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真夜中のテンションはあなたの中の“天才”

夜はいい。特に真夜中がいい。

私は面白い出来事の90%は嫁に話している。
嫁が楽しんでくれるようにアレンジして話す。
いまいち興味を持ってくれないこともあるが
ねらい通りに笑ってくれたら最高の気分。

そんな私でも嫁に話せないこともある。
今日は嫁には言ってないことを書いてみよう。

あれは私が嫁と出会うはるか前のころ。
情緒不安定でキレやすかったころの私は
とある女と仲良くしていた。

話下手で、気の利いたことも言えない私は
その女の存在がありがたかった。
その女は少し年上で、優しく
色々なことを教えてくれた。
洒落た飲み屋にも連れて行ってくれた。

薄暗い空間と酒は人を饒舌にさせる。

これが今でも私の心に残っている。
暗闇は怖いだけのものではなかった。

夜はすごい。特に真夜中はすごい。
明かりが乏しい、音が少ないというだけで
世界は一変するし自分の意識も一変する。

私は夜に突拍子もないことを思いつく。
「今なら小説書ける気がする!」と
PCに勢い任せで書きなぐることもある。
それがどうしてどうして
筆はノリにノッて言葉があふれ出る。

しかし、次の日。

太陽のせいなのか、魔法が解けたように
昨晩あれだけ勢いよく書いた文章が
ひどく恥ずかしいものに見えてくる。

(やっぱりこんなのダメだ・・・)

そうやって削除した文章は数えきれない。

今ならわかる。
真夜中に啓示を受けたようなテンションで
脳内に広がる映像や言葉は自分の中の“天才”。
天才が自分の中にあるモノを外に出そうとして
神経と感性を総動員してやっきになっている。
真夜中に弱まる理性が天才の枷をはずす。

真夜中のテンションというのは
かけがえのない自分の創造性。才能そのもの。

その衝動にゆだねて作品を作ったときは
もう勢いにまかせて発表してしまおう。
自分以外の第三者に見せてしまおう。
こまかい粗なんて気にしない。
間違いなく新しい道が開ける。

当時の向こう見ずだった私も
テンションにまかせてゲームを作った。

ゲームといっても
『ツクールシリーズ』という
ゲームを作るためのツールで作ったもの。

つたないものだが全力で作った。
そして友達に見せた。プレイしてもらった。
何人もの友達が喜んでくれて、褒めてくれた。

あのときの快感や、全身のゾクゾク感は
経験しようと思ってもなかなかできない。
一生モノの体験として記憶に刻まれている。
当時の私は、このとき大きな学びを得た。

やりたい!と思ったものはやったほうがいい

自分の感性だけを頼りに一歩踏み出すのは
かなり勇気がいる。
思春期のときに恋の告白をするくらい
ものすごい勇気がいる。

(失敗したらどうしようか)
(嫌われてしまうんじゃないか)
(バカにされてしまうのではないか)

マイナスな言葉にやりこめられてしまい
一歩踏み出すのを保留できないかと迷う。

でも、一度保留したらそれはおしまい。
その時その気持ちだからやる価値がある。
保留なんてありえない。
やるか、やらないか。その二択だけ。

世間の人が言う「天才」というのは
こんなとき常に「やる!」を選択する人。
でも、いくら天才と呼ばれる人だって
100%成功なんかしない。
チャレンジは失敗するのが当たり前。
だから思った以上に「天才」でも失敗する。

それでも世間が彼らを評価してやまないのは
いずれ訪れる大成功を一緒に観たいから。

「やらない」か「保留」を繰り返す人たちと
「やる!」だけを繰り返す天才だったら
そりゃ、天才を応援したくなってしまう。

「やっぱ天才はすごいな。私とはちがう」

こんなふうに「天才は別物」と言う人がいるけど
誰の中にも天才の部分は存在する。
私の中にもいるし、あなたの中にもいる。

天才をのびのびと好きなように動かすか
もしくはいないものとしてフタをするか。
ちがうのはその扱い方。それだけ。


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