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「ルックバック」で思い出す書きたい衝動

地元新聞紙を眺めていたら、秋田出身の藤本タツキさんという漫画家が少年ジャンプ+で「ルックバック」というタイトルの無料の読み切り漫画を発表していて、それが話題になっているという記事が載っていた。
浅野いにお君のコメントも載っていた。

家に帰って、ルックバックを読んでみた。
なるほど。なるほど。

https://shonenjumpplus.com/episode/3269754496401369355


多分、読む人の読み方によっては評価は分かれるのかもしれないけれど、この作品が描いたものは、とてもいいものだと思う。
漫画家はもちろんのこと、おそらく誰もが自分の中にある(もしくは、かつては自分の中にあった)純粋な衝動。
挑戦したい! 負けたくない! でも怖い! こんなことしたって。でも、やってみたいんだ! っていう、内から沸き起こる衝動。
これに、どう向き合うのか。
その孤独な挑戦と、自分にしかわからない喜び。
そういったものが、素直にぎゅっと詰まった、ピュアな作品だった。

作品上の物語の展開の仕方が嫌いな人もいると思うし、表現に問題があったようで一部修正されたりもしているようだけれど、そういう細かいところは置いておいて、この作品が本当に描きたかったものは、とても良いものだったのだ。

僕も、昔は、文章で食べていけないかな、なんて思っていた時があった。
小さなころから、作文だけは褒められていた。
学級日誌に書いたエピソードはとても褒められた。
書くことでしか表現できないこと。
書いたものが独り歩きして話題となること。
面白かった。

大学生になって、自分でホームページを作って、毎日、文章を書いていた。
書くというのはどういうことなのか、その特技は、本当に特技なのか。
どこまで通用するのか。
これが将来何につながるのか、全く見えなかった。
進路に迷った時期は、マスコミ講座に通った。
取材して、記事を書いて、賞を取って、雑誌に載せてもらった。
税理士試験の勉強をしているときも、その時の暮らしを描いて作品に仕立て上げようとしていた。

あの頃、漫画家の浅野いにお君は、「素晴らしい世界」を描いていた。
たまたま僕の友達が浅野君の友達だった。
その友達は、イラストレーターになりたがっていて、雑誌のインタビュー記事みたいなものに背景デザインやイラストを描いて、プレゼンの資料を作りたいと言って、僕に浅野君の取材をして欲しいと頼んできた。
当時の浅野君の部屋に行って、お話を聞かせてもらって、その後も何回か会って行動を何度か一緒にした。
だから、漫画家がどういう生活をしていて、どういう考えをしていて、何に喜びを感じているのかということは、ほんの少しだけ知っている。
当時は、浅野君の新しい漫画が雑誌で出るたびに、嬉しくなって勇気をもらった。
まだ何者でもなかったあの頃。
ちなみに、浅野君を紹介してくれた友達も、今は立派にイラストレーターとして活躍している(たぶん、みんなも見かけたことがあるイラストかもしれないくらいに活躍している)。

こうして、noteを触っているのも、根っからの衝動を忘れられないからだ。
書いて何かを表現したい。
書いて何かを成し遂げたい。
その衝動を捨てられないからだ。

この根っこにある衝動を動かして、どこかに進んでみたい。
こういう作品に触れると、あの時みたいに、ドキドキとして何かを書きたくなった。

こうして、どこで結ぶかもわからない言葉をただ、打ち続ける。
この行為は、仕事にもならないし、誰かに喜んでもらえるものでもないのかもしれない。
でも、抑えられない衝動があるんだ。
そういう衝動は、きっと誰にでもある。
そうじゃない?

改めて、ここまで書いたものを読み返す。
独りよがりな文章。
でも、これだって、自分の中では一つの作品になる。
何年か経って、昔描いたものを読み返す。
そこに、その時にしか感じられない、描けないものが詰まっている。
僕にとって、それがきっと宝物になるんだ。
僕がいつか死んで、持ち物がすべてなくなっても、税理士としてどう生きたかなんてことよりも、こういった何でもない文章がかけがえのないものになるんじゃないかな。
少なくとも僕にとってはね。




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