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Back to the world_012/『ブー美』と呼ばれる女

 高司はその後さらに純をイラつかせる事になる。

「バカ司、アニメ軍団と仲いいんだな」
「高司、美術部に入るとか言ってたよ。あのね、『ミンキーモモ』を録画したから、もう軍団は急いで帰んなくていいんだって言ってた」
「もう坂道走らないのかー。金持ちなんだなアイツん家」
この頃のビデオデッキはまだ値段が高く、普及率はそれほど高くなかった。
「中学の友達に聞いたんだけど、『洗濯屋ケンちゃん』って裏ビデオがあるんだって!それだったら見たいよね」
「ええ?!洗濯屋?フフフ…」

純が佐内とショーグンのやりとりをぼんやり聞きながら船を待っていると、高司がアニメ軍団と女子たちを連れて乗り場にやって来た。
「海もいいなあと思って」
「なんだそのセリフは!」
コンクリート段にこしかけたまま佐内が叫んだが、表情から鑑みるにその叫びは高司に響かなかった。

まさしく、(なんだそのセリフは!このイグノアランスが!)ーー純は思った。
「…ちょっと加山雄三みたいじゃない?」
ショーグンが控えめに言って微笑んだ。
「あんなIQの低い雄三はいない」
佐内が答えたタイミングで船が近づいて来た。

「わあ見て、クラゲが干上がってるよ、どうしてここに?」
「きゃ、ブー美、来て来て!」
子供の仕業か、純の近くにあったドラム缶の上でクラゲが溶けかけていた。
文字通り距離を取っている純たちに対し、まだ男女間のパイプ役を引き受けるつもり満々の高司は穏やかに、そして明らかに共通の話題になり得るものを提供して来る、余裕ある立ち振る舞いでーー。
(どうしてわからない?)純はその姿を苦々しい思いで見ていた。

ブー美が近づいて来て、外側が干からびて真ん中が溶けかけているクラゲをみつめた。まじめ腐った老いた大鹿のような表情で、瞳には深い知性が感じられたーー(そいつが干上がったクラゲをじいっと見てる!)純はそのギャップに吹き出しそうになった。
ブー美は地味だが、その姿からは筋の通った誠実な性格が見てとれた。おそらく体躯の貫禄からして不真面目な生徒とも渡り合えるだろうし、また彼らからも信頼されるはずだ。しかし前に出るようなタイプではないところがさらに信頼を呼ぶのだ、おそらく。
ぽっちゃりして鼻が若干上を向いており、『ブー美』と呼ばれるのはわからないでもない。(でも、いくらなんでもその呼び名は酷いんじゃないか?)
当のブー美はといえば落ち着いた様子でクラゲを査定している。
高司にイラついていた純はなんだか、ブー美に腹が立って来た。
(言うほうも言うほう、受け入れるほうも受け入れるほうだ!)

船頭が降りて来て義手で器用にロープを操ると、灰皿がわりの灯油缶に吸っていたタバコをプッと吐き捨てた。

「純ちゃん、130円だっけ?」
高司がなおも食らいつく。
女子たちは放課後エロ本を見せた犯人を認識していなかったのだが、ここでブー美がハッとした表情を見せ、犯人ーー純に気づいた事が伝わって来た。
耐えられなくなった純は一瞬謝ろうかと思ったが、口をついて出たのは謝罪とは違う言葉だった。ブー美に向かってつかつかと歩み寄り、堂々とした態度ではっきりと言い放った。

「お前、それーー『ブー美』って名前、絶対受け入れるなよ」

純は自分の立場が悪くなると、怒ったように言葉を紡ぐ節があった。優位に立ちたいという感情はあっただろう、しかしそれは単に雄弁になってごまかすのではなく、そういう時だからこそ正直に気持ちをぶつけるという彼なりの『誠実さ』なのだった、かなり自分本位の。

純は相手を前にして自身の行いを悔やんだ時、心がクリアになって行く感覚があったーーおそらく動物的な危機管理能力が発動する興奮状態ーーそんなハイな感覚で真実を掴み取って正直に提示する事こそが謝意なのだ、という気持ちになるのだ。しかしその心意気を言葉で説明する事はできず、もちろん理解してもらえる事などついぞなかった。自分では、いざと言う時に馬鹿力が出るタイプなのだと思っている。

「呼ばれても、中では認めるな、お前の中では」

ブー美はもちろん驚いたが、後でショーグンが言うことには、瞳の光は良い方の驚きを示しているようにも取れたという。
「お前、名前はーー?」
「み、三宅…良美…」
ブー美はまるで純に操られるようにフルネームを答えた。

「認めんなよ、三宅」

純はブー美たちに背を向けて力強く大股で去って行ったーーと言っても実際は船着場で10歩ほど離れただけに見えた、しかも陸地に向かって去ったためにじんわりと船の方向へ戻る事になるーー。

女子や高司含むアニメ軍団は、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。■


とにかくやらないので、何でもいいから雑多に積んで行こうじゃないかと決めました。天赦日に。