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「人類皆ウェルカム」な僕キセが私に教えてくれたこと 【ドラマ『僕らは奇跡でできている』】

「この人にまた会いたい」
観ている人(または読んでいる人)にそう思わせることができたら、その人物が出てくる物語はもう、成功だと思う。

登場人物に共感したり、敵意を感じたり、ストーリーの続きが気になったり。毎週ドラマを見続ける理由はいろいろあるけれど、私にとっては「魅力的なキャラクター」というのが、特に大事な気がしている。

高橋一生演じる、『僕らは奇跡でできている』の相河一輝。
このドラマは彼が、家族などの身近な人、職場である大学の同僚や上司に学生、通うことになった歯医者で知り合う人々など、様々な周囲の人間と関わる日常を通して、彼がどんな人間なのかを視聴者が理解していくというドラマだった。

幼少期から自分の性質・個性によって生きづらさを強く感じていた一輝は、自分の中の興味・好奇心を大切に温め、それを中心に生きてきた。人と関わることに苦手意識があったために、なるべく自分と自分を理解してくれる身近な人との関わりだけで生きていた。
けれど学生時代から慕う鮫島教授に導かれて大学の講師として働くことになったことをきっかけに、これまで関わることのなかった人たちと知り合い、言葉を交わし、ぶつかり、融け合ってゆく経験をする。

回を追うごとにはっきりと見えてくるのは、一番の一輝らしさとも言える、唯一無二のその思考回路だ。

子供のようにピュアな一輝は、多くの大人たちが見過ごしてしまう些細な疑問も発見も決してスルーしない。ひらひらと不規則に飛び回る蝶を、目を見開いて追いかけ、花にとまったところを優しくつかまえるように、気になったことは手の平に包んで持ち帰り、納得いくまで考え、必ず自分のなかに取り込んでいく。

すごいです。
おもしろいです。
つらいです。
楽しいです。

そう、まっすぐに言えることの尊さといったら。
それこそ「すごいです。」(一輝っぽく言おう)

動物の生態や進化のこと、人の気持ちに名前をつけた人のこと、周囲の人の個性、自分が今ここに生きていられること、誰かと出会えたこと、別れても再会できたこと。
起こること感じることすべてに感動して、何がすごいのか満面の笑みでまっすぐに語り掛ける一輝。

「あなたのすごいところ100個言えます」(7話名シーン)なんて言われたら、誰だって「またまた~。でもありがとう、その気持ちだけで嬉しいよ」なんて言って会話を終わりにするんじゃないだろうか。
一輝は言う。本当に言う。全部言う。いや、正確にはわからない。ドラマの中で本当に100個言ったわけではないから。でも、きっと100個言える、と視聴者に思わせるだけのシーンが、しっかりと描かれる。橋部先生、すごいです。(一輝スマイルで言おう)

100個、普通に考えたら、言えないと思いますよね。私は思いました。
でも一輝の言うすごいところって、例えばこういうこと。

【水本先生のすごいところ】
時間を守ります。
歯の治療をします。
歯を綺麗にします。
クリニックの院長です。
子供たちに歯の勉強会をします。
紙芝居を作れます。
リスの橋を作るのを手伝ってくれます。
作業が丁寧です。
歩くのが速いです。
餃子の形を揃えられます。
よく食べます。
箸を上手に使えます。
会ったときこんにちはって言ってくれます。

最後のいくつかは、それは…と視聴者も思うだろう。
育実も思ったのだろう。彼女は言う。
「それって誰でもできることですよね」
不思議そうに一輝は返す。
「誰でもできることはできてもすごくないんですか?」

私は思った。
「なん…だと…⁉」

雷が落ちた。弓で射抜かれた。ハートを盗まれた。
うん、もうどれでもいい。いや、ごめんどれでもない。

まさに発想の転換。というか、一輝にとってはそれが普通の思考で、転換でも何でもないのだけど。多くの視聴者に雷が落ちたように、育実にも落ちた。驚いたことだろう。できて当たり前だと思っていたことは、実は自分のすごいところだったなんて。
誰でも思う。私は何か特別なことができるわけじゃない。むしろあの人もその人も普通にこなしていることが、自分はうまくできていなかったりする。欠陥人間だ。ちゃんとしなきゃ。がんばらなきゃ人並みにもなれない。そんな風に思うこと、あると思う。

一輝はきっと、人一倍そう感じてきた。みんなと同じようにできない自分を、底の底まで嫌ってきた。でもそういう一輝だからこそ、目の前の人に対して、あれもこれもできるあなたはすごいんだよ、そう心の底から言えるんだろう。誰も否定しない。すべての人が、ことが、ものが、すごいんだよ、と。

この7話は名シーンの宝庫だった。例えば一輝と虹一の母が対峙するシーン。虹一のことを虹一の母にわかって欲しいから、虹一や自分のようなこういう苦しさを持つ人間が存在するということを、どうにかわかって欲しいから、自分の嫌な記憶を引っ張り出して根気よく話して、届かないなって心が折れそうになりながらも、自分を立て直して、ひとつずつ丁寧に説明する。この心情の細やかな動きを、高橋一生さんが見事に演じていた。紛れもなくそれは「一輝の流す涙」だと、視聴者に思わせるに足る涙。すごいです。(一輝のように以下略)

話は水本先生のすごいところ100個に戻る。
一輝の一言にハートを盗まれた(違う)育実は、一輝から引き継いで、自分のすごいところを挙げていく。

歯を上手に磨きます、一日三回磨きます。
朝自分で起きます。
眠くてもちゃんと自分で起きます。
忙しくてもメイクをします。
髪の毛もとかします。
家からクリニックまで歩きます。
一人で焼き肉屋に入ります。
食べたいもの食べます。

焼き肉屋のトイレの、洗面台が濡れていたので、ペーパータオルで拭きました!

一輝「おお~!」 

今決めたことがあります。入会して三カ月、一度も行ってない料理教室を、やめます!(育実ドヤ顔) 

一輝(超絶笑顔で)「それは思い切りましたね…すごいです!」


尊い。なんなんだこの会話。尊い。

なんすか、意識高い系のワークショップすか。
あれすか、頑張っているのに社会から零れ落ちるあなたを救済する系の新興宗教ですか。

否。相河一輝ぜよ。

西郷どんみたいになっちゃったけど。いや知らんけど。

一輝と育実の会話と対になっている、虹一と虹一の母の会話もまた尊い。子育て中の母親には、グッときて余りあるほどの、溢れる肯定ムード。

【お母さんのすごいところ】
朝起こしてくれる。
ごはんを作ってくれる。
掃除をしてくれる。
洗濯をしてくれる。
歯ブラシの先が広がったら、替えた方が良いって言ってくれる。
もしもの時のために、ベランダからロープで逃げる練習をしてくれる。

うっ…(泣)
そりゃ泣いちゃうよね。虹一母、そりゃ泣いちゃうよ…

考えてみた。例えば

「夕ごはん、レトルト使ってごめん…」には
「毎日朝も昼も夜も元気な時も病気の時もごはんを用意してくれてすごい」

「忙しいって言っていつも遊びに付き合わなくてごめん…」には
「僕が作った工作をすごいかっこいいって褒めてくれる」

「休みの日なのにどこにも連れて行かなくてごめん…」には
「たくさん一緒にいられてうれしい」

親としての自分の懺悔と、それすら包み込んでくれる子供のまっすぐな言葉。そう考えてみると、少し、自分を許してあげられるような気がしてこないだろうか。すごい。これこそ一輝マジック。橋部先生、すごいです。(何回目だ)

最終回、鮫島教授が言う。
ようやく一輝を認め、自分を認めることができた樫野木先生に。

「だから、相河先生と出会えたのかもしれないね」

樫野木先生は、自分が認めたくないこと、つまり自分にとって一番解決すべき重要なことを見て見ぬ振りするために、問題をすり替えてその対象を責めるようなところがあった。
自分の好きだった道であるフィールドワークで成功する自信も覚悟もない情けない自分をどこかへ置き去りにして、目の前の家族を養うという義務をちょうどいい言い訳にして、家族にきつく当たった。
大学ではそんな自分を正当化するために、自分の好きなことで成功して周囲に認められて生き生きと毎日を楽しんでいる一輝を攻撃した。

鮫島教授は、樫野木先生が目を背けていることにまず向き合わせるような導きをした上で、彼が一輝を攻撃してしまったことも、必要なことだったと肯定するのだ。
「だから相河先生と出会えたのかもしれないね。本当の自分を取り戻すために」といったところか。

育実に関しても同じだ。一輝と関わり、一輝の考え方に触れたことで、迷子のように同じところをぐるぐる回っていた自分と決別することができた。本当の自分を、取り戻した。

そして彼らと出会ったことは、もちろん一輝の側にもたくさんの影響・意味をもたらした。
大学の講師をやめることについて学生に聞かれた一輝は、宇宙にフィールドワークに行くと告げる。そしてこう言う。

僕はいつでもみなさんと繋がっています。
みなさんが僕の中にいるってことです。
僕は、みなさんでできてるってことです。
今まで出会った人もの、自然、景色、生き物、全部でできています。

一輝が抜いた歯の治療のために育実のクリニックに行くと、自分のところではやらないと言っていたインプラントを、やっぱりやってみようと思う、と育実が言う。それを聞いて、「僕は水本先生でもできてますね」と一輝。水本先生はクリニックのために中国語や経営学を学んだり留学したりした。自分はロシア語にも水泳にも興味はなかったけれど、宇宙に行くためにやっている、と。
一輝が周囲にもたらす影響ばかりに目が行きがちだけれど、一輝だってもちろん周囲から多くの影響を受けている。みんな、互いに影響しあって、変化していく。一輝の言葉を借りれば、それが「自分の中の光を広げていく」っていうことになるんじゃないだろうか。

僕キセというドラマが大事にしていることをわかりやすく表した台詞のひとつに、最終回の鮫島教授のこんな言葉がある。

スプーンは、スプーンのままで、いろいろと活かされる。
スプーンが、他のものと比べて、何ができるとか、できないとかじゃない。
ただ、そのものを活かしきること。

「相河先生みたいになりたい」という学生の言葉に、「やりたいこと探しにかまけることは、自分の人生を見失うことになるかもしれない」という樫野木先生の言葉を紹介しながら、語り掛ける場面だ。

これは、一輝も、育実も、樫野木先生も、学生たちも、テレビの前の視聴者ひとりひとりも、その人そのままでいいという、「人類皆ウェルカム」とも言える僕キセワールド全開の名言だろう。

私はこのドラマを観て、たくさんのことに気づかされた。
相河一輝という、生き物が好きで純粋な少し変わった男から、私たちが当たり前だと思って過ごしていることはどれも当たり前じゃないと教わった。
「僕らは奇跡でできている」んだ。

子供たちがもう少し大きくなったら、是非とも全編通して見てほしい。見せたい。見せよう。(親のエゴ三段活用)

「めっちゃいいから見て」なんて言っても、子供って見ないからな。
だからといって私が言葉で伝えようとしたって、それこそ耳に入らないよな。

でも知って欲しい。
すべては当たり前ではないことを。
周囲と関わって生きることで、自分が変わっていけることを。
やりたいことがあってもなくても、君そのままで生きていていいんだよ、ということを。

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子供の就寝後にリビングで書くことの多い私ですが、本当はカフェなんかに籠って美味しいコーヒーを飲みながら執筆したいのです。いただいたサポートは、そんなときのカフェ代にさせていただきます。粛々と書く…!