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パートナーねぇ。

先日、インタビューを受けた。
パーキンソン病と私の人生、的なことをお話しさせてもらった。
子供の頃どんな子供だったか?発病までの人生と、経緯…
仕事とか、家族関係とか、病気と分かって辛かったこと悲しかったこと…
そんなあれこれをお話しさせてもらった。
zoomを使ってのオンラインインタビュー。

インタビュアーさんは、うんうん、素敵ですね。
なーんて相槌してくれる。
緊張をほぐすために、マグカップの緑茶に焼酎入れちゃってたから
相まってベラベラと話してしまった。
(オンラインでいいことは、ニオイまでは届かないことだと思う。酒くさーとはならないから。ただ、やっぱしヒトとしてはダメだと思う。マナーの欠如、反省。)

インタビュアーさんから、
「言いにくかったら答えなくていいけどね、パートナーはいますか?」
という質問をされた。
独身、実家暮らしなことはお話ししてたから、配慮の上の言葉だろう。
言いにくかったら答えなくていい。ふーん。。。

正直、病気のこと、とは関係ないとは思った。
うっせー!って思った。さっきまで、プライベートなこと含めて、ベラベラ話してたにもかかわらず、
なんだかなぁ、と思った。
すん!!と酔いもさめた。


パートナーがいるかいないか、とか、
そういうこととパーキンソン病は関係ないし、生き方だと思っている。


仕事は、組織に入ってするべきだ。
いい年頃になれば、結婚すべきだ。
子供を育てるべきだ。


世の中の普通が自分の人生はこうあるべきだ、を決めるのは
とても楽なことだ。
世の中も疑いなく、そうあったほうがいいって思ってるフシもあるし。


私は、難病患者、障害者、という自分の社会的紹介文が増えたときから
自分のことは自分で決めたい、
自分の人生は自分で決めたい。
そう思うようになった。
子供を産み育てることは難しいし、
誰かと一緒に暮らす、は私は難しいなぁ。と。
お料理だってお掃除だって、完璧にしたいのにできなくなっていくのってすごいストレスだから。これから…もっと動けなくなれば大事な人の迷惑になる。自分が自分じゃなくなる。
未だそれには耐えられない。

そう思うようになったけど、結局悩んでるし認められない強情なところがあるんだろう。
自分でそう言っときながら、どこか普通の幸せ、
とか言われるものに憧れてるところもあるんだなぁ。と。


そんなことを、インタビューが終わって、
パートナーと思ってくれてる人に電話で話した。
もちろん私も、大切な人だと思ってる。
そういう強情で素直じゃないところ、どうなの?
あなたらしいけど。と言われた。
その人には、こう伝えた。



私にとっては、愛犬も、その人も、大切だから。

大切な人はひとりじゃないんだもんって。





だから、インタビュアーさんにこう答えた。



「パートナー?たくさんいます。」






わたしは、神経難病と言われる、 若年性パーキンソン病にかかっています。 普段の生活を書いています。 みんなに障害について、難病について知ってほしいです。