたテンションでその奇妙な引力にぐるぐると絡めとられてしまう。そういう沼があることを、私はTempalayに教えてもらった。

代表曲にも関わらず何故かMVが削除されていた…というショッキングなことにたった今気が付いたのだけど(本当になぜ?元に戻して…)、このライブ動画も大好きでしょっちゅう観ているのでこちらを。

『革命前夜』は二曲目で5:50くらいから。でも一曲目の『Last Dance』も大好きだし、その曲終わりから『革命前夜』の前奏に入っていくまでのインタールードもめちゃめちゃイイので、お時間許す方はもうどうか全部聴いてくれ…。

『革命前夜』を聴いたときに、どこかモヤっとするような、胸がザワめくような「何故かわからないけどこれはスルー出来ない」という感覚があり、そのままYou TubeでいくつかのMVを観た。そこで次に衝撃を受けたのがこちらの『どうしよう』。

曲自体ももちろんだけどMVの摩訶不思議さも相まって、これを観たときにはモヤモヤどころではなく、「奇妙奇妙奇妙奇妙…!」と連呼してしまったほど。ファーストインプレッションは、正直「気持ち悪い」だった。

……でもどうしてもスルーできない

「よっっくわっかんないけど、でももう一回聴いてみよ…」と再度、再生ボタンを押す。…うん。もう一度聴いてもやっぱりよくわからない。なにこの気持ち悪さ。目が回る。

「えーと、でもちょっと、もう一回、もう一回聴いてみよ」



というわけで気が付いたら、いつのまにか「気持ち悪い」が「気持ちいい」になっていた。You Tubeに毎日のように聴きに来ていた。本当に不思議。摩訶不思議。摩訶不思議アドベンチャー(世代)。

『革命前夜』にしろ『どうしよう』にしろ、繰り返し聴いているうちに、フワフワと体が浮き上がるような心持ちになる。全楽曲作詞作曲を手掛ける小原綾斗(りょうと)さん(Vo/Gt)の脳天にまとわりつくような色っぽいボーカルに、どうしようもなくとろけてしまう。一度味わってしまったら癖になる、抗えない甘さ。そして、それをさらに夢心地に染め上げる最高気持ちいいAAAMYYY(Cho/Syn)のコーラス。

聴きながら真夜中にひとり目を閉じれば、容易くサイケデリックな異世界にトリップできてしまいそう。

これを中毒と言わずしてなんと言おう。

そんな眩暈のするような彼らの音楽を、私は「酩酊系」と呼ぶことにした(勝手に)(でも検索したら普通にそう言ってるファンの人いた。全然いた)。定義は、その名の通り「酔える音楽」。聴いてると自然と体がユラユラと動き、頭をユサユサ振っていたりする。うわー気持ちいいい~~~~っていつのまにか酔っている(ノンアルコールでも。いや実際、アルコールは超入れたくなる)。

気持ちよくて気持ち悪い。気持ち悪いのに気持ちいい。なんだかよくわからない。わからなくていい。「違和感というエンターテインメント」。それがTempalayだと今なら言える。



Tempalayの音楽を聴いていると、自分にとって全くの未知、得体の知れないものへの畏れを感じる瞬間もあれば、理屈抜きにいつまでも聴いていたくなる、どこか郷愁を誘うような感覚に陥る瞬間もある。

この『そなちね』という曲がまさにそう。イントロからすでに奇妙さがすごい。何が起こるの?何か起こるでしょ?起こらないわけないよねこのイントロ?みたいな気持ちになる。
そしてMVが冒頭から不穏。ほら、何か起こってるじゃん。もうすでにめっちゃ起こってるじゃん。ほらほら、ねぇ、大丈夫?ねぇちょっと、ほら、ねぇ!ってなもんだ(どんなもんだ)。

そして物語に引き込まれて胸が苦しくなってきたあたり、後半以降の転換。視界が開ける。突然のカタルシス。空と海の青。雲の白。郷愁と畏怖。生と死。

ちなみにお気づきの方もいるかもしれないが、この曲は北野映画『ソナチネ』のオマージュだそう。お好きな方は、共通点や違いを探したり、意味合いを深読みしてみたりするのも興味深いと思う。それほど凝った作りのMVなのだ。(ちなみに『そなちね』や『どうしよう』など、TempalayのMVのいくつかは、KingGnuやmillenium paradeなどのMVを作っているPERIMETRONが手掛けている。)

この『そなちね』は、小原さんがインタビューで繰り返し言っている「おどろおどろしさの中の美しさ」というものが、明確に表現されている作品だと思う。

一見して相反するような概念、価値観の混在による「違和感」。それこそが世界の在り方であり、それを悲観するでも楽観するでもない淡々とした視線、それでも諦めよりもロマンを胸に抱く、そんな小原さんのスタンスが、私はとても好きだ。





小原さんの作る「違和感」のある楽曲には様々な濃淡があって、「気持ちいい」と「気持ち悪い」の間を絶妙な匙加減で漂っている。
上に挙げた4曲にしてもかなりその度合いが異なるし、それは曲だけでなく歌詞にも当てはまる。

小原さんの言葉は冷めていたり捻くれていたり、そうかと思えば時に熱かったり真っすぐだったりする。これだけ聞くと支離滅裂で一貫性がないように思うかもしれないが、先述したように小原ワールドの特徴が「相反する価値観の混在による違和感」だとすれば、それも頷ける。

例えばこんな歌詞がある。

君をジャックしてしまいたい
絶滅危惧種の君を
月にタッチして眺めたい
革命の朝が来るね

(『革命前夜』より)

ちょっとなに、この言葉のセンス…。未だかつて、好きな人を振り向かせることを「ジャックする」と表現した人がいただろうか。好きな人が自分にとって唯一無二であることを「絶滅危惧種」と歌った人が…?こんなセンス抜群で暑苦しさ皆無の告白、初めて聞いたよ…。だめ、小原さんの描き出す平熱ロマンスに溺れそう。

ちなみにこの『革命前夜』の歌詞について、ご本人は「当時の好きな子を想って(「君をジャックしてしまいたい」と)書いたけど、もう今となってはそんなこと全然思ってない。なのにこれが人気曲になってしまったがゆえに、ライブで毎回歌わなければいけない」(「音楽と人」での堂本剛さんとの対談より)と嘆いていた。だからラブソングは好きじゃない、と。

本当はめちゃめちゃロマンチストなのに、それを直球では表現しない、手から離れてしまえばもう固執しない、そんな飄々としたところも好きだ。

シュワシュワ 夢の真っ最中 どうしよう
とろけそうなんてあなたは言う どうしよう

キラキラ 世界が回る どうしよう
相思相愛じゃもの足んないよ どうしよう

(『どうしよう』より)
誰もがいかれてる瞬間
クリーンな僕がどうかしてるよ
愛だの恋だの洒落てんな
クリーンな僕はどうかしてるよ

(『素晴らしき世界』より)

いや逆に素直。一周回ってピュア。シャイすぎて誤魔化しちゃう。でもちょっと言っちゃう。そのバランス。アンバランスであることでむしろバランスを取っているような。

しかしそうやって繊細な一面を覗かせたかと思えば、ビンビンに尖ったシニカルな視線がもちろん、「俺を忘れんなよ」って言ってカウンターぶちかましてくる。

実際問題どんくらい?一過性のムーブ
いったい何だいどうしたい?ここは天国?

(『SONIC WAVE』より)

ハイ最高。初めて聴いたときはびっくりして受け入れられなかったけど。いやTempalayの曲はそっちのパターンがむしろ多い。なのに結局はハマっちゃう。お酒やタバコみたいなものだよね。まさに「酩酊系」。

最初の方、なんて言ってんのかな?って思ったら「ちゅどーん」だって。「ちゅどーん」て。ふざけとるがな。そうや。本気のおふざけや。小原さんがそう言っているような気がした。

他にも、AIが当たり前になった世界を歌った『人造インゲン』や規制アレコレへの思いからできた『脱衣麻雀』、地球がなくなってしまったであろう未来から歌われている『カンガルーも考えている』など、一筋縄ではいかない攻めた楽曲がたくさんある。

皮肉とロマンが共存する世界観、独特なワードセンス。そんな小原節の効いたTempalayの曲は一度ハマったら最後、抜け出せなくなる極彩色の沼なのだ。




「違和感」と言えば、それは小原さん自身のパーソナリティにも言えることで、今春から始まったPodcast「ニュー宝島」は、それを垣間見ることができる音楽以外の貴重な場所だ。

小原さんと親交のある放送作家の宇野コーヘーさんと二人、どんな大人の事情を加味することもなく(自腹で温泉旅館に行き収録したり、「もうPodcastに飽きてきてる」と爆弾発言したり)、Podcastというお喋りの広場で自由な「大人の遊び」を展開している。

リスナーを飽きさせないための何か特別な企画が用意されてるわけじゃない。旅館では呑んで食べてマッサージして、の後に収録していたりもする。「寝起きで頭回ってないわ」と言って終始グダグダな回もある。
でもそれがいい。それでこそあんな「脱力系」であり「酩酊系」の音楽を鳴らす小原さんらしい「遊び場」ではないか。

インタビュー記事を読んだりSNSを見てみると、小原さんはいつもちょっと斜に構えていてなかなか真意を見せてくれないひねくれ者、というイメージだったりする。だが、「ニュー宝島」を聴く度に私は思う。小原さんはすぐにふざけたり冗談を言って話をはぐらかしはするけれど、本当の意味で嘘はつかない、と。

繰り返すようだが、Tempalayの音楽だってそうだ。
所謂「ローファイ」と呼ばれるような歪でトリッキーなサウンドで、多分に「ハズシ」の盛り込まれた音楽でありながら、その向こうで歌われているのはいつも、小原さんの持つ揺るぎない信念や愛だ。
サイケデリックな音楽で目眩ましをしながらも、「それでもTempalayはポップスである」と評される所以は、そこにあるような気がしている。

脱力系だとかグダグダだとか言ったけど、なんだかんだ言って芯を食った話も多いのが「ニュー宝島」のおもしろいところ。第八回の失恋について熱く語った回なんかもう神回。みんなどうやって失恋から立ち直ってんの?そんな話、うだうだ居酒屋でしたいわ。

小原さんは高知出身で宇野さんは大阪出身。方言でざっくばらんに展開される仲のいい二人の掛け合いは、ゆるゆるでありながらも時折キレキレの必聴シーンがやってくる。互いにツッコみツッコまれ、奇妙な笑いのうねりが巻き起こる

そして聴いてもらうとわかるのだけれど、いやオープニングの曲、癖、つよ!(小原さん作)でもやっぱりもう一度聴きたくなる。そしていつのまにかそのオープニングと二人のおもしろトークが聴きたくて、更新を待ってしまう自分に気が付くんだ。




ここまで、Tempalayの曲、MV、歌詞、そしてPodcast「ニュー宝島」、それらの紹介を通して、私を沼に引きずり込んだTempalayの持つ唯一無二の「違和感」について書いてきた。伝わったのだろうか…。

私はただただ、彼らの音楽とセンスとお喋りが好きなだけ。
これはただの布教note。

とはいえ「どうせ書くならわかってほしい!」というひとりよがりを成仏させるため、その「違和感」を掘って掘って掘り起こしてみた。「#磨け感情解像度」の私設コンテストに乗っかって書いてみた。


5000字に到達しそうな勢いだ。
読んでくれた方ありがとう。よかったら曲も聴いてみてね。

最後に最新曲を…(ソッ…)
これもかなり、奇怪です。(でも気持ちいい)


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