見出し画像

Back to the world_010/雅なメガネ拭き、ショーグンになる

「UFO写真あんだって?うひっ」
昼休みには早川にUFO写真を見せた。
入学してすぐ、純のことを『ジェリー』と呼んだのはこの男だった。
「藤尾?へえ、ジェリーってことか」
俳優の名前から連想したのだが、純は『ってことか』というセリフが気に入って、悪い気はしなかった。『ジェリー』、響きも良い。
そして早川は次に清水に『メガネ拭き』というあだ名をつけた。

その日早川は、赤弁ーー赤い容器に入った給食弁当のメニューを何の気なしに清水に訊いた、パーマのリーゼントに櫛を入れながら。
「今日、メニュー何?うひっ」
「魚だね」
弁当の中身を見せ、いつものように遠慮がちに微笑む清水を見て、
「…なんかお前、清水だっけ?いいな、その地味さ加減」
ーー失礼な事を言うものである。
「あはは、そうですか。よく言われるかも」
ちょうど近くでアニメ軍団の1人岸田が、水色のメガネ拭きで眼鏡を拭いていた。
「うーん、そうだな、『メガネ拭き』って感じ」
すぐ後ろで食事中だった祐二が茶を吹いた。

頭の回転が速く、言語感覚の鋭い不良がいる。80年代、ツッパリ路線で人気の出た漫才師もこれに当たる。
そうでない不良がいる。単に下品だったり酷い物言いを、自分を大きく見せるために行う、とにかく大声で面白げに笑うーー外へのアピール、桑ジィの言葉を借りれば『出来の悪い泥付きの田舎孔雀、もとい雀』という事になる。
そしてこの学校の3つめの不良の流派としては純が名付けた『動物霊』。テレビで人気の霊能力者が語る、低級霊が悪さをする話を連想したのだ。
原始、脳はこんな感じで歩みを始めたんじゃないか、と純は想像した。ーー野球部員の2/3がそうなのだが、彼らはなにかあるごとにお互いの言語でザシザシと騒ぎ出し意思疎通を図っている。そうやってヒトへと進化して行くのだーー。
中野は彼らの事を『ドブ臭いミーアキャット』と呼んでいる。ドキュメンタリースタッフが砂漠に置いたぬいぐるみに対するミーアキャットたちの反応を思い起こさせると言うのだ。

それらの話はともかくとして、早川はUFO写真を眺めていた。
「…うひっ、こんな、ハハ、こりゃ何だ?あー、見間違いだよ、ンなもんあるわきゃねえよ!」
すきっ歯から出て来るかすれた声と空気音のせいで、かなり頭が悪そうに見える。
高司が答えた。
「この円盤、そういえばハッキリしすぎておもちゃみたいだもんね…」
「そうだな。なんか…円谷プロ?」
不良顔のくせに『円谷プロ』が出て来る辺りが早川たるゆえんで、ド不良からアニメ軍団まで、幅広いコミュニケーションが可能なのだ。
純はUFOを本物だと思っていたが早川の考えには敬意を表し、また、どんな言葉が出て来るのかを微笑んで見守った。

早川は写真を置くと、清水のそばを通りしな両手で指差して言った。
「ポーズを取れウェーーイ!」
清水は口角を上げると一歩前へ出て、にこやかに『気をつけ』の姿勢をして見せた。
これはUFO事件の後、野球部の動物霊たちがおとなしいアニメ軍団たちにやらせて楽しんでいた行為で、早川も面白がって便乗していた。
「ははは。『メガネ拭き』、サイコー!うひっ」
早川は両手の親指を立てて離れて行った。

アニメ軍団の山園が怯えと若干の反抗心を持ちながらやらされる『気をつけ』とは違い、清水のそれには『雅(みやび)』があった。
早川が動物野球部員どもと違うのは、なんと清水に遊んでもらっている事を感覚的に理解しているのだ。
地味な外見の清水は野球部員や自称不良の連中からこの遊びを仕掛けられる事があったが、まるで金持ちが余裕を持ってやっているように、ーーしかし一片の嫌味も見下しさえもなしにそれに応えた。
早川は『メガネ拭きの布の如く地味な』清水にこの遊びを気軽に投げかけたが、一度目で『雅』を感じ取ったように見えた。
その後もこの遊びをふっかけるのだが、アニメ軍団にやらせる時と違って明らかに敬意を持って、ーーありがたいものを見に来たぜ、という呼吸で行うのだ。

「アイツ、頭いいよね」
野球部の貴重な残り1/3である『ヒト』ーー相馬がぽつんと言った一言に皆がうなずいた。
当の早川は、ウインダムと呼ばれている痩せたのっぽの男(小間使いのように使われている)に背後から手を回して握りっ屁をかがせている。
赤面症で吃音、普段はほとんど誰とも話さないウインダムは顔をしかめてよろめいたが、割合嬉しそうに笑った。
「さすがだな、いろいろ」
頬杖をついたまま祐二が言った。
純は、早川のような男こそが大人の世界でうまくやって行くのではないかと漠然と思った。

「メガネ拭き…」
高司が軽いショックと感嘆とを浮かべた表情でつぶやく。
「シミケン、貧相だからなー」
「中さん、言いますね、ふふ」
清水が遠慮がちに、というかそう見える笑い方で笑う。
「強そうなのがいいな、『ガンダム』みたいなーー…そうだ、いっそ『ショーグン』でいいよ、『ショーグン』にしよ、な?『ショーグン』」
中野の意見に皆が口々に同意した。
「ははっ、名前負けでは…」
「そんな事ないって!面白いって!」
佐内が清水の両肩を叩く。

「そうだよ、形から入れよ、ショーグン!」
そこまで清水と親しくなかったはずの相馬が立ち上がってわざと馴れ馴れしく言ったので、教室内でやりとりが聞こえていた全員が笑い出した。相馬は余裕の表情で着席した。
「『ショーグン』で決まり!…早川センセイの『メガネ拭き』には勝てないけどな。デッカく行こうぜ!」
中野が悔しそうな顔を作り、腕を組んでニヤリと笑った。

岸田は今日も神経質に眼鏡を拭いていた。眼鏡拭きの色は黄橙だった。
純は、貧相で柔らかい『メガネ拭き』というものを一度概念を外して見てみた、ミーアキャットが砂漠で初めてのものに触れるように。


とにかくやらないので、何でもいいから雑多に積んで行こうじゃないかと決めました。天赦日に。