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【行動心理】信じるものは、救われる(ぬ)

1945年12月夕暮れどき、アメリカ、シカゴ郊外にある公園の一角で、クリスマス祝歌を歌う集団があった。

200名もの大きな集団だ。

時期的にそのような聖歌隊がいてもおかしくはないが、何かが変だった。誰もクリスマスなんて気にしていないようだった。

彼らは歌いながら空を見つめていた。

彼らは狂ったように歌い続けた。警察が来ても、歌うのを止めなかった。

それもそのはず。彼らは信じていたのだ。

「より高次な存在が空から降りてきて、自分たちを来たる大洪水から救い出してくれる」

終わる世界、そこにある救済

ドロシー・マーティン(Dorothy Martin)はシカゴ郊外に住む主婦だったが、あるときから宇宙人から地球とのメッセンジャーに選ばれたと主張するようになった。

彼女は自分をメッセンジャーに選んだ宇宙人のことを、ガーディアン(守護者)と呼んだ。ガーディアンからのメッセージは、ガーディアンが彼女に憑依し、彼女の肉体を借りて書き記すことで伝えられた。

最大の予言は、1954年12月に、アメリカ大陸の大部分を飲み込む巨大な洪水が来る、というものだった。

もしそんな大規模の洪水が来るのであれば、大惨事は必死だ。幸いにも、ガーディアンは(ドロシーを通じて)その危機を地球に伝えるだけではなく、救済策も用意していた。

「精神的に純粋であれ」

精神的に純粋であれば、ガーディアンは洪水の大惨事が訪れる前に、空飛ぶ円盤に乗って現れ、別の安全な惑星に送り届けてくれるという。

多くの信者はその教えに陶酔した。仕事を辞めた。愛する人たちと距離を取った。生活習慣を大きく変えた。

「この世界はもうダメだ」

熱狂的な信者の1人、チャールズ・ラフヘッド(Charles Laughead)はこう言った。

「より高次の存在が、掃除に来てくれるんだ」

チャールズはミシガン州立大学の内科医だったが、妻と共にガーディアンの警告を広めるのに夢中になり、仕事はクビになった。子供とも疎遠になった。

信じていたことが、起きなかったとき

1954年12月に信者がシカゴの公園に集結し、空を見上げガーディアンの円盤を探したのは、その数ヶ月前の7月、ドロシーがガーディアンからのメッセージを受け取ったからだった。12月のその予言の日、信者たちは空に向かって狂ったように歌い続けた。

円盤は現れなかった。

別の機会には、信者はドロシーの家の裏庭に集合した。シカゴの冬は厳しく、集まった人々は空を見上げながら寒さに震えた。

円盤は現れなかった。

円盤が現れないたびに、ドロシーはガーディアンからメッセージを受け取った。

「今はまだ時期ではない」
「地球に向かうまでにトラブルがあった」
「みんなが準備ができているか、テストしたんだ」

大洪水が起こると予言された日の前日、チャールズ含む信者はドロシー家のリビングに集合していた。誰もがチラチラと時計を気にしていた。緊張で気が狂いそうになっていた。

円盤は現れなかった。

時計の針が予言の時間を指しても、ガーディアンは現れず、大洪水の気配もなかった。信者たちは半狂乱になった。そして、予言の再解釈に躍起になった。

「我々はどこでガーディアンの警告を読み間違えていたんだ?」

彼らは全ての可能性を検討した。

もちろん、そもそも予言やら何やら全てが作り話…という可能性以外の全てを。

救われなくても、信じ続ける

その後も、ドロシーはガーディアンからのメッセージを受信し続けた。信者には、メールでその内容を配信するようになった。チャールズはミシガンにある自身の家を売り、国内を旅して予言の内容を啓蒙して回るようになった。

色々あったが、ガーディアンの存在を彼は信じ続けていたし、全ては大いなる計画の範疇だと考えていた。

1955年5月、とうとう時が来たと伝えられたチャールズは、再びミシガンに戻った。ついに、彼の全ての犠牲が報われる時が来たのだ。

再三の予言にもかかわらず、今までガーディアンは現れなかった。多くの信者が去った。

「選抜だったんだよ」

チャールズはそう信じていた。ガーディアンは、高次な惑星に移住するのにふさわしい人間かどうかを、何度もテストし、ふるいにかけていたのだ。

居なくなった人間は、所詮それまでだったのだ。

その夜、市内で一番大きいホテルのガレージの横道で、チャールズとその妻、娘、そしてその他の信者たちは、

いつまでも天空を見上げていたそうだ。

認知的不協和が起こりやすい3つの状況

紹介したエピソードは最も初期の認知的不協和 (cognitive dissonance)の研究で実例として紹介されているものですので、ご存じの方もいたかもしれません。

現代でも多くの人は、

「人間(特に自分は)理性的であり、正しい情報のみを信じている」

すなわち、

「自分と違うものを信じている人は理性的でない(自分より劣った存在)、もしくは間違った情報を得ている」

そして、

「もし間違った情報を得ているなら、こちらが持っている正しい情報を与えて認識を正してあげなければ」

と思っています。

ここで、

「君間違ってるよ、ハイこれが証拠」

と正しい証拠を突きつければ、人は「あぁ間違っていました!すみません、こちらを信じることにします」となるかというと、実はなかなかなりませんね。

むしろ、以前より苛烈に、元々の信念が強化される傾向があることが知られています。何度も円盤が現れなかったけれども、諦めなかったチャールズのようにです。むしろ彼は円盤が現れなかったことで信念が強化され、説得される側ではなく、啓蒙活動、説得する側になりました。

この例は特殊事例に思えるかもしれませんが、認知的不協和は誰にでも起こり得ます。主に、3つの状況で起こりやすいとされています。

1つ目はチャールズのように、何かを深く信じているときです。

円盤が現れない、ということが何度も何度も起きても、その度に円盤が現れなかったそれらしい理由を作ることができるので、そもそも自分の信じるものを否定しなくても良いのです。

2つ目は、自分の信じるもののために取り返しのつかない行動をしてしまったときです。

もし理想的な人と出会い系で知り合って、その人とトントン拍子にコトが進んでじゃあそろそろ…となったとします。そこで、その人が「親に病気が見つかって入院費が払えない」「学校に行くために借金をしてしまって首が回らない」など言ってきたとします。あなたはその人が理想の、もう2度と巡り会えない運命の人だと思っているので、何としてもお金を払います…….というのは、よくある国際ロマンス詐欺らしいです。

一度でも多額のお金を払ってしまったり、自分のプライベートな部分をシェアしたりしていると、信じ続けないと自分の過去(の決断)を否定することになるので、周りの人が止めても「どうして自分の幸せを応援してくれないの。運命の相手を見つけた私に嫉妬してるから、私を止めようとするんでしょ」と泥沼にはまりがちです。

3つ目は、信じている内容が具体的で、リアリティがあることです。

2つ目にも出てきた国際ロマンス詐欺でも、運命の相手を演出しつつ、「こういう人は現実にいそう」と思わせるリアリティを持たせているそうです。面が割れると都合が悪いので、主に電話でのやりとりになるようですが、ビデオ通話や直接会うことができない理由として、「世界中を旅して仕事をしているので、今はネット環境が悪くてビデオ通話にできないんだけど、次にジャパンに行くXカ月後には必ず会うよ約束する」…と言われたら、割と納得感があり、「その人あやしくない?」と周りに言われても反論できてしまいますよね。

終わりに

カルトや出会い系詐欺などに騙されている人を見ると、「いやいやさすがにおかしいことに気づくでしょ」と思いがちですが、1950年台に認知的不協和が発見されてから50年以上経つ今でも、そういった詐欺はなくなっていません。詐欺まで行かなくとも、Tw●tterなどで一方的な意見を押し付け合っている人はたくさんいます。

つまり、それだけ認知的不協和が我々人間の認知機能に深く根付いたものであり、何かを信じている人を外部からの力で変更するのは至難の業である、ということかと思います。

日本には「信じるものは救われる」という言葉があります。確かに何も信じるものがなければ、人生拠り所がなく辛いかもしれません。ただ、カルトや出会い系詐欺などにおいては、信じている内容が正しいか間違っているかは最早問題ではなく、信じ続けて万が一の幸せを手に入れるか、信じることを止めて失ったものの大きさに絶望するか、の2択しかない、という状況になるまで人は追い詰められます。そして多くの人が破滅するまで前者を選択し続けます。

信じるという行為が人間に普遍的なものであるからこそ、その性質を認知的不協和という概念も含め、知っておくことが大事に思います。

引用

https://stage.hiddenbrain.org/podcast/when-you-need-it-to-be-true/

A Theory of Cognitive Dissonance. Leon Fesstinger. Stanford University Press. 1957.

When Prophecy Fails. Leon Festinger, Henry W. Riecken, Stanley Schachter, University of Minnesota Press 1956.


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