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人類は機織りをやめないと思うのよ当分は

なぜこの(染織・機織り)仕事をしているの?とよく聞かれます。

多くの方は、西川個人の人生に起きた、この道に入ることになった具体的なきっかけや、転機を聞いてくださっているのだろうと思います。これから書くことはその直接的な答えにはなっていませんが、西川が何を考えて仕事をしているのかは少しわかっていただける...かも?


なぜ西川はこの染織の仕事、しかも手で織る仕事をしているのか?

それは、経糸(たていと)と緯糸(よこいと)が交わることで出来る織物の構造の中に果てしなく広い世界があって、それがめちゃくちゃ面白いんだぜ!!!

という個人的な嗜好が根底にあるから。

素材の制約、道具の制約、時間の制約、コストの制約、そして自身の能力の限界。
その制限の中に無数の選択肢、世界があり、面白さがあるんですよおおお!!!

..はい、ここで話は終了!!って感じですが、もうちょい大風呂敷を広げて続けます。続けさせろーーーーー!!!


人類は、織物を発見・発明してから現在に至るまで、道具や素材の変化を経ながらも休みなくずっと何千年もこの「織物」を作り続けてきました。

意外に思われるかもしれませんが、織物の基本構造・テクニックは(平織、綾織、朱子織、捩り織、ノッティング、多重織..等々)古代のメソポタミアやエジプト、中国、ペルーの人たちが発見・発明して以来ほとんど進化していません。素材、道具・機械、加工技術は大きく進化しましたが、織物そのものの基本的な構造とテクニックは何千年と変わっていないのです。

というわけで、人類は織物を何千年も(石器時代からなら何万年もかも)飽きずに作り続けてきてただいま西暦2021年。大袈裟にいえば、この何千年と続いてきた染織の大河に自分がほんの刹那、一つの水分子にも満たないような粒としてでも関わっているんだなあ、とかふと思うとくーったまんねーよな!みたいな(笑)。
大変おめでたい奴でございますが、それは手織りに限らずすべての織物製造者が感じて然るべき感覚だと私は勝手に思っているのですが...共感してくれる同士がいると思いたい!!!


それではなぜ自分は手織りなのか?

(話がめちゃくちゃ脱線しますが、機械の「機」は「はた」とも読みます。
「機」の字をよーく見ると…木で出来ていて…糸のカセがふたつ..下には人が座っていて…機織り機に見えますよねっ?昔の中国の人が考えた複雑な構造を持つ「機械」の代表は「機(はた)」「織り機」だったんですねえ。ですから「手織り」といいながらも、元祖「機械」を使って織ってますんでワタクシ..とも思っています、ややこしい奴でスンマセン)


現代のこの高度に細分化・専門化・機械化された世界では、原材料から完成品に至るほぼすべての工程に一人の人間が真剣に関われる仕事はとても少なくなってしまいました。それはつまり言い換えればこの手織りというのは「前時代的絶滅危惧種な仕事」ともいえます。が!それを自分はやってみたかったんだよー!!!というこれまた個人的な嗜好が出発点なのです。


一部の人たちが懸念している(多くの人たちは無関心ですが)多くの手仕事と同じように、自然素材の「手紡ぎ」「手績み」「手織り」は産業としてはどんどん縮小していくでしょう。とうの昔に消えてしまったり、まもなく消えてしまう技術も道具も知識も沢山あります。残念だし激しくもったいないと私も思います。

しかし、好奇心、探求心、研究心や純粋な楽しみ、趣味、教育の一環としてなどなど...「生業」「産業」としてではなくとも、きっと何らかの形で「手と原始的な原材料、道具を使っての布作り」は形を変えつつも残っていくと思っています。


人間は直立して歩き、手を使うようになったことで知性を発達させたと言われています。人間の脳の発達、つまり人類の生活や思考の発達は「手を使う」ことと共にあったと言えるでしょう。

最終的には機械で大量生産をするメーカーであっても「ものを作る」現場の人は
「手を、触覚を使う」ことの重要性を知っていると思います。直に素材に触り、手を動かすことによってリアルな創造性が広がっていくことは多くのみなさんが実体験で感じていると思います。

そして「手、触覚を使う」ことの心地よさも、多くの人は漠然とであっても感じているのではないでしょうか..視覚情報、知識が偏重されがちな現代においては特に。ある人にとってはそれが料理だったり、DIY全般だったり。畑仕事やスポーツ、キャンプなんかもそうなのかもしれません。同じようにある一部の人は繊維を取り出したり、糸を紡いだり、績んだり、染めたり、織ったり..が、面白くてやめられないのです。


また逆説的かもしれませんが、インターネット等による高度情報化社会のおかげで
個人と個人が繋がりやすくなったことによる変化もあります。

例えば私が主に使っているイラクサの糸。そのイラクサから繊維を採って糸や布にすることにハマっている世界各国の人たちが参加するグループがネット上に存在します。色々な人たちの試行錯誤を見るのは本当に面白いです。

ネット以前の時代に比べるとアクセスできる情報や交流の場が桁違いに多くなりました。手仕事で試行錯誤する人たちにとってもこれは大変な力になるものです。
先にも書いた「消えてしまいそうな技術」も今なら映像と文書で記録してネット上に残しておけば世界中の人が同時に試す可能性のある時代です。

そして「前時代的絶滅危惧種仕事」を「現在進行系の仕事」に転換するチャンスもこの情報化社会はもたらしてくれているとも思います。(これについてはまた機会を改めて書くかも。書かないかも。。)


さて、ここまで読んでくださった方はお気づきかと思いますが、私は「伝統を守ろう!」「手仕事を守ろう!」等々の理由でこの仕事をしている人間では「ありません」。社会的大義名分を掲げるには自己中心的過ぎる理由でこの仕事をしている人間なんであります..

そして「(日本の)伝統」「手仕事」「民藝」というような括りではなく、人類全体での大きな歴史の流れや、(今回は触れませんでしたが)繊維や色素などの物理的化学的特性下で作る、という捉え方が自分にはリアリティがあり面白いのです。


極論をいえば、残るものは残るし、淘汰されるものは淘汰されるだけ。自分もいつ淘汰されるかわかりません。(産業としての構造的問題もあると思いますがそれは今回は置いておきます)




しかし、機織り、手織りを、人類は当分やめることはないでしょう。なんてったって、そこはすごく広大で面白くて魅力的な世界ですから!そして私も機織りの世界で頑張ってもがいていこうと思います....当分は!(笑)



(トップ画像は今はもう成人した息子が小3の時に夏休み、木枠に釘を打って機を作って織った時のもの)



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