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自殺・殺人・特攻

 カミュの『反抗的人間』のなかにこんな文がある。

自殺を破棄するものは同様に殺人を破棄する

 『反抗的人間』は様々な論争を引き起こした著作だが、カミュはこの時期、従来の立場を転回させ、「犠牲者も否、死刑執行人も否」という言葉を残している。第二次世界大戦が勃発し、フランスがドイツに侵攻された当初は「目的のためなら手段は正当化されるケースもある」という風に考えていたようだが、この時にはその考えを撤回していると思われる。

 まぁ細かい話は置いておこう。ところで最近、『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』という映画が公開された。特攻隊員とその戦時中にタイムスリップした女子高生の話らしい。いかにもしょうもなさそうな映画だが、それはともかく、特攻とは自殺と殺人を同時に行うものだ(もちろん殺人の方は成功するとは限らないが)。前述したカミュの言葉に引き付けるなら、「犠牲者も諾、死刑執行人も諾」の最悪の行為が特攻(Suicide attack)だ。

 自殺とは「生は何よりも大切なものではない」と宣言することだ。これが肯定されれば、その対象が他人に向いたときには、当然殺人が肯定される。

 とはいえ、自殺することと他人を殺すことは、実存論的にはまったくの別物である気もする。

 ただ、一線を超えるという点で(つまり生の抹消という意味では)この二つは同じものだ。それに、戦争のときにはとうぜんこの二つを同時に肯定する論理がはたらく(それの極北が特攻だろう)。

 とくに結論はないのだけど、「人が死ぬ」ということに関してこういう論点は大事だと思う。

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