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【番外】僕にとってのTwitter 〜「闘病」垢を始めるまで〜

ふわっと、こんにちは!ロミルです★

今回は番外編です。
今連載しているシリーズとは関係ありませんが、ちょっと覚え書きがてら残しておこうという話です。

1.はじめに

実は僕、Twitterもやっておりまして、そこでは自身の普段の闘病や、うつ病・発達障害に関するちょっとした思いなどを主につぶやいています。

また、自分と同じように精神疾患や発達障害を抱えながら日々を生きる方、別の疾患や特性だけども生きづらさを感じている方、さらにはそうした問題を抱える人々を支援する方など、様々な立場の方々と繋がり、日々の考えや苦悩の共有、こんな考えや方法もあるんだという学びをさせて頂いてます。

以下は、僕がTwitterでそのような「闘病」垢を始めるまでに至った経緯の話になります。

この話は、今自分が行っている一連の発信の起点となった話なので、自分自身が初心を忘れないためにも、ここに残そうと思いました。

なお、同様の話は既にTwitter内で投稿していますので、これ以降の内容はその「ほぼ」引用になります。
(一部、文脈上の都合で書き換えています)


2.本文

僕、今はなるべく過度なネガティブ表現はしないようにしていますが、元々からそうだったわけではありません。

実はその昔、かなりのネガツイを量産した後、Twitterを辞めていた時期があった話をしようかと思います。


今から7〜8年くらい前までかな…🤔
僕は今とは別のTwitterアカウントを持っていました。
それは闘病垢とかではなく、リアルな友人などと繋がっている普段使いのアカウントでした。

当時僕にうつ病の診断はなく、通院もしていませんでしたが、今思えばそれなりに病んでました💦


当時も仕事や会社の人間関係、友人関係などで思い悩む事が多く、よく落ち込んでいました。
そして、何かモヤモヤする度にその気持ちをどこかに吐露しないとおかしくなりそうで、ネガツイという形でTwitterに書いていました。

当時は若いのもあったのか、今よりもずっと尖ったツイをしてました。


ネガツイをした後、最初こそリアルな友人からの「大丈夫か!?」というリプがついたりしました。
しかし、その後も繰り返すうちにそういうのは無くなり、気づけば「いいね」一つつかなくなっていました。

僕は正直、愛想つかされた…見捨てられたと思いました。誰も自分なんか見ていないとも…


そういう状況になっても、暫くはTwitterを続けていました。
当時、そこしか素直に気持ちを表現できる場所がなかったからです。

たとえ誰も見てなくても、興味がなくても、誰かにこの気持ちを知ってほしい…その一心でした。

しかし、その後も反応はずっとほぼゼロでした。


最後は結局、気持ちが限界になり辞めました。「お前のツイートなど、誰も求めてない」と友人達から言われているような気がしたからです。

それからは、SNS自体から距離を置き続けて過ごす日々でした。7〜8年くらいずっと。
それが自分にとっても、他人にとっても最善だと思っていました。

やがて時は過ぎ…

そしてある日、僕はうつ病の診断を受けました。
それから数か月は何もする気が起きず、身内の支援だけを頼りに闘病していました。

しかし、それだけでは日々孤独が増すばかり。ふと、誰かの声に触れたくなったのです。

これが、Twitterの再開、ロミル垢始まりのきっかけです。


僕は、SNSと距離を置きつつも、捨て垢のように辛うじて残っていた1つのTwitterアカウントを本格稼働し、今の自身の状況や正直な思いを発信し始めました。

そして、それがやがて同じような苦しみ・生きづらさを抱えている方々が沢山存在していることの気付きへと繋がり、新たな出会いとなっていきました。


僕は、ずっとどこかで「独り」でした。でも、今は日本中の色んな方と思いを共有しています。

不思議な事に、一度は自分を出すのを諦めるきっかけになったTwitterに、今は救われています。

今では思います。ネガツイするのが悪いのではなく、僕の向き合い方が問題だったのだと。


確かに、SNSにはしんどい事も沢山あります。でもそれ以上に多くの、新たに知れる・学べる・気付ける事があるように思います。

ある界隈では受け入れられないとしても、一方では必要としてくれる人達もいるのです。

そうした人達のために、僕は今後もTwitterを続けます。
ネガツイ?全然いいよ😊👍

ありがとうございました!


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