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【ファンタジー小説】宇宙樹(2)

<大忘却>ののちの世界。
 帝国軍に包囲された辺境の国アヨーディヤで・・・

(これまでのあらすじ)
 城塞都市アヨーディアの台地『象の舌』へと、歩を進める二人の少年がいた。
 魔除けの腕輪をつけた王族のシータと、幼馴染みの軍人ラマハーン。ふたりは、アヨーディアを包囲する帝国軍の情勢を探るため、熱気球で飛び立った。

Ⅰ 脱出

     1(承前)

「これが、全部敵なのか?」
 黒光りする鎧が朝日を反射して、禍々しい光が辺りに満ちる。

 アヨーディヤから、南のマルディア、パラディアの双子港へ向かう街道を埋め尽くす軍兵。
 帝国の重装歩兵、騎兵、戦象、戦車、投石機、攻城用梯子などが連なり、着々と攻城の準備が進行しているのが見て取れた。

 青々とした畑があった場所には陣地が作られて、地形が変わったかと思うほどに兵営が並んでいる。
 赤地に征服した大陸を白で抜いた帝国旗に混じり、裏切り者マリク辺境伯の蒼い双頭鷲旗がはためいていた。

 敵兵がまとっている砂塵のにおい、鉄のにおい、血の臭いがラマハーンを畏怖させた。
 彼らに蹂躙されるアヨーディヤの姿が目に浮かぶ。殺されなくとも、残りの人生を奴隷として送るのは耐えがたい。

 今のアヨーディヤは、鰐の群れの中に孤立した子羊に等しい。兵力の差は歴然だ。四囲を完全に包囲され補給もままならない。
 もっとも友軍だったマリク辺境伯にも裏切られ、補給のあてもなかったが。

 城壁の周囲には出城、繋ぎの城を守ろうとして死んだアヨーディヤ兵の屍が累々と重なり、腐臭を放ち始めていた。
 塵のように焼かれる兵士の煙が、空に向かって上っている。
 だが捕虜となり、奴隷として死よりも辛い目にあうより、いち早く死んだ者たちのほうがまだ幸せかもしれない。

 帝国が先兵として使うことがある獣人たちは、生きたまま人を喰らうという。
「戦場ではデマが飛び交う。帝国はそこまで野蛮じゃない」
「おまえはテーベに留学してたから、帝国びいきだ」
 ラマハーンの言葉にシータは苦笑した。
 彼は幼なじみが敵国に留学していたことで、あらぬ噂の的になるのを、畏れているようだ。

 アヨーディヤは中心都市を残すのみとなったが、市壁の守りは堅く、食糧と水は十万の民を一年以上養い、その間籠城できるだけの量がある。
 持久戦になれば敵の補給が絶えて撤退を強いるのが、これまでの通例だった。

「虹がみえる!」
 シータの声で、ラマハーンは我に返った。サラスヴァティ河の上流、滝が落ちているところで、朝日が虹を作っていた。
 シータは葡萄酒の革袋をラマハーンに手渡した。喉に流し込むと、濃厚な赤葡萄の芳醇な香りが口の中に広がる逸品だ。

「旨いな」
 ラマハーンは口をぬぐいながら言った。
 シータは上昇するバスケットのなかで遠眼鏡を取り出し、帝国の布陣を検分した。帝国軍は、アヨーディヤの四囲のうち三方を包囲するように兵を配置している。

 兵の層は厚く重装歩兵が主体だ。圧倒的な力で周辺を併呑し、膨張した帝国の主力兵種である。
 騎兵は少ないが、北西が山岳地帯でさらに南方が湿地という戦場では出番が少ない、とみなされたのだろう。

 アヨーディヤは初動の会戦で、七万の帝国軍に大敗した。友軍と信じていたマリク辺境伯の軍勢が帝国側に回ったのが痛手だった。
 アミル将軍は討たれ、戦車、戦象、騎兵、歩兵の多くを失ったアヨーディヤが城門を固く閉じ、籠城に転じたのは雨期に入る前のことだ。

 かつて偉大なるアハルド王が帝国に攻め込まれ、サラスヴァティ河畔で逆転したときも同じように当初は籠城であり、この戦術は有効だとアヨーディヤの民衆は信じていた。
 実は水面下では講和交渉二度行われ、二度決裂した。帝国は始めから講和の意志がないかのようで、条件が折り合わなかった。

 雨期の終わり頃までには、帝国が包囲戦を行うつもりであることがはっきりとした。アヨーディヤの、かつて一度も破れたことがない二重防壁を破る決意を固めているようだ。
 ラマハーンはシータの遠眼鏡を奪い取り、周囲を見渡した。このような高所から敵の布陣を見る機会は貴重だ。シータの奇想に感心した。

帝国は北東の平野に主軍を展開している。
 アヨーディヤの城内を抜けて南東に流れるサラスヴァティ河支流の湿地には、マリク軍の青鷲旗が翻っていた。
 かつてアハルド王が帝国の戦象を湿地に引き込み、主力を壊滅させた因縁の戦場を帝国の本軍は嫌ったようだ。

 北西部の森周辺にも、営舎が築かれつつあった。
 板囲いの簡易兵舎を囲むように土塁を重ね、堀を穿ち防壁まで築いて、ちょっとした出城のような堅牢さだ。
 背の高いエニシダやブナがそそり立つ背後の森林地帯は、ケルベロスや野生の狼の咆吼が聴こえてくる漆黒の闇だ。

 そこでは風が吹き抜けるたび、辺りを震わす遠雷のような音は森を徘徊する幽霊や魂を呼び寄せ、不気味な霧を生んでいる。
 森には<大忘却>以前から建つ赤の塔があり、アヨーディヤの人間でそこまで行った者はいない。さらに遠くエルドウォルドの山並み、天空都市ラクールに続く黒い頂が連なっているのまで、見ることができた。

 前回の戦いと違うのは城壁を取り巻く兵の厚みで、堅牢な配置になっている。城壁に接して築かれた攻城兵器、投石機にはまるで芸術品のような意匠が施されていた。
 敵陣内に翻っている帝国の軍旗を見るラマハーンは、鳥肌が立った。

「三倍以上の兵力で包囲している」
 シータが淡々とラマハーンの思いを口にした。
 五万を割るアヨーディア軍に対し、帝国は港湾を抑えることで補給線を確保し、二十万に近い兵を動員している。繁農期を過ぎ、冷乾期に向かう季節は帝国の辺境動員兵数が増す。

「分厚い包囲だよ。先だってこの包囲を秘かに突破する試みが行われて、失敗した」
 シータは、南側の城壁を指さした。
 濠の外に湿地帯が広がる南側壁には敵軍が接近しておらず、人の背丈を超える獅子門のアーチが、城内を通過したサラスヴァティ河の水を吐き出していた。

 獅子の彫像が施されたゲートハウスが門の両脇を固め、城壁の上五十ジュナごとに砦が築かれている。
 早朝の警戒を促す鐘楼が長く尾を引いて鳴り響いた。城内に急を告げるための鐘が鳴らない日はなく、出兵を促す伝令が走らない日もない。

 敵の陸兵が常駐困難である南側から、湿地帯を抜けて物資輸送路を切り開く試みが行われた。
 だが極秘に送られた小部隊は、敵方の掃討に遭って壊滅した。
「知っている」ラマハーンが暗澹たる声で答えた。

 部隊を送った翌月、切り取られた腕が城壁の外から投げ込まれた。入れ墨から、脱出を試みた部隊の長のものと知れた。
「腐臭がひどくて、ビシュナが腰を抜かした」
 シータが宰相である異母兄の名を挙げた。
「この包囲を突破するなんて無理だ」

「でもやるしかない。援軍のない籠城は意味がない」
「偉大なるアハルド王は、自ら敵を倒してのけたぞ」
「ただ一度の僥倖さ。今回は帝国軍も油断していない」
 アハルド王の業績を僥倖と言ってのけるシータに、ラマハーンは嘆息した。

「帝国といえども、敵地に長く居座るわけにはいくまい」
 シータは鼻を鳴らした。
「海港を抑えている限り、補給は続くさ」
「マリクが寝返ったいま、マルディア奪還は無理だよ」

 シータの双眸が妖しく光り、決意を込めた口調が返ってきた。
「この包囲をかいくぐってセレンディアに行き、派兵を要請すればいい」

「馬鹿な!」ラマハーンが、思わず声を上げた。「長きにわたって中立を守ってきたセレンディアが、アヨーディヤに組みするものか。それ以前に、この包囲網を突破するなど無理だ。幾重にも警邏の兵がいる黒穴獄舎から脱走を謀るようなものだ」

「黒穴」と呼ばれるティアル獄は堅牢で、かつてアヨーディヤで重罪を犯したものを収監する出口のない牢獄だった。
「それならば可能だということだ。昔、監視の目をくぐり、ティアルから脱出した者がいる」

 ラマハーンは友の目をじっと見た。
「ヤシャ、か」
 忌語を口にしたときのまじないで、無意識にユタ神への祈りのしぐさをする。ヤシャは、その名を言うことすら憚られる、アヨーディヤのヴェーターラ(悪鬼)だった。

「帝国に寝返った裏切り者にして、稀代のわざをもつ魔法士」
「ラーク=シ・ヤシャがかつて牢抜けしたのは、魔法を使ったわけではないよ。確かに巧緻な姦計だったとは思うが、奴が魔法の修行に手を染めるのは脱獄のあとからだ」

 シータをよく知る百卒長は、疑い深い視線を向けた。
「なにを考えてる?」
「つまり、ヤシャのように巧緻に振る舞える者なら、この包囲網を抜け出して国使としてセレンディアへ行く資格がある、ということだ。ビシュナも、ヤシャが牢抜けしたわざを見破れば、ぼく自らセレンディアへ使者として赴くことを許すと言った」

 ラマハーンはもう一度繰り返した。「馬鹿な!」
「だから考えてるんだ。ヤシャが使った姦計(トリツク)を」
「わかったのか?」
 シータは笑って答えない。ラマハーンはしびれを切らした。

「わかったとして、誰が真贋の判定を下す?」
「カイモン導師の面前で、二日後に試問を行う」
 ラマハーンは怒りで顔が赤くなった。
「もう話は進んでるんだな」

 シータは俯いただけで何も言わなかった。
「これしか術(すべ)がない。包囲が続けば皆飢えるしかない。それに・・・」少しためらったのち、「この謎が解ければ、我が血筋の不名誉をそそぐ機会かもしれない」
 ラマハーンは嘆息した。

「もういいよ。だが、約束してくれ。もしここから脱出するときは、おれを連れて行くと」
「ハンサ鳥が群れを作って飛んでいる。宇宙樹がなにかを告げているようだ」シータは答えず、海の彼方に目をやった。「『宇宙樹を統べるものは世界の創造主となる』との言い伝えがある。
 
 帝国の真の狙いは、セレンディアの攻略にあるのかもしれないな。つい最近まで関係が良好だった帝国が、派兵を行ったのには何かわけがある。
 セレンディアを攻めるとなれば、背後にあるアヨーディヤが邪魔になるし、マルディア、パルディアの双子港を使った補給が欠かせない」

「そんなの伝説だよ」
「宇宙樹の存在自体が伝説だよ。いつ、誰が作ったかわからない謎の建造物だ」
 朝日が昇る方角には、皇都テーベのガレオン船、メンフィス、ルクソールからの兵站を担う軍船が浮いていた。

「船を使って兵糧を運んでいるんだ。それだけでも、帝国の備えは前回の侵攻とはちがう」
 飛球を係留するロープはいっぱいまで伸ばされ、バスケットは城壁の隅塔と同じ高さにまで上がっていた。

 尖塔を飾るガーゴイルは、腐食せず軽い素材であるプラスチクスでできている。プラスチクスは、<大忘却>以前に人の手により創られていた、という説もあるが、製法が忘れられて久しい。
 アヨーディヤ中心部にある神殿の、平和祈願霊廟は閉じられて、替わりに戦旗がはためいていた。

 どうやら、敵方もこの飛球に気づいたようだ。
 城外でこちらを指さす鎧姿が見えた。そのとき悲鳴のような声が下で起こった。何かと思って見ると、杭から外れた係留索を抑えながら兵たちがわめいている。

「上昇熱が強すぎるようだ。加減しないと」
 シータは飛球の天頂を絞っている留め金を緩めるロープを引っ張ったが、引っ掛かっているのか、熱気を逃がすことができない。
 天板の灼熱石をはたき落とすが、上昇する力が緩むことはなかった。

 下ではロープを抑えていた兵士たちが引き摺られるのが見える。
 次の瞬間バスケットが揺れ、あっと言う間に飛球は空に向かって放たれた。
 ヴィクランが泡を食って、部下に何か叫んでいる。

「ますいぞ!」
 揺れるゴンドラにしがみつきながら、シータが叫んだ。
 ラマハーンは係留索を捕まえようとするが、その間にも飛球は高度を増していった。
 ふたりは係留索伝いに降りる機会を逸した。

 飛球が高度を上げるにつれ、耳がきーん、と鳴る。
 しかし、しばらく経つと上昇速度が鈍くなり、安定した高さを保つようになった。季節特有の東に向かう風と、海からの西風が拮抗して、飛球はゆっくりと太陽のほうへ流されていく。

 数羽の白い鳥が、飛球の横を並走していた。
「きれいだなあ」
 緩やかに曲線を描く水平線を見ながら、このままどこまでも行けたらいいのに、とシータは思った。

「のんびりしてる場合じゃない。雲が湧いてくる。このまま行くと、流されてしまうぞ」
 飛球は東の城壁へと向かっている。このままでは、城壁を越えて敵軍のまっただ中に飛び出してしまうだろう。

「雨が降れば、降下するよ」
 黒い雲を指さしながら、シータが言った。風がやや北寄りに変わり、こんどは南東側の城壁が正面に見えた。
「係留索をアンカーに使おう」

 ラマハーンが天板の一部を係留索の先に結びつけ、城壁に引っかけようと投げ下ろす。
 だが僅かの差で急ごしらえのアンカーは城壁の上を通過し、ふたりを乗せる飛球は城壁の外へゆっくりと飛んで行った。

 幸いにも、飛球は四囲で唯一敵が展開していない湿地帯の方角に向かっている。
 湿地帯の上空には黒い雲がもくもくと湧き出し、急に温度が低くなったように感じた。雲を見ていたシータが愕然としたように声を上げる。

「どうした? 寒いのか」
「雲じゃない。あれは・・・」
 その言葉が終わらないうちに、黒い雲からバタバタという音が聞こえてきた。
 ラマハーンが目を凝らすと、それは無数の黒い鳥が羽ばたく姿だった。

 やがて、鴉の青みがかった黒い羽根、濡れた嘴をも識別できるようになる。
「あれはただの鴉じゃないな。魔法が作った鳥だ」
「帝国の魔法士か」
「ラーク=シ・ヤシャ」

 鴉の群れは一斉に飛球を取り囲み、鳴き声が被さった。辺りを闇が覆う。シータは肌寒さに身を震わせた。
「くそ、あっちへ行け」
 ラマハーンが長剣を抜き、追い払おうと振り回すが、鴉の群れは嘲笑うかのようにそれを避けて飛球に群がった。無数の黒い羽が飛び散り、ふたりの視界が遮られた。

 飛球の外皮のあちこちに穴が開き、空気が抜けていく嫌な音がした。
 バスケットが揺れ、ふたりは互いの体を支えるようにしながら、縁に掴まった。
 次の瞬間、鴉の群れが急に飛び去り、明かりが戻ってきた。

 高度は思ったより下がっており、湿地が目の前に迫っている。
 薄茶色の濁った水の間から緑の草が伸び、臭い瘴気が湧いているのが見て取れた。
「ひとつわかったよ」シータがラマハーンに向かって言った。「この飛球で、敵の包囲網の上を突破するのは無理だ」

 ラマハーンが呆れたような顔をした刹那、シータの視線は水平線の向こうに「それ」をとらえた。
 雲の切れ目から一瞬、きらきらと輝く一条の線が、白い雲を突き抜けて、どこまでもどこまでも伸びていく。海から生え、空に吸い込まれていく一筋の緑の糸。
 宇宙樹だった。
【ファンタジー小説】宇宙樹(3)に続く)

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