見出し画像

友人と葉書

「ぼくは年賀状をやめるよ」

いつかの年末、ぼくは嫁に宣言した。

「ふうん。いいんじゃない」

さりとて驚く嫁ではなく、軽い相槌で返される。
この適度に干渉しない距離感が本当に心地良い。

ぼくは友人が少ない。
新年に届く年賀状は十枚にも満たない。

毎年毎年、年賀状が届いてからやっと相手の
年賀状を書き始めるということをしてるから
年賀状が減ってしまったのかなと思っている。

しかし誤解しないでほしい。
年賀状を書くことは好きなのだ。
もちろん友人のことも好きなのだ。

ぼくは年賀状を書く際に筆ペンで全てを書く。
住所、氏名はもとより郵便番号まで全て筆だ。
調子が良ければ干支の絵まで筆で書き上げる。

一文字一文字魂を込めて書く行為が好きなので
一枚書き上げるのに十分くらいかかってしまう。

だから、年賀状はそんなに枚数が書けないので
少なければ少ないで魂を込められて好きなのだ。

しかしぼくは考えてしまった。

「そもそも、年賀状って、なんだ?」

いや、分かっている。
新たなる年の初めに旧友の近況を確認し
懐かしみ、励まし、喜び、力を貰う行為。
つながりを維持する絶好のイベントだと。
(※あくまで私個人の見解です)

いやちがうな、そういうことじゃなくて…

「そもそもぼくは、年賀状を出したいのか?」

これだ。これを自分に聞いたことがなかった。

思えば小学生の頃あたりから、親に言われて
周りのみんながやっているから自分も書いた。
そのままずるずる続けていたにすぎなかった。

「いや、別に出したくないよ」

ぼくは自問自答に秒で答えた。
なんだなんだ、もっと早く聞けばよかった。

というわけでぼくは、年賀状をやめたのだ。

・・・

「次郎くん、生きてる?」

とある正月明け、古い友人から電話が入った。
ぼくは男だが彼のことは性別を超えて好きだ。
数年ぶりに聞く声だけで嬉しくなってしまう。

ひとしきり近況を報告し合ったところで彼は
ぼくが年賀状を出さなくなったことについて
心配していたことをそれとなく教えてくれた。

「ごめんごめん、言ってなかったけど
もう年賀状は出さないことにしたんだ」

はあ~・・・と感嘆するような訝しむような
長い長い伸ばし言葉が収まるとようやく彼は

「そっか。じゃあみんなにも言っておくよ」

あれやこれや、よけいなことは何も聞かない。
頼れる言葉でさわやかに別れの言葉を述べた。

年賀状は好きなときも、嫌いなときもあった。
でも今は、少しだけ好きな方向に寄っている。

友人は、一枚の葉書なんかじゃ壊れないから
友人なんだと言うことを教えてくれたからだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?