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違うと嫌いになる世の中

なぜ、人は嫌いになったり、いじめたり、避けたりするんだろうか…
どうして、好きだったのにお別れしないといけない時が来るのだろうか…

ふと、そんなことを考えていた。

タイトルにある通りなんだけど、
私なりの答えは、「違う」ということだと思った。

価値観の違いで別れるカップル
文化の違いで争う国々

自分の心にある普通とかそうでなきゃいけない、
を相手に押し付けるから、
違う、私とあなたは違う
って考える。

子供は残酷なまでにわかりやすい。
昨年末に友人の子供とご飯を食べに行った。
私が杖をついていることが、お母さんと違う、と言っていた。
わたしはちょっぴりショックだった。
何時間も声をかけてくれなかった。壁を感じたのだろう。表情が固まっていた。もちろん緊張していたのもあると思うけれど…

その子と一緒に、スマホゲームして、食事をして、やっと話してくれた。
笑顔を見せてくれるようになった。
帰る頃には、またご飯食べに行こうねーと、手を繋いでくれた。

お話ししてくれるようになったから私はその子に言った。
杖をつくとね、歩きやすいんだよ。
お姉ちゃんは病気なんだけど、ご飯は美味しいし、遊ぶと楽しいよ。
お母さんともずーっとお友達なんだよ、あなたと同じ小学生の頃からね。ってお話しした。
(お母さんと同じ歳の自分のことお姉ちゃんと呼べというのは図々しいことはわかっている。)

自分と違う、周りの普通と違うは
どうしても距離ができる。


今は、コロナウイルスなんて未知のものにかかった人、そして医療従事者を避ける動きがある。
よくわからない病気にかかっていることが、
健康な自分とは違うから、
相手に対してとんでもない発言をしたり、避けるという行動をとるのではないだろうか。(もちろん感染者の隔離は必要ですよ)
私も避けられたり、謂れのないイジメのようなことをされた。
それもやっぱり、発病前の私と違ってたから関わり方がわからなかったからだと思うし、普通の人と違っているからだと、今はなんとなくわかる。
わかるというより、そうなんだろうなと自分の中で納得する答えを見つけてみた。

心の距離を詰めるのは自分自身次第でもある。
もちろん、相手の心のあり方も大事だ。
違うところは確かにある。でも、これは同じだ。だから好きだ、って思ってもいいのではないだろうか。

違うというだけで嫌いになったりする心は誰にもあるということ。
同じ、を見つけて好きになる努力もしなきゃいけない。それだけは忘れちゃいけないことだと思う。


わたしは、神経難病と言われる、 若年性パーキンソン病にかかっています。 普段の生活を書いています。 みんなに障害について、難病について知ってほしいです。