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雑記(視線・顔・整形)

 「視線を感じる」と言うが、実際に「視線」をビームのように感じるわけではない。おそらくは、顔がこちらを向いていることに気づいているのだろう。感覚を超えた、第六感的なものがはたらいているとは信じがたい。

 これはつまり、顔というものが人間の身体のうちで特異な位置を占めていることを示している。顔はその人を代表・象徴する部分であり、人が他人を見るときにまず注目する場所だ。腕や足がない人はいても、顔がない人間は存在しない。

 ところでその顔だが、ここ数十年で整形というものが広まってきた。今のところ整形している人の多くは女性だが、今後どうなるかはわからない。世の中の潮流を考えれば、男性が整形するケースも増えてくるだろう。

 この整形という現象は、人間の歴史のなかで無視できない出来事だと思う。というのも、整形とはつまり、生まれつきの顔を変更する行為であり、自ずからある自然を人工物に転化するものだからだ。人間はずっと自然を加工する営みをしてきたわけだが、ここに来てついに自分を代表する働きをもつ顔も、その範囲に入ったのだ。

 もちろん化粧とか、服装とかの装飾はこれまでもなされていたわけだが、それらはあくまで人間を上から飾り付けるものだった。化粧をしていない状態のことを「素っぴん(すっぴん)」と言うが、これは文字通り「素」の状態ということだ。整形とはそういう「素」の状態を、つまり自然を変更するものと言える。

 あるいは筋トレなども広い意味では整形と似たような効果をもつが、とはいえやはりここには何か違いがある。おそらく、筋トレは筋肉がそれ自身よって生長するものなので、「外部からの変更」感がないせいだろう。

 ところで、自然を加工するとは、自然をモノとして扱うということだ。木々を伐採して材木にするように、なにかある目的のために「形を整える」わけだ。これはまさしく科学(とおそらく資本主義)のたまものだ。

 なぜ整形をするのかといえば、当然他人によく見られたいからだ。他人の視線とはまったく無関係に整形をする人はまずいないはずだ。つまり、人々はより一層他人からの視線を意識するようになっている。

 しかしやはりここには何かグロテスクなものがあるのではないだろうか。自分を代表する働きをもつ顔さえも――あるいはそうであるからこそ――他者の視線の内面化によってモノ化され、しかも実際に変更可能なものとなったのだ。

 人間のモノ化がますます進んでいる――陳腐な結論だが、こう言うことは許されるだろう。

ありのーままのー姿みせるのよー
ありのーままのー自分になるのー

アナと雪の女王

 

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