喜如嘉祭2002_013

どうして沖縄へ?と聞かれたから (2004年6月 記)

先日、NHK Eテレ日曜美術館「琉球の風を纏う 喜如嘉の芭蕉布」に便乗して、と一つ回想記事を書きましたが(「ある日の芭蕉布工房にて」)、番組の内容についての直接の感想は書いていませんでした。
かつて「本土から来た伝承生として働いていた自分」はあの番組を見て改めて色々と思うところもありました。それについてはおいおい書けたら..と思ってますが、今回は16年前の2004年・・・芭蕉布工房を辞め、自分でイラクサと大麻の糸を使った仕事をはじめて2年弱の頃。当時はまだ沖縄在住・・・に書いた文章を再掲します。 芭蕉布工房で働いていたことは当時は表に出していなかったので、ちょっと曖昧な表現になっています。


私が沖縄にきたのは
織物の工房で働くためでした
1995年の秋に工房を見学して
1997年6月の末
工房に入ることを許され
来沖しました
ちょうど7年前です


畑で糸の原料を育て
繊維を採り
糸を績み
撚りをかけ
絣を括り
糸を染め
機にかけ
織り
仕上げをする
そのすべての工程に携わる
仕事がしたくて
(今でもやりたいです)
そういう仕事が
沖縄にあったのです


地域の共同体のなかで
生きてる仕事がしたいと
思っていたんだとおもいます
個性、個性というのにも
嫌気がさしていました
ただただ手を動かして、
そこからどうしようもなく
にじみ出てしまうもの、
そういう個性で充分じゃないか、と。


でも
実際のところ。


「地域の共同体の中で
生きている仕事がしたい」
なんてのは
現代のニッポンでは
幽霊に憧れる
みたいなもので・・
沖縄でも、少なくともここでは、
やはりそれは例外ではなく


今、仕事をしている
熟練のおばさんたちが
自分の娘が同じ仕事をすることを
決して勧めないのですから


さてさて・・
私は夢を
みていたみたいです...




2004.6.11 記 西川34歳  
トップ画像は2002年の喜如嘉祭(西川撮影)



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