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雑記

 最近調子が良くなくて、記事を書けていなかったんだけど、そろそろ何か書きたいなーと思って今パソコンの前にいる。

 とはいえ書くことが思いつかない。何を書いてもくだらないものにしかならないんだろうなーという気持ちが心を支配してくる。


 最近読んだ本に滝本竜彦の『ライト・ノベル』『ぼくのエア』がある。滝本竜彦は『超人計画』で知って、そのオタクでサイケなところが面白いなと思った。

 『ライト・ノベル』は不思議な構造の小説なんだけど、ざっくり言えば人間の心理を「闇の迷宮」みたいなファンタジーの世界観で表現した感じ。正直「面白い!」とはならなかったけど、意欲作というか、他にないタイプの作品ではあると思う。

 『ぼくのエア』は、えーっと、なんだっけ……。あんまよく覚えてないけど、割とすらすら読めた気がする。ああそうだ、「エア」が主人公の脳をいじくって幸せとか悲しみとかを人工的に作り出すんだけど、最終的にはそれを止めてどうこう、といった感じだった。これには著者のサイケ体験が色濃く反映されていると思う。

 どちらも悪くなかったけど、面白さで言えば『超人計画』がダントツだな。何と言っても綾波レイが出てくるし。『超人計画』に出てくる綾波はエヴァの綾波とはかなり別物なんだけど、不思議と違和感なく受容できる。たぶん、エヴァの二次創作が氾濫するなかで、キャラクターの幅が広がっているのだろう。

 あとはハイデガーの『ニーチェⅠ』『ヒューマニズムについて』を読んだので、これについても書きたい。のだけど、いかんせんテーマがでかくて重いからなんか手を付けられないでいる。

 あと小林秀雄の「罪と罰について」みたいなのとかも読んだ。これは良かった。小林秀雄がどういう人なのかすらも良くわかってないけど、流石有名な批評家なだけあって、良い文章を書くなーと思う。たとえばラスコーリニコフが殺人を犯したことに対する洞察。

彼を馳って行為におかしめたものは、理論の情熱というよりも寧ろ自ら抱懐する理論に対する退屈なのだ、理論を弄りまわした末の疲労なのである。

「「罪と罰」についてⅠ」

事件の真の架空性、その真の無意味さは夢を試みようとして行われた行為であったという処にはなく、寧ろ夢を試みようとした行為が、少しも夢を破壊してはくれなかったという処にあるのだ

同上

 理論に疲れての実行行為(殺人・自殺)という点では三島由紀夫も近いところがあるんじゃないかと思った。詳しく知らないのでなんとも言えないが。

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