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『愛の美学』 Season3 エピソード 9-② 「愛の真理」(3108文字)

『愛の美学』は、『愛』の全領域、全段階に関与し、その気付きを促すための読本としてしたためてきた。

さまざまな方向から『愛』を眺めてきたが、ここで『愛』とは何か、と問われたら、品格や価値、その是非を検証するための「ツール」と考えられる、と答えるかもしれない。

今まで解説してきたように、『愛』は、決して感情などの心の様相を表わすだけでなく、ものごとの真理を追究し、検証し、その価値を問うためにある心の基本的な「かたち」なのである。

それは、『愛』の象形からも、うなずけるだろう。

「いつまでも、見ていたい」

このこころ惹かれる泡沫うたかたの想いは、じつは、その深層で常に「是非」を見つめる自分に問われている命題でもあるのだ。

『愛』は、とかく性愛的な心境から語られることが多いが、『愛』の基になっているのは、紛れもなく知識や知恵であり、その真理を探究しようとする自らの視点なのである。

いつまでも観察し続ける目。

そこに、『愛』がある限り、観ずる想い「観想」と、察する心の「察心」により、「是非の目」は芽吹くことになる。これは決して、視覚的な機能を言うのではない。盲目であろうと、聾唖ろうあであろうと、「愛の目」は、真理を追究する意志と、見ようとする気力がある限り、その「目」は開かれる。


さて、前回の「愛の真理」ー①に引き続き、今回は、「愛」の発達段階について検証してみよう。

「愛の発達段階」

愛の段階を検索すると、一般的な理解として、「愛」のカタチ ※1や、男女の恋愛の流れに触れたものなどが多い。

愛のカタチについては、

1.エロス(情欲的な愛)
2.フィリア(深い友情)※プラトニック的
3.ルダス(遊びとゲームの愛)
4.アガペー(無償の愛)
5.プラグマ(永続的な愛)
6.フィラウティア(自己愛)
7.ストルゲー(家族愛)
8.マニア(偏執的な愛)

コスモポリタン

などがある。これらの「愛」のカタチは、嗜好的で単に「好み」の分類と捉えることもできる。確かにどれも「愛」なのだが、本来の『愛』は、これらの「愛」を見つめていく「目」になるものだろう。一般的な「愛」は、どうしても人間の情動を左右する感情的な側面ばかりが強調されてしまう傾向がある。

それも、特に「愛」は、男女の恋愛における感情の流れについて触れることが多いからだろう。

次の例は、その男女の恋愛の流れを示しているものだが、

魅力と夢中
交際と関係の始まり
カップルの失望
危機を克服する
進化と未来

https://www.bezzia.com/ja/conoces-las-etapas-del-amor/

こんなところが一般的であろうか。これも、「愛の美学」エピソード4「愛の効能」でお伝えした、恋愛感情の流れである。

 「愛」については、さまざまな説や理論があるが、個人的な見解ではあるが、これらは、「理の面」に映る恋愛の流れを項目別に俯瞰しているという感覚になる。どうも、見ていてあまり興味や食指が進まないのだが(笑)。

自分自身の恋愛経験でも、まあ、このようなことはあるよ~、と、そんなところだ。あくまでも経験則からの感想だが。

しかしながら、これもいわば愛の進化、発達段階を示しているには違いない。つまり、これらを検証すると、はじめに惹かれ合う力があり、よく見ると粗が現れ、その違和感に不快な感情が生じ、それを乗り越えることで進化、発展をしていく、という構図が見えてくる。

これらの流れについては、「陰性感情」を踏まえて次回解説していく。「愛」が育まれる経緯が、解るだろう。

ところで、今回は「愛の発達段階」ということで、愛そのもが、成長するためのベースを担っていることは何かを、もう一度確認しておこう。

これについては、既にシーズン2エピソード7の「愛の段階」で触れている。

クレア・W・グレイヴスが研究し、ドン・ベックとクリス・コーワンによって深掘りされた「スパイラルダイナミクス(以下SD)」8つの意識の発達段階説である。

これは、愛の発達段階と言っても過言ではないだろう。人類史の発達ともリンクしているこの表であるが、エピソード7ではあまり触れなったことについて、今回は、少し解説をしておくことにする。

まず、この表の色分けであるが、これは、交互の変遷を表現するため、色が配色されている。一番右のベージュから、一つ置きにレッド、オレンジ、イエローとなり、方やベージュの次のパープルから、一つ置きにブルー、グリーン、ターコイズとなっている。

つまりベージュ系を大地の色とし、パープル系を天の色として、意識の変遷を眺めたとき、適切な表現かは分からないが、眠りの時期と目覚めの時期があるという両者の意識変遷をイメージしているのだ。

パープル系の色にも深い意味があるといっていい。グレイヴス自身がどのようなイメージを持っていたかは知らないが、このパープル系には意識が次に進む転機が存在する。

たとえば、非常に敬虔なクリスチャンがイエスを深く愛し、教義に忠実で聖書を真実と見做す意識状態であったとしよう。ここでは聖書の正しさを問うことはしない。それが真実かは問わない。しかし、生活の中で生じた事実が、神の思し召しや、悪魔や悪霊の仕業だとしたら、いくらピュアな精神を持っているとしても、それを検証していくような力は全く持ち合わせていないのだ。

つまり、方や非常に高貴で恭順な精神を備え持ってはいるが、その事実確認において、欠落している意識段階の表現なのである。つまり、

「貴方は神を信じますか?」

と訊かれたとき、パープル系もベージュ系でも、同様に

「信じます」

と答えるだろう。しかし、回答は同じでも、信じている神の内容は異なっているはずだ。自らの「神」を信じるのか、それとも教義から「神」を信じているのか。

パープル系はシャーマニズム的な自然の力を「神」と畏れそれに従っていたが、ベージュからレッドに至る間に、自らの内面を観察するという方向性が生まれることになる。したがってパープル系は内面の観察により自我に目覚め次の意識段階へと誘うきっかけを持っている。

これは、やや思惟的な解説かもしれない。このベージュ系とパープル系両者の振れ幅は、グリーンの段階で均等がとれてくる。そして最終的にはターコイズにおいて統合される、という展開である。

つまり、さまざまな意識の変遷があるが、天と地の間を行ったり来たりしながら私たちの意識は、長い歴史の間にそのなかを目指してきたというわけだ。

『愛』とは、すべての生命の中今なかいまに、あらゆる宇宙の中心から、自らの中心に至るまでを射抜く矢である。

エピソード1「愛の弓矢」より

中今とは、神道の思想で、過去と未来を内包して、永遠に続く中心点をとらえること。また、あらゆる宇宙とは、一人ひとりの宇宙のこと。自らの中心を射抜く矢が『愛』である。

射抜く矢の先に、『愛』の『まと』がある。それが『愛』の目的。目的を見つけ、そこを射抜く心情は、『愛』の基本姿勢だ。その姿勢とは、

いつまでも眺めていたい
(後ろ髪を引かれる思い)

この感情である。これが『愛』の本質的なカタチなのだ。

さて、次回で「愛の美学」は最終稿となる。

「愛の段階」の話と陰性感情の変遷をリンクさせて話を進めていくことにしよう。


つづく












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