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「踊りたくなる舞台をつくり続け、そのバトンを渡していく」

2024年2月8日(木)に「踊りたくなる舞台としてのコモンズを、都市につくる」というトークイベントが大阪府大阪市天王寺区にある大蓮寺で行われました。

今回の登壇者は3名。スピーカーである森一貴さんと川地真史さん。そして、モデレーターである藤本遼さんです。

約2時間という時間の中でそれぞれが思うコモンズとはなにか、引き受けるとはなにかについて、今までの経験をベースにそれぞれが考えていることや意識していることをざっくばらんに話しました。

コモンズ(踊りたくなる舞台)という切り口からみえるそれぞれの景色を、覗いてみましょう。

文:中里美紀

今回の会場はなんとお寺!?

今回の会場は「大蓮寺」。場所は大阪府大阪市天王寺区で、谷町九丁目駅から徒歩10分ほどの距離にあります。

浄土宗の大蓮寺は足利家の祈願所として開創され、約500年ほどの歴史があります。年中行事も盛んで、8月には子ども盆踊り、11月には應典院での子ども七五三法要も開催されています。

今回のイベントは大本堂の大広間で開催。約30名の方が会場に集まりました。実は、登壇者である川地真史さんは、大蓮寺の中にある應典院でのプロジェクトに関わっています。また、モデレーターの藤本さんも5年ほど前から應典院や住職の秋田氏とつながりがあり、イベントに参加したり、インタビューを受けたりしているとのことでした。

お寺とのつながりにも触れながらトークをしている3人にも注目です。

一体3人は何者なのか

最初に、今回登壇する3名が活動紹介を行います。7分ずつの自己紹介とは言いつつ、とても濃い内容になっています。

1人目は、福井の鯖江市でまちづくりやコミュニティに関わる仕事をしている森一貴(もり・かずき)さん。山形県出身で、2015年に鯖江市に移住。現在は森ハウスと呼ばれるシェアハウスを3軒運営しています。また、ものづくりのまちである鯖江を代表する「RENEW」という工房一斉開放型のイベントの事務局長も担っていました。加えて、先日までフィンランドのAalto大学CoDesignに在籍。この春から東北芸術大学コミュニティデザイン学科の教員に就任するそうです。

そんな彼は、去年の11月3日にイタリアのデザイン研究科エツィオ・マンズィーニが書いた「ここちよい近さがまちを変える」を翻訳しました。この本では「豊かな近接性のある暮らしがまちを変えていく」ということが述べられています。

森さんは、福井県の越前鯖江エリアで「RENEW」をされていました。年に3日間だけエリア内にある工房を一斉活用して、ワークショップをしたり、買い物ができたりするイベントを開催。その場を通じて、新しい関係がうまれるような舞台をつくることをしています。結果的に2015年以降、30ヶ所以上の工房やギャラリーができたんだとか。それは、まちの人との関係性がつながることでまちに新しい機能がうまれていく循環であり、関係性をたがやすことでうまれていくものなのだと森さんは仰っていました。

他の活動でいうと、シェアハウスも3軒運営中。現在は、そのシェアハウスに17名の人たちが住んでいます。そこにも、エツィオ・マンズィーニの考え方が活きているとのお話が。踊れる舞台をつくり、その環境で誰かがなにかをやりたい!となったときに「いいじゃん!」と後押しができる場所をシェアハウスで体現しています。

来年度は、鯖江市で「さばえまつり」というお祭りも企画中です。誰もが乗れる船をお祭りという場を使ってデザインしています。

2人目は、川地真史(かわち・まさふみ)さん。一般社団法人Deep Care Lab代表理事であり、公共とデザインの共同代表を務めておられます。また、『クリエイティブデモクラシー』の著者でもあります。

フィンランドに2年間滞在し、森さんと同じAalto大学CoDesignでソーシャルイノベーションや『クリエイティブデモクラシー』のベースになる研究をしていました。

現在は、研究の延長として公共とデザインという会社を創業し、渋谷区をはじめとした地方自治体を中心にお仕事をしています。様々な悩みを抱えている人たちと自分自身を重ね合わせながら、対話と表現を繰り返していく場づくりのプロジェクトをされている川地さん。

一般社団法人Deep Care Labでは、人だけではなく、自然や生き物、過去の先人とのつながりのなかで、いのちや生き方を見直すプロジェクトを実施。その一環として、應典院さんとも一緒に場をつくっています。その中では、いのちのつながりに気づき、今の生き方を見つめ直し、生まれ死ぬまでの暮らしを支え合う「ライフコモンズ」をどうつくっていくかということを問い続けています。

もう一つの活動である公共とデザインでは、ソーシャルイノベーションラボという仕組みを東京の渋谷区と一緒に立ち上げしているそうです。消費者としてサービスを市場や行政から受け取るだけの存在から、人々が自ら手をかけ社会をつくっていく世界へ。そのために、やっているのが自らの衝動や私的な関心ごとを活動にしていくライフプロジェクトが育まれる環境づくりです。それぞれが踊ることのできる舞台を用意し、その中で関係性が生まれていく。それがコミュニティになり、社会に広がりを見せるのではないかと川地さんは考えています。

川地さんは、人の生き方や悩みを共有する場づくりをされています。

3人目は、今回モデレーターとして登壇している藤本遼(ふじもと・りょう)さん。25歳のときに独立、数年のフリーランス期間を経て「ここにある」という会社を立ち上げて現在で5期目ですが、大学卒業後はNPOに就職をし、まちづくりや地域団体の支援活動をしていたそうです。そのとき、別の地域でまちづくりの仕事をしているのにもかかわらず、自分が生まれ育ったまちは単に寝て起きるだけの場所になっていたことに違和感を覚えます。

「なんで地元に関わっていないんだろう、どうして地元に学生のとき以外の友達がいないんだろう」

その違和感が現在のお仕事につながっています。

人生の転換点は、25歳の頃。商業ビルの中にみんなが集まることのできるスペースをつくったことがきっかけだったそうです。そのスペースの運営は2年3ヶ月ほど続いたのですが、その中で3,000人ほどの人が集まり、つながりの輪が広がったとのこと。集まっていたのは、行政職員やクリエイター、企業勤めのサラリーマンや地域で活動するいろんな方々。

また2016年からは、カレーが好きという単純な理由からはじまった「カリー寺」というフェスを開催。その名の通りお寺でカレーを食べるという企画です。ちなみに「カリー寺」は現在、全国各地に広まっています。このイベントは、お寺を起点とした地域コミュニティの再編集に結果的につながった取り組みだとのことです。

また、活動をする中で「障がいのある方となかなか出会わない」ということに気づきはじめたのが2016年。福祉分野の取り組みにどう自分自身が関わっていくかを考え、尼崎市が行っていた福祉のバザーイベント(市民福祉のつどい)をアップデートしたいと思うように。普段、福祉に関わるきっかけがないという人がそこに集まり、意見交換をしながら一緒にイベントをつくるという過程や舞台をデザインしました。障がいのある人もない人も関係なく、関わる人たちでともに場をつくる取り組みです。

藤本さんは「いかしあえる関係性や生態系をどのように編集し直すか、分かれてしまったものをどうつなぎ合わせるのか」ということを軸に活動しています。また、ともにつくるという行為はどのような環境で成立するのかということも日々探求しながらお仕事と向き合っているそうです。

自分(藤本さん)が主となって旗(集まるきっかけ)を立てながらも、その旗を自分だけのものにせず、みんなとシェアしながら場をつくっていくことを大切にしていると語る藤本さん。クライアントさんと受託者である自分たちだけでなにかをするのではなく、地域の人たちに関わってもらいながら進めているのは、その場が常態化したり、占有されたりすることを防ぐためでもあります。コミュニティは閉じていくものだからこそ、常に開いていこう、新しい風を入れていこうというポイントを意識しているそうです。

場を支え合い、活かし合う

自己紹介を終えた後は、待ちに待ったトークセッションです。最初は、今回のテーマであるコモンズの話題からスタートしました。

藤本さん「コモンズってなんなんだ、という話からしましょうか。」

川地さん「一般的にいえば、コモンズは共有地、共有の価値、資源を生み出す場という意味ですね。」

森さん「川地くんのいうコモンズって、どういうイメージなんだっけ。」

川地さん「最初からコモンズをつくるんだという目的があるというよりかは、振り返ったらコモンズになっていたということが多いと思います。公園や図書館などの空間があれば、それですなわちすぐにコモンズだ、というわけではない。」

藤本さん「なるほど。ハードだけではコモンズとはいえないと。」

川地さん「多様な人が気に掛け合い、手をかけることで初めてコモンズが生まれると僕は考えています。自分の実践の中でいうと『産まみ(む)めも』という産むに関するそれぞれの物語を問い直す展覧会があって。年代的にも『産む』というキーワードにとても関心があるんですよね。不妊治療をしている当事者なども身近にいるのですが。」

藤本さん「なるほど。それは、すごく当事者性の高い問題ですね。」

川地さん「そうなんです。ただ、当事者性が高いか低いかで切り分けてしまうと、その時点で僕は非当事者になってしまうんです。けれど突っ込んだ話をすると、僕には台湾人のパートナーがいるんですが、言語や仕事の不安を抱えながらも子どもをどうするかという話で悩んでいて。日本で産んで育てられるのか、みたいな問題も具体的にあるんですよね。なので、それぞれが産むというテーマで場をともにして、それぞれ悩んでいることを分かち合っていくと、みんなが大事に思っていることがわかる。そのような悩みを共有しながら支え合っているときにコモンズを感じます。」

森さん「なるほど。めっちゃ伝わってきた。」

川地さん「コモンズって言葉を使う必然性はないかもしれないけれど、自分なりの腑に落ち方はここだったなというのはありますね。」

森さん「付け足して話すと、コモンズってみんな勘違いしがちだと思うんですよ。『あそこに公園があったらそれはコモンズだよね』って。それは絶対に違っていて、それを支えている人がいなければそこはコモンズにはならないんですよ。友達との関わりで例えると『3人で会おうよ』っていうのはコモンズだと思うんです。なぜなら、定期的に会おうよって言ってくれる人がいるから会えるわけで、誰も言わなかったら関係性も自然消滅するわけじゃないですか。そこに頑張って関わり続けるからコモンズでいられる。そんなある種の投資的な行為、利他的な行為があってコモンズができるんですよ。『ここちよい近さがまちを変える』という本には、みんなが関係するためのきっかけとなるようなものがコモンズだと書かれています。僕もそれには賛同していて。」

藤本さん「うんうん。」

森さん「川地くんでいうと産むという大変なことだったり、僕でいうとこれから「さばえまつり」をやったりするんだけど、それってきっとすごく大きな関係的オブジェクト(みんなが関係するためのきっかけ)になると思うんですよ。」

川地くん「面白いね。聴いていて感じたのは、例えば町内会の人たちで公園の清掃をするのって、行為としてはハードルが低いと思うんですよ。でもそれとは違って、今の社会の中でそう簡単にはコモニング、あるいは共有できないものがある気がしていて。こと、産むということに関しては、悩みや問題を人と共有するのはそんなに簡単にはできないと思うんですよ。少なくとも僕にとってはそうだった。」

藤本さん「なるほど。うんうん。」

川地くん「だから、旗を立てるというか真ん中に何かを立てて、ゆるやかに周りに人が集まってくることが大事、みたいな。」

藤本さん「なんか、その話を聴いていて僕が思ったことがあって。それは、自分自身はいい意味であんまり真面目にやっていないなということで(笑)。川地くんにとっての産むということは、川地くん本人の課題としても非常に重要な部分というか。そこをどう開いていき、他者と共有するかという営みの中で、結果いろんなものが混ざってコモンズになっていった感覚だと思うんですよ。」

川地くん「うんうん。そうですね。」

藤本さん「僕の場合は、たとえばカリー寺の話でいくと、『カレーが好き。カレーのイベントをやりたい。お寺でやったら面白そう』という流れのロジックなんですよね。で、その旗を立てる。寺でカレーを食べますよー、という旗を。で、この旗はどこに立っているのかというと自分の中では「お寺でカレーを食べたい」という意味でど真ん中なんだけど、社会から見たときに問題の本丸からあえてずらしているように置くというか。お寺などの宗教施設ってこれからどのように維持され続けていくかという問題があって。現実的に閉じていっているお寺も多いわけです。あるいは、元々お寺って多機能だったのに、どんどん役割や機能が限定的になっていっているという状況もある。そうやって外部にいる僕らの関わる余地がどんどんなくなる中で、そこにどうアクセスできるかを考えたんですよね。そのことを正面切って言うよりは、あえてずらしてカレーを食べていたらその問題や現状に行き当たる、みたいな。自分は、社会から見たときにちょっとずれた入り口、関わり方のデザインをしているのかもなって2人の話を聞いていて思いました。」

まず、モノがあるだけでなく、それを支えようとする人、関わろうとする人がいるからコモンズとして成り立つんだという森さんのお話がありました。そして、そのコモンズができるまでの距離間の話も。簡単にコモンズができていくものもあれば、今の社会の中でなかなか一歩を踏み出すのが難しいテーマや場所もあるのではないか、という川地さんのお話。藤本さんは、その距離間があるように見えるものをどうそれぞれの当事者性と結びつけながら共有するか、自分ごとになるためのライトで楽しいきっかけや入り口をどうデザインするのか、というお話をしてくださいました。

次は、藤本さんが最後にお話していた「自分の考えを他者と共有する中で結果的にコモンズになっていく」という切り口から、次の話題に。それは、どこからがコモンズで、どこからはコモンズではないのかという問いです。

根本は一緒でも、入り口のデザインはそれぞれ違う

森さん「僕が修士にいたときの先生が、デザインの力とは『これまで一緒のテーブルにいたことがなかった人が同じテーブルにつくことである』と言ってたんですよ。これはすごいなと。これまではデザイナーの役割はいいものをつくることだったと思うんですよ。でも、それだけじゃないと。現在では、いろんな関心の人が集まることが大切であり、それが公共をつくる際の重要なポイントであるとされています。でもそれって、なにもなかったら生まれない。同じテーブルについてこれまで語れなかったものが語れるようになったり、この場だからこそ話せたりする場をデザインする。僕ら3人のプロジェクトはそういうことをしているんじゃないか、と思うよね。」

川地さん「そこでいうと、遼くんのカリー寺の実践と僕がやっていることは毛色が全く違うと思っている。端的に陰(川地)と陽(藤本)みたいな気がしてるというか」

会場 (笑)

川地さん「個人のキャラクターもあるが、僕がやっている痛みを伴う話って、それなりのモードが必要だと思っていて。それぞれの中にある想いの表現が重要になっているんですが、痛みの記憶や感覚を共有しやすいように、演劇やものをつくるワークショップなどを挟みながら進めています。それは遼くんの活動とモードが全然違う気がしていて。自分としては、コモンズになるのはどこからなんだろう、なにかを共有できてつながった、そういう場が成立したと感じるのはどのタイミングなんだろう、というのが気になる。それは、僕が食事や単にイベントで出会っただけで深くつながれた経験がないからなのかもしれない。僕自身が相手と深い話をしたときに人とつながれた感覚があるからなんだよね。」

藤本さん「面白い。」

川地さん「だから、カレー食べただけでつながるっていうのは、自分の中ではあんまり考えられなくて。あ、否定とかじゃないよ(笑)!でも逆に、そのとき一緒にカレーを食べていた方が、そのあともっと長くつながることもあるとは思うんです。だから、コモンズになったという感覚はどこからなんだろうと少し疑問に思いました。」

藤本さん「そうですね。僕は人ってそんなにいろんなことに興味がないと思っているんですよね。自分の生活にまつわることには、もちろん興味関心のアンテナは高いんですが。より突っ込んだ言い方をすると、興味関心を持つためには時間的な余裕と一定の知識が必要になると言うか。もちろん、自分の当事者性が高ければ高いほど、関心は高まると思うんです。ただ、自分の興味関心の範疇じゃないものもあると思うし、社会的に重要なイシューもどんどん増えていく中で、それらの入り口ってどれくらいあるんだろうということは常に気になりますよね。あ、ちなみにですが、カレーがきっかけで今一緒に仕事しているメンバーもいます(笑)。」

森さん「おお。カレーがきっかけで。」

藤本さん「イベントの話で具体例を出すと、最初のイベント(最初の遭遇)では無理なんだけども、出会った後に3年ほど関わっていると、状況が変わるんです。僕は「ミーツ・ザ・福祉」という障害福祉にまつわる企画を数年続けているんですが、そこで出会った聴覚障害のある知り合いが『実は過去、パートナーが飛び降りをしたときに電話ができなかった(それで救うことができなかった)』みたいな話を聴かせてくれたことがありました。話としてはめちゃくちゃ重いわけです。絶対に誰にでもベラベラ話せることではない。そういう話もできるような関係性の深まりを目指しているんだけれど、入り口は僕はめちゃくちゃライトにするんです。そこからどう関係性を紡いでいき、続けていき、わたしたちのコモンズにしていくかはその人たち次第なんだけど。でも、入り口は入りやすい方がいいというか。」

川地さん「なるほど。面白いですね。」

コモンズになっていくプロセスにおいて、入り口のライトさや場の深度はそこまで関係ないのかもしれません。誰かと関わりを持ったときから、その後にどう関係性を続けていくのかが重要だということが3人の話から導き出されました。常に人と向き合い続けるということはそれぞれに共通していることのように思います。

そのように、多くの人と向き合い続けてきた3人。最後は誰かと、あるいはなにかと向き合うことでの苦しさや葛藤、どこまでのことを自分が引き受けるのかという話に展開していきます。

『引き受ける』と決めた先にある想いとは

川地さん「今の話を聴いて、入り口をつくったあとにどこまでその事柄や相手の人生、悩みを引き受けられるのかということを考えていました。ちょうど森さんが昨日自分で引き受けられるのはどこまでなのかという話をしていたので。」

森さん「急にボールが飛んできた(笑)。つい昨日、引き受けるという話をここにあるの事務所でさせてもらっていて。自分の中からライフプロジェクトがはじまっていくことはもちろんいいことなんだけど、その部分にだけ向き合うのは違う気がするんだよね。ライフプロジェクトは苦しいなにかがきっかけになる場合もあるけれど、楽しいことがきっかけになることもある。でも、楽しいことだけだと閉じていってしまうこともあるように思っていて。」

藤本さん「なるほど。」

森さん「自分たちでプロジェクトや場づくりができるようになっていくと、そこに興味関心のある人だけが集まってきてしまうという問題が起こる。そうすると、簡単に誰かの居場所になってしまうというか。地域や社会における本当の問題は違う部分にあるけれど、とりあえず集まってくれている人たちだけで楽しもうとすることで、独自の生態系ができてしまう。移住者コミュニティと旧来から住んでいる人たちの分断みたいな話もまさにそうですよね。別につながっていなくてもある程度問題なく生きていけてしまうというか。」

川地さん「確かにそうだね。」

森さん「でもこのままでいいのかなと思ったのが最近で。自分は、そこを引き受けていかないといけないんじゃないかなと。例えば、次の世代は育っていないなとか、商店街のしがらみは大変そうだなとか、商工者が思うまちづくりと自分たちのまちづくりは違うなとか。地域で本当にちゃんと見てみるといろいろめんどくさそうなことが多いんですよね。今までのようにそれを無視することもできるんですが、結局全ては自分に紐付いているからこそ無視できない自分もいる。せっかくつながっているのなら、もっと積極的に自分から関わりにいこうというモチベーションと怒りからはじまったのが「さばえまつり」なんですよね。そこで僕はいろんなものを引き受けている。それを引き受けなかったら本当はアクセスしなきゃいけない部分にアクセスできないまま終わってしまうから。そういう思いもあり、引き受けることにしました。ただ、自分って有限な存在であり、全てのことに対してケアできるわけではないからどうしようという悩みもありますね。」

川地さん「話を聞いていて思ったことがあって。なんだかライフプロジェクトというワードが誤認されている気がしているんですよね。」

藤本さん「ほうほう。というと?」

川地さん「私が突き動かされてやっているということ。別にそれが間違っているわけではない。でも、プロジェクトのそもそもの意味を考えたときに『前方に(pro)-身を投げ出す(ject)』という意味になるんですよね。つまりライフプロジェクトは、自分の生をなにかに投げ込んでいくというのが正しい意味なんじゃないかと思う。そうなったときに「さばえまつり」は森さんにとってのライフプロジェクトなんだと思っていて。私がやりたいという気持ちと私がやらざるを得ない感じが混沌としている状態がすごく大事なんじゃないかな、と。今やっているのは『私がやりたい!』みたいなそういうテンションのものではないような気がします。」

藤本さん「それを受け取って話すと、僕は2015年に独立してフリーランスをしていて、2019年に法人化したんですけど、今はメンバーも少しずつ増えてきている状態なんです。会社にしてから1年目から3年目まで(2020-2022年ごろ)は個人事業主のときとそこまで意識的には大きく変わらず、多くをプロジェクトベースで進めていたんです。その後、自分でもなにがきっかけだったかあんまり覚えてないんですが、どこかのタイミングでちゃんと組織をつくらないといけないなと思ったんです。ひとつにはもちろん自分の変化もあって。人の関わり方や向き合い方、自分の感情の表現の仕方などが変わったんです。あとは現実的に仕事が回らなくなってきたこともあると思う。ちゃんと人を育ててやっていかないとしんどいぞ、と。もともと会社にしたのは、1人での限界もあるし、尼崎というローカルだけでやる限界を感じたからでもあるんですよね。それを続けても移住者コミュニティだけで楽しんでいるような、共感できる人たちだけで楽しんでいるような感じがして。」

川地さん「なるほど。」

藤本さん「地元のローカルだけでやっていて、大きなシステムとか社会構造みたいなものを変えていけるんだろうか、ローカルで面白いことをやっている1つの事例で終わってしまうんじゃないかということに危機感を覚えたんですよね。それで、ようやく変化が具体的な形になってきたと思ってます。経営者としての自覚や覚悟みたいな話でもあるんですが、関わる人たちとの関わり方も変わったし、メンバーの育成や会社組織のチームビルディングみたいな話もそうで。でも最初は会社をやりたいわけではなかったのも事実なんです。経営者や社長も向いていないと思っていた。だからなぜかわからないけれど、そういう役割をある種引き受けちゃったという感覚もありますね。」

森さん「なんか、人って成長の順番がある気がしていて。僕も最初は、自分ひとりの感覚で自分の興味関心に応えるプロジェクトをしていたんです。例えば、子ども向けの探究学習型の塾をやっていました。それは、学校での学びではなく、自分自身でなにかをつくっていくことが大事だということを教える場がたくさんがあったらいいな、それが社会に広まったらいいなと思っていたからなんです。そのときのモチベーションは、僕自身の興味関心でしかなかった。仲間に頼ることを知らなかったんですよ。けれどいろんなことをしていくうちに、たくさんの人の手を借りた方が遠くまでいけるな、いろんなステークホルダーを巻き込んだ方が自分が思うイケてるものに近づくな、と思ったんですよね。そういうことを考えたときに自分の引き受ける幅や射程範囲が広がっていく感覚になった。それって少しずつ進んでいくもの、変わっていくものなのかなと思っていて。だから急に全部の網の目引き受けて、みたいのは違うと思うんですよね。」

川地さん「うんうん。」

森さん「そういう意味でいうと、遼ちゃんの『引き受け方』は面白いなと思って。引き受けるのは遼ちゃんが中心になってやっているんだけど、同時にその担い手も一緒に育てようとしている感じがする。会社なんだけども、一緒に教育プロジェクトをやっているようなそんな感じがしてます。」

藤本さん「そこは大事にしてるね。自分の興味関心とか『まちに友達が増えたらおもろいやん』からはじめてまあまあ友達が増えて、そこから『やりたいことってそれぞれの人にあるんだな』ということに気づいたんですよね。だからそれぞれがやりたいことを一緒に進めていって。あるいは、活かされていないけれど価値のあるものって街中に転がっているなとということにも気づいて。『見せ方を変えたらおもろくなるやん!』ってことを仲間と一緒に実験的にやってみたりしました。その後会社になるわけですが、会社のメンバーとやっていく中でもともに探究するということは大事にしていますね。自分の興味関心もだし、私たちの興味関心をどう形にして実践していくか。どう自分の射程を広げていくのかはかなり意識しているなと。あとは行政や大企業の中での共感者や仲間をどう育てていくかもすごく意識しています。」

森さん「この話は、さっき話した今までテーブルについたことのなかった人たちが同じテーブルにつくという話につながる気がしていて。そのテーブルの数を増やすことや僕たちが用意する舞台の上には小さなうつわが実はたくさんあること。そのうつわにはその人それぞれのやりたいことが込められているんだと思います。いかにして多くのうつわをつくるかということを遼ちゃんは考えているのだと感じましたね。」

川地さん「ライフプロジェクトもうつわの話もその人のそうせざる得ないその人らしさがあって。その周りにしか集まれない人たちもいて。それが複数あるのが大事だなと思いましたね。」

森さん「その人たちがうつわとうつわの間を取り持ってくれるからね。」

川地さん「そうだね。それは意識しているね。複数のうつわが立ち上がることも大事なんだけど、どううつわが立ち上がっていくのか。いろんな舞台をつくろうとする人がいたとしても、その人たちがある程度多様な引き受け方をしないとうつわ自体も増えないと思うし、多様化していかない。これに関して2人はどう思いますか?」

森さん「エツィオ・マンズィーニの言葉を借りると彼は『人はみな歌うことができる』と言っていて。要するに誰もがライフプロジェクトを育てていくことができるんだと僕は思っています。ぼくらのようにうつわを狙ってつくることもできるけれど、一方で誰かが思う課題や原体験から共感が生まれ、できあがったうつわもあるんじゃないかと。」

川地さん「なるほど。」

森さん「そういう風に連なってうつわができたときに世の中の語りになっていく。そう思ったときにライフプロジェクトとうつわって二項対立ではなく、同時にできていると思うんですよ。」

川地さん「確かに。カリー寺の話もそうだね。僕も自分が開いたプログラムに来てくれた女の子が自分たちのプログラムから影響を受けてくれて、似たようなイベントを今度は彼女自身で開催してくれていたことがあって。そういう瞬間にうつわが増えているのと同時に、自分が大事にしたい思想ってこう受け継がれていくんだと思った。」

藤本さん「めっちゃいいね。」

川地さん「継承することってすごく長い時間がかかることだと思っていたけど、自分の考えがどんどん連なっていくことにすごく希望を感じた。」

藤本さん「いい話ですね。でもそろそろいい時間なので、締めていきますね。ちょっと今日のタイトルを回収できたかは危ういですが、みんなの話を聴きながら今日の舞台が踊りたくなるような舞台なのか、その一歩目だったのかを考えていたんです。当初から『このイベントの片付けは参加者のみなさんと一緒にする』と言ってましたが、そういうことはとても大事なのかなと思っていて。僕は、都市における共同作業をどうデザインするかという視点がめちゃくちゃ大事だと思っているんです。単発じゃない関係性、あるいは役割が限定されない関係性って都市よりも田舎の方が多い感覚があるんです。」

川地さん「なるほど。」

藤本さん「都市は購買行為や消費行為を中心に社会が構成されている。そこではいろんな関わりがあるように見えるけれども、実は限定的なのかもしれないと。僕はこれまでの活動でそういう共同作業の場をかなり意図的にデザインしてきました。タダでは帰さないぞ、みたいな。別に片付けしなくてもいいんですけど。」

会場 (笑)

藤本さん「それって実は話したい人にとっては、いい口実になると思うんです。片付けをするフリをしながら川地くんと話せたりとか。それって踊りたくなる舞台、コモンズのとっかかりだと思っていて。それはもしかしたら人の可能性を広げることにつながるかもしれないよね、と。で、それを受け取った人が、次また誰かにコミュニケーションの取り方や場づくりのエッセンスを渡していく。これがさっきの話とつながると思うんですよね。だから一緒に片付けを手伝ってくださったらコモンズが生まれるかもしれません。」

森さん「かわいくまとめたね(笑)。」

3人の談話には、とても熱がこもっていたのが感じられました。1人の考えに対して誰かが付け足し、そこから新たな問いを投げ、さらに深めていく。コモンズという切り口から3人が持っている思想の部分が垣間見えました。イベント終わりには参加者も一緒に片付けをし、そこから自然と会話が生まれていました。その場に、登壇者と運営者と参加者という壁はありませんでした。

1人ではなく誰かがいるからその場(コモンズ)を支え合えているということ。コモンズは誰かの思いが受け継がれることで継承されていくということ。そして、自分なりのうつわをつくり、それを残していくための共感者を増やしていくということ。それらがつながっていき、コミュニティや社会にインパクトを与えていくのだと感じました。

このnoteを読んでよりコモンズについて知りたいと思った方は、川地さんの「クリエイティブデモクラシー」と森さんが翻訳している「ここちよい近さがまちを変える」を手にとって読んでみてください。また新たな発見があるかもしれません。

今後も、ここにあるのイベントを発信していきますので、どうぞ、お楽しみに。


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