市笑

ししょうです。 文学について。 造園会社のこと、現場監督のこと。 公園と、四季を感じる…

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ししょうです。 文学について。 造園会社のこと、現場監督のこと。 公園と、四季を感じる暮らし。

マガジン

  • ランドスケープ編

    造園会社の現場代理人(文系)がランドスケープについて考えたことをまとめています。

最近の記事

離乳食をつくりながら料理と、アートとデザインの違いを考える瞬間。

離乳食を作ることの難しさ 離乳食をつくるのは難しい。子供が産まれて、最初は母乳とミルクだけだったのが生後6ヶ月過ぎから離乳食がはじまって、一歳になる今では完了期食に入っている。大人とほぼ同じ料理だが、薄味で、1cm角くらいに刻んでいる状態。「大人とほぼ同じ」と言っても、やはり同じではない。これがなかなか難しい。なかなか食べてくれない。 なにぶん、初めての子育てだからどんなものを食べてくれるのか見当もつかない。適量もわからない。大人のレシピであれば、冷蔵庫にあるものを適当に

    • 栃木県高根沢「元気あっぷ村」再訪を、公園施設と地方創生の視点から予習してみる。

      高根沢町を訪れる 高根沢とは、栃木県の中央に位置する町で、県庁所在地の宇都宮から地図の右上へ電車で15分ほどの通勤圏、人口3万人弱の小さな町です。 航空写真で見るとわかる通り、もともと水田が多い農村だけど、県庁所在地の宇都宮のベッドタウンとしてここのところ着実に人口増を続けているエリアでもあります。 栃木県には、学生仲間と鬼怒川温泉に行ったことがあるらいで宇都宮餃子も食べたことがないけど、高根沢町には縁があって2021年の夏に日帰りで行きました。 そのときに、町営施設の道の

      • 記憶装置としての植栽(HONDA和光ビルのランドスケープ)

        シーアイハイツ和光というマンションの集合住宅植栽とその歴史について、前回記事でまとめました。今回はそのお隣のホンダ和光ビルについて。 シーアイハイツの目の前にホンダの大きな敷地がある。あまり特徴が思い浮かばない和光市だけど、和光市といえばホンダ。次に理化学研究所だよね、と言われるほど和光市のなかでホンダの存在感は大きい。 和光市駅からすぐの広大な敷地に建つホンダ和光ビルはホンダの本社のひとつ。いろシーアイハイツと同じく竹中工務店施工で、どちらも建築の受賞歴がある。 隣接して

        • 工務店に学ぶ“四季を感じる暮らし“

          四季を感じる暮らしが好きだ。 50年後の日本で「四季」という言葉が気象学的にしっくりくるかは誰にも分からない。 それでも、みんなの暮らしと心のなかには「四季」が息づいている、そんな未来のためにこの言葉をこれから半世紀、掲げたい。 “四季を感じる暮らし“ ところで、人はどんな時に四季を感じる暮らしについて考えるのか? 四季を感じる暮らし、と検索するとどんな検索結果になるのか?調べてみた。 思っても見なかったことに、けっこう工務店のページがヒットする。これが実に面白い。工務店

        離乳食をつくりながら料理と、アートとデザインの違いを考える瞬間。

        • 栃木県高根沢「元気あっぷ村」再訪を、公園施設と地方創生の視点から予習してみる。

        • 記憶装置としての植栽(HONDA和光ビルのランドスケープ)

        • 工務店に学ぶ“四季を感じる暮らし“

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        • ランドスケープ編
          3本

        記事

          都市に根づくためのランドスケープ〜マンション植栽の時間軸を考える

          シーアイハイツ和光の樹林 有楽町か東上線で和光市駅へ。そこから徒歩5分ちょっと歩く。 シーアイハイツ和光。15階建てのマンションが8棟建ち並んでいる。ここは僕の新しいふるさとの一つだ。総戸数1600戸のマンション群で、敷地内には広大な緑地がある。住居エリアが縦に積層することで、その他の共用スペースに豊かな緑地が実現する。樹林だけでなく、遊具のある広場やテニスコートも備えつけられている。どちらが良い悪いという話じゃないけれど、都市部の住宅街で無秩序に戸建が立ち並び、それらに

          都市に根づくためのランドスケープ〜マンション植栽の時間軸を考える

          森のオーヴァルを探して

          森のオーヴァル。 開けた秘密の場所。 そこでは空は誰の空でもない、自分の空だ。 そんな場所、あるいは概念について。 森を歩きすすめると、ふと樹林がとぎれ視界がひらけ空がぽっかり現れることがある。樹林の中の小さな空地だ。そこに木が無いのは、湿地か沼や池があるからか、なにかしらの理由があるのだろう、木がない。そうすると、樹木のアウトラインに切り取られた楕円形の空が現れる。昼であれば、青くて丸い空。夜であれば森に切り取られたプラネタリウム。 その空間にたどりつくと、とても自由な

          森のオーヴァルを探して

          公共工事をカイゼンする手法を考える。〜建設カイゼン会議〜

          私の仕事は、公園をつくることです。現場監督として現場で職人さんをまとめて、工期内に公園を完成させる仕事です。ざっくり言うと現場監督は、工期・予算・安全・品質と、様々な側面から工事全体をコントロールする仕事です。 公園工事の場合、発注者は役所なので、予算の都合上、私たちの仕事は年度末に集中するという宿命があります。完成するまでは終わらない悪夢のような年度末…。 14連勤で現場に朝から晩までいるなんてざらにある、怒涛の日々でした。しかし、「終わらない現場はない」を合言葉にがむ

          公共工事をカイゼンする手法を考える。〜建設カイゼン会議〜

          オリンピックを観ながらつぶやくはずだったあの言葉へ。

          仕事のはなし。3年間は辞めずに働こう、と就職したとき決めた。そして、3年目の夏に缶ビール飲みながらオリンピックを観戦しながら、ふと思いついたみたいに「あ、辞めよう」と言おうと思ってたのだ。 なんでビールを飲みながらなのかというと、村上春樹春樹がデビュー作を書くことを思いついたときのエピソードがかっこよかったからだ。神宮球場で野球観戦をしていてヒットを見たときに「あ、小説書こう」と決めたとかなんとか。 あと、就職してはじめての現場がたまたまオリンピック会場の整備工事だった。

          オリンピックを観ながらつぶやくはずだったあの言葉へ。

          夜空をあつめる 〜「天体観測」と「夜空ノムコウ」と「夜空はいつでも最高密度の青色だ」〜

          『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』の脚本を妻が読んでいる。 彼女と夜道を歩きながら夜空のことを考えた。 そんなわけで、いまからする話は、観てもないし読んでもない作品の、夜空の話だ。 この映画は、最果タヒ(サイハテタヒ)の同名の詩集(2016)を石井裕也監督が映画化したものだ。とくに詩集冒頭の「青色の詩」という詩を下敷きにしているらしい。 物語のあらすじは、看護師とガールズバーを兼業する主人公の女が東京の生活に不信と疲弊をかかえるなか、片目の見えない肉体労働者の男

          夜空をあつめる 〜「天体観測」と「夜空ノムコウ」と「夜空はいつでも最高密度の青色だ」〜

          都会で見つける色は

          何色だろう。都会で見つかる色は。 絵画と都市、住む場所の関係について。 何年も前、東京へやってきとき絵を描かなくなった。東京には色がなかったからだ。 かっのよく言い過ぎか。ただ単に、絵を描くアトリエのスペースがなかった(無料ではなかった)からでもある。大学の美術室はやけに狭くて息がつまった。 でも、スペースの問題だけではない。ローカル線の車窓から毎日眺めていた、山のみどり色や田んぼに映る空の青色。そんは景色が無くなったときに描かなくなったのだ。自然の色やかたちが実は、

          都会で見つける色は

          今日は「小説っておもしろいかも」記念日。1月4日。

          妻がはじめて言った。 「小説っておもしろいかも」 なので、今日は小説っておもしろいかも記念日だ。 ちょっぴり感動的に記念的かもしれない。 ちなみに妻が今日読んでいたのは、川上弘美の短編「亀が鳴く」。 あらすじ。 部屋に明かりもつけず料理もせず仕事もせず読書もせず一日ぼうーっとしている女の話。そんな女にあきれて同棲相手の男は別れをつげ、でていく。 話のクライマックスは、でていく男に「亀は私が飼います」、としかめつらしい顔を女がする。 何がいいって。 ぼうっーとした女が

          今日は「小説っておもしろいかも」記念日。1月4日。

          2020文藝賞『水と礫』を読んでたまげて歓喜したはなし

          2020年の年末も年末。一冊の小説を読んだ。素晴らしいデビュー作にであった驚きと、喜びを記録しておく。 藤原無雨『水と礫』(みずとれき)、2020年文藝賞受賞。 読みはじめて、びっくりした。これは事件だ。ラテンアメリカの小説を読むときの手触りがそこにはあったから。これは、僕たちの文学じゃないか。藤原さんという人は、友だちなんじゃないか、とおもった。   この『水と礫』という小説は、いま、ニホンの作家が日本語で書いている。たしかに、「東京」という場所が小説には書き込まれてい

          2020文藝賞『水と礫』を読んでたまげて歓喜したはなし

          読書、現実逃避、ハリネズミ。

          物語を読むことで救われることがある。 外の世界で、どうしようもなく身も心もいたんだとき、逃げこむ先、駆け込み寺。現実にたいする思考をいったん停止させたいと願い、ページをめくるとき、本はその本にしまいこまれたそ「時間」をそっと動かしはじめてくれる。そこにもうひとつの世界を開いてくれる。(だから、小説家とは、本を開くだれかのために「時間」を吹きこむひとのことなのだ。) はたから見れば、それが「現実逃避」であることはこの際いったん置いておこう。 読むことは、ハリネズミみたいに体を

          読書、現実逃避、ハリネズミ。

          赤と青の波。‖川上弘美と笙野頼子を読んで

           今日、二冊の本を読んだ。川上弘美『溺レる』と『笙野頼子三冠小説集』。 どちらも文庫本だ。読んでいる途中に気づいたのだが、どちらの表紙もあやしげな波状の線が描かれている。前者では、波状の線が青と白の空間を切りわけている。後者では、女性の肉体のようなスポンジ状の山のようなかたちがあいまいに、これまた波状に画面を走り、こちらは赤と白の空間を切りわけている。青い波は、『溺レる』という短編集の主人公の女たちが男たちとのあやふやでふたしかな関係に溺れていく(というより、溺れさせていく

          赤と青の波。‖川上弘美と笙野頼子を読んで