わたしがどう感じるか、を感じる。
20数年前、アムステルダムでゴッホの絵を観たことがあった(はず)。
ゴッホの絵は、確かに自分の網膜に映ったはずなのだが、どんな絵だったのか、これっぽっちも覚えていない自分をみつけた。
つい最近、原田マハの著作『たゆたえども沈まず』を読んだ時のことだ。
今年の初め、隣町の美術館に表現主義の絵画を観に行った時、自分の目の向け方や感じ方が、それ以前と何か違うようにおもえた。
春になって、木々が芽吹くようになり、花が咲き始めて、またおもった。
春色の感じ方が、去年とは違う、と。
冬期、6カ月間に受講した芸術研修は、わたしの中に、新しい「目」を作ってくれたのかもしれない。
こんなことがあって、これっぽっちも覚えていないゴッホの絵を、今の自分の「目」で、もう一度、観てみたいと思い立ち、今週、アムステルダムに行ってきた。
改築されたゴッホ美術館の近代的なエントランスは、ガラス張りの天上から明るい光が差し込む広い空間だ。
今回は、わたしがどう感じるか、を感じたかったので、あえて、音声ガイドなしで観たいと思った。
ひとたび展示室にはいると、照明が極度に抑えられていて、少し厳粛な心持になった。
そして、一番最初の絵に、わたしは、心を奪われた。
柔らかく波打つ黄色
ターコイズ色の空
薄紫、青の山並み
なんて、柔らかな色合いなんだろう。
あたたかい日差しが感じられ、
紫色がかった山のやさしさが心地よい。
わたしは、もう、涙目になっていた。
オリーブ林の色も柔らかだ。
緑系のオリーブの葉っぱと
黄色系の土が一緒になって、
やはり、あたたかさをつくっている。
パステル調のゴッホの絵に、わたしの心は、静かに揺り動かされた。
わたしが想うゴッホ像にピッタリと合うような絵もあった。
歌川広重の『梅林』を模写したものだ。
赤が迫ってくる。
下手に近づいたら、火傷をしそうな熱い赤だ。
少し、こわさを感じた。
模写からはじまったかもしれないが、オリジナルの版画絵とは全く違う、
ゴッホ自身の絵になっている。
オリジナルの版画絵 ⇓
そうかとおもうと、淡い色調の繊細な絵にも出逢った。
静かな清涼感が漂っていると感じた。
心なしか、物悲しさも。
対照的な色合いに、ゴッホの心が映し出されているようだった。
静と動
光と影
強さと柔らかさ
繊細さと強靭さ
たくさんの真逆な性質が、わたし達の心の中にあるのだろう。
それらを、いかに調和させて、自分の生に活かしていくか。
まずは、感じることからはじまるのではないか。
色をみて、絵をみて自分が何を感じるか。
外のなにかや、他の人を感じることを通じて、
自分を感じることができる。
自分を感じられると、その時、
自分とわたしがつながっていく。
すると、わたしが外界とも結びついていく。
その昔、ゴッホの絵をみた頃のわたしは、
なにをどう感じるか
を意識していなかったのかもしれない。。。
美術館の外にも色が溢れていた。
今このときを、
美しいものを、
しあわせを、
とことんかみしめて、味わいたい!
そうおもいながら、爽やかな風を肌に感じた。
Reiko
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