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「子供を産んで」、にどうして怒りが湧いてくるんだろう?

風邪ひきの日、布団のなかでゴロゴロしながらテレビをつけておりましたら、桜田前五輪相の「失言」報道。
今日も気の向くままに、ココロについてツラツラと。

今日は長いので目次を作りました。


傷つけるつもりはなかった

桜田さんの発言で心が傷ついた人、怒りを感じた人もいたと思います。
が、ご本人は傷つけるつもりはなかったそうです。

「少子化対策の一環として発言した。子供を持つ幸せを享受してもらいたいと心から思った。子育てしやすい環境をつくることが大事だと言いたかった」と強調。同時に「それを押し付けるつもりも、だれかを傷付けるつもりもなかった」と語った。

「誰かを傷つけるつもりもなかった」-
疑い始めればキリはないけれど、
個人的には「そりゃあそうだろうな」という気がします。
政治家は有権者から「信用」「信頼」を得ることが大切。
誰かを傷つけるなんて、自分の政治生命を断つようなものですから。

ちなみに桜田さんが言ったのは、

「結婚しなくていいという女の人が増えている。お子さん、お孫さんには子供を最低3人くらい産むようにお願いしてもらいたい。子どもを最低でも3人くらい産むようにお願いしてもらいたい」
産経新聞のサイトより

でした。

他意のない発言に傷つく私たち

さて、桜田さんの話を持ち出したのは、
この発言にどうして傷つく人がいるのか、
ということをお話しするためです。

30代の頃の私だったら
桜田さんのこの発言に結構反応したと思います。
当時twitterがあれば
「三人産めとかいっても、どーせ、無理ですよっつ!」と
毒を吐いていたことでしょう。

というのは、その当時わたしは、うっすらと
「子供を持たない私は、女性失格だな」と
いつも、なんとなく劣等感を持っていたからです。

そこにこのような発言があったら、
「あなた、3人どころか1人も産んでないのですね。
 ダメですよ。それは」
といわれたことになっちゃってと思います。こころのなかで。

でも...桜田さんは、
ひとことも「ダメ」とは言っていません。
(上の引用、確認してみてね)

「子供を産んでいない私は女性失格」という思いを
私は持っていたので
「(桜田さんに)ダメと言われた気がする」
という意味づけをして、ムカッっとしていただろう、
ということですね。

そう、他意のない相手の言葉に傷つくのは、
自分のなかに傷つく「受け取り方」があるから
なのですね。

つまり、「傷ついている」ときは
自分のなかに、
自分の傷を生み出すような思いがある

ということです。

けれど
ダメージが大きい時は、
「あの人のせいで、私が傷ついた」とか
「相手が自分を傷つけている」と
信じきっているものです。
ダメージが大きいあまりに、
怒り爆発ということもあるでしょう。

傷ついた声をきいてあげよう。そして自由になろう。

さて、私が言いたいのは
「桜田さんは間違っていない」とか
「蓮舫さん、よくぞ昔の私の気持ちを言ってくれた!」
といった話ではありません。

もし、誰かの発言がひっかかったたら
それは人に振り回される人生を終わりにするチャンスだよ

ということです。

「言った相手が悪い」と思っている間は、
自分は正しいけれども、被害者状態で苦しいまま
です。

けれど
「私の中に、自分を苦しめる思いがあるんだ」
ということに気がつけば
「じゃあ、私はどうしてこんな苦しい解釈しているのだろう?」
という自分自身への理解が生まれます。

自分を苦しめる思いから自由になる。
人生の主体性が、自分に戻ってくるのです。

というわけで、これは今の私から30代の私へ、
そして今子供がいないあなたへのラブレターです。

実はずっと
子供がいない自分のこと自分で責めていたんだよね。
苦しかったよね。
もう、やめてもいいんだよ。

どんな人生でもいいんだよ、自分を幸せにしよう。

それにしても、桜田さん、
「子育てしやすい環境をつくるように、
ワタクシは力を尽くして参りますっつ!」とかいえば、
ハナマルついちゃうところだったのに。
ああ、惜しかったなあ(笑)。


今日も読んでくださってありがとうございます。
自分にやさしくお過ごしください。

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