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『海を渡ってきた漢籍: 江戸の書誌学入門』

『海を渡ってきた漢籍: 江戸の書誌学入門』(高橋智著 2016年刊行)といふ本を図書館で見かけて借りてきました。
日外アソシエーツから「図書館サポートフォーラムシリーズ」の一冊として出された本なので、公立の基幹図書館には必ず常備されてゐさうです。江戸時代の版本が好きな人なら知っておきたい事情が大変分かりやすく書いてある本でしたのでご紹介します。勉強になりました。

まづは導入部として、江戸時代にはありふれた教科書の類ひ、故に明治以降顧みられなくなった版本のヴァリアントを、一つのテキスト(例へば論語)に絞って系譜を辿ることで見えて来る面白さについて、序章および第1章「失われてゆく書物の群れ」で述べられます。

それが昭和になって「日本儒学史」として遅まきながら体系的に整理されるのですが、例として、テキスト学としての特徴を最も示す、片山兼山・浅川善庵父子に始まる折衷学の系譜(および清朝考証学の受容)が解説される第2章「漢学者の仲間たち」。

視点を一人の学者に絞り、彼の著述と読書の痕から見えて来る視野を、すなはち遺された江戸時代の古本の相当部分を占める写本や書込み本について語られる第3章「読書と執筆―原稿から成本」。
なかに、初校段階の試印本が「薄い紙を用い、墨のりもまだあまり鮮明でない」といふ説明がありますが、これは私が実際に出会った経験として未刊に終わった小原鉄心編『地下十二友詩』が伝へる姿がその通りのものでありました。

第4章「活字と整版」は、江戸時代初期に刊行された古活字本について。短い期間に朝廷や武家が少部数印刷した稀覯本であり、この章だけ書影紹介がないのは、著者自身が実際に手に取った本だけを紹介してゐるからだと思ひます(著者は慶応大学斯道文庫の先生)。故に概説に留まりますが、古活字本ならではの「修本(途中で活字を入れ替へて刷った本)」と「異植字本(再版のため最初から組み直した本)」との相違が語られてゐます。

第5章「時代の様相―文字の変化」で紹介されるのは長沢規矩也の和刻本研究の業績。「翻刻」と「覆刻」との相違、「刊記」と別添される「奥付」との相違、そこから生じる「刊(初印本)」「印(後印本)」「修・補刻(後印彫り直し本)」の区別、官版と藩版、時代区分による版面の様相の違い、版本題名に見られる「大魁」「鼇頭」といった科挙に語源を持つの言葉の意味などなど、目録を作成する上で大切なことが分り易く解かれてゐます。
ことにも長沢書誌学の特色を「写本はそれほどお好きではなかったようで、感覚としては中国人の書物感に近い先生」と人物で評してゐて、巻末にも「本書とぜひ併読していただきたい本」として私も大変お世話になってゐる橋口侯之介先生の『和本入門』を『書藪巡歴』とともに主要参考書に挙げてをられるあたり、林望先生(リンボウ先生)門下ならではのフランクさを感じました。

第6章「本屋の活躍―『四書集注』の版種」は、第一章で説明された版本の様式変遷を、当時広く行われた儒教の教科書である、林羅山の訓点(道春点)による『四書』に就いて解説。
内容は同一ながら版元を変えて形状(魚尾や黒口、行数文字数、表紙の色)が移行変化してゆく様子を数多くの奥付書影を並べて詳説。

そして最後の第7章「本に奉仕する人々」にて、江戸時代の蔵書文化と呼ぶべき全国大名・藩校などの文庫の沿革と歴史とを述べ、それらが明治維新で散逸して全容が分からなくなってしまったこと、行方を探る手立てとして蔵書印についてが述べられます。

さてその後「附章」として一章設けられてゐるのですが、第六章で紹介された道春点の『四書』に代り、江戸後期に世に行われた後藤芝山訓点による『四書集註』の“やっかいな”異動についてが、これまた親切に書影を並べて掲げられてゐます。現在古本で叩き売られてゐるのが殆どこの後藤点の四書五経であり、下にその部分だけ抄出したのでお手許に古本をお持ちの方は確かめられたら如何でしょうか。私の所蔵はどうやら五刻のやうです。
そしてやっかいついでに言へば、管見するところ通称「後藤点」と呼ばれ続けてきた所為か、同じ後藤は後藤でも讃岐藩の後藤芝山ではなく、我が郷土美濃の先人後藤松陰と誤記され、見返しに堂々と印刷されてゐるの散見するのですが、あれはどなたによる確信犯なのでしょうかね・・・(笑)。

『海を渡ってきた漢籍: 江戸の書誌学入門』附章より
勝手に抄出してゴメンナサイ。
我が所蔵するところの後藤点『四書』。

江戸時代の知識人の教科書であった中国の漢籍。そのテキストである直輸入本の原書はもとより、その後の需要を物語る覆刻、翻刻、訓点や解説がついたからといってそれまた漢文で書かれてゐます。手強すぎて敷居が高すぎて現在の読書界では需要がないばかりに、もともと絶対数は少ない筈なのに古本屋でも均一棚に見向きもされず端本が放置されてゐる現状。書かれてゐる学説内容そのものには深入りすることなく、版本の歴史を負ってゆくことで江戸時代の人物・文化へのレファレンスが可能になるという、私にもわかるお話が書かれてをります。
図書館員の為の本ではありますが、たとへば森鴎外の『渋江抽斎』を読んで面白いと感じた人、主人公や友人たちの本好きぶりに興味を持つやうな人なら読んで間違ひはなささうです。本書には森枳園(立之)も出てきます。
どの章においても版本古書の書誌が豊富な書影によって掲げられてをり、視覚的にすっきりとしてゐてたいへん行文が読みやすく分かりやすい。最悪なのは表紙の装釘だけかな(笑)。ぜひ図書館に行ったら手にとってみて下さいね。

巻末の【関係略年表】を掲げます。

770 宝亀1年 称徳天皇、国家鎮護を祈念した『百万塔陀羅尼』完成
(960~1279) 中国宋時代、印刷技術盛んになる
1088 寛治2年 『成唯識論』(正倉院蔵)、刊年のある日本最古の印刷品
1200 中国南宋、朱子学の祖、朱熹(1130~)没
1591 天正19年 ローマ字活字による印刷が初めて行われる、『サントスの御作業の内抜書』(キリシタン版)
1592 文禄の役 この頃朝鮮から活字印刷術が伝わる
1593 文禄2年 後陽成天皇『古文孝経』を活字印刷
1597 慶長2年 『錦繍段』、続いて『四書』『古文孝経』を活字印刷(慶長勅版)
1597 慶長4年 同11年(1606)まで家康、京洛伏見で活字出版(伏見版)を行う
1607 慶長12年 上杉家臣直江兼続(1560~1619)が京都要法寺で『文選』を活字印刷
1607 慶長12年 家康、駿府にて銅活字『群書治要』、『大蔵一覧集』を出版
1621 元和7年後水尾天皇『皇朝類苑』15冊を活字印刷
1625 寛永2年 『大魁四書集注』如竹あとがき記す
1628 寛永5年 安田安昌『五経』出版
1650 慶安3年 『四書集註』出版
1655 明暦1年 『四書』(平仮名倍刻本)大本出版
1657 明暦3年 林羅山没。明暦の大火。菊地耕斎『陶淵明集』出版
1662 寛文2年 『四書』、寛文年間のものでは初見
1664 寛文4年 野田庄右衛門『四書』『五経』を出版、道春点(林羅山点)本の広がり
1666 寛文6年 吉野屋権兵衛『四書』を「新版校正道春点」と表紙題簽に記して、本屋が道春点を売り出す時代の到来。
1670 寛文10年 『四書』を積徳堂、題簽に「道春訓点」と銘打って出版
1675 延宝4年 林伝左衛門、積徳堂本を覆刻出版
1691 元禄4年 林羅山の訓点本『五経』出版
1692 元禄5年梅花堂、『四書』を出版、川勝五郎右衛門『四書』を出版
1697 元禄10年 林羅山の訓点本『五経』、川勝五郎右衛門が後印
1711 正徳1年 辻勘重郎『四書』出版
1714 正徳4年 北村四郎兵衛、『四書』出版
1715 正徳5年 『文書軌範』覆刻明刊本出版
1716 正徳6年 山本長兵衛(弘章堂)『四書』を出版
1719 享保4年 『四書』出版(浪華書舖)
1723 享保8年 『再校重刻四書』と題した小本『四書集注』(片假名附調本)大坂の宝文堂大野木市兵衛と江戸の須原屋茂兵衛が出版
1724 享保9年 『五経集注』(松永昌易)寛文4年(1664)版の後印
1726 享保11年 京都の慶徳堂『四書』出版
1729 享保14年 北村四郎兵衛『四書』を出版
1741 寛保1年 文華堂『四書』出版
1747 延享4年 額田正三郎『四書』出版
1750 寛延3年 文華堂『四書』を覆刻再版
1754 宝暦4年 楠見甚左衛門、広文堂版『四書』出版(文政9年(1826)天保9年(1838)重刊
1755 宝暦5年 那波魯堂『春秋左氏伝』出版、安永、寛政と重刊
1757 宝暦7年西涯堂『四書』出版
1761 宝暦11年 京極堂『四書』出版
1768 明和5年 西涯堂『四書』再版
1773 安永2年 再版京極堂『四書』出版
1775 安永4年 竹林堂『四書』出版
1776 安永5年 西涯堂『四書』三版
1777 安永6年 「新改四書」小本『四書』(片仮名傍訓本)出版、嘉永2年(1849)まで4版
1778 安永7年 大野木宝文堂『四書』出版
1782 天明2年 後藤芝山没。第三版京極『四書』
1785 天明5年 梅村文会堂『四書』出版、文政12年(1829)、安政6年(1859)重版
1785 天明5年 源宣義(温故堂主人) 『四書』出版
1786 天明6年 竹林堂『四書』出版
1787 天明7年 河内屋喜兵衛「字引」を附録に付けて『四書』出版。安政5年(1858)再刻
1787後藤芝山点『五経』出版
1789 寛政1年 河内屋喜兵衛『文林堂』『四書』を後印
1789 寛政1年 最勝堂『四書』出版
1789 寛政1年 大坂天神橋の糸屋梅月市兵衛が山本長兵衛の版木(正徳6年)を買い取り重印
1789 寛政年間 伊東藍田『文章軌範評林』を再編出版、松井羅洲『文章軌範評林』校訂を加えて出版
1790 寛政2年 寛政異学の禁、朱子学を奨励
1790 寛政2年 河内屋喜兵衛『宝林堂』『四書』後印
1791 寛政3年 尾張安永堂『四書』出版
1792 寛政4年 竹林堂『四書』後印
1792 寛政4年 小田穀山『易経』出版
1794 寛政6年 後藤芝山点『四書』出版
1804 文化1年 大田錦城『九経談』出版
1804 文化1年 松下葵岡『国語』(清•嘉慶5年(1800)出版)輸入覆刻
1808 文化5年 久月堂小野氏『四書』再刻、文化10年(1813)、嘉永7年(1854)後印
1810 文化7年 青裳堂髙橋與惣治『四書』出版、天保14年(1843)万笈堂後印
1812 文化9年 大坂の加賀屋善蔵「額田版」『四書』を後印
1813 文化10年 『四書』(片仮名訓点)中本出版
1813 文化10年 大阪の宋栄堂、秋田屋太右衛門『四書』出版、後藤点『五経』再版
1815 文化12年 僊鶴堂鶴屋喜右衛門が「大寛堂再訂」と称して『四書』出版
1820 文政3年 後藤点『四書』再版
1829 文政12年 木邨吉兵衛温故堂『四書』再版
1830 文政13年 後藤点『五経』3版
1830 天保1年 浅川善庵『荀子箋釈』出版
1835 天保6年 後藤点『四書』3版
1839 天保10年後藤点『五経』3版
1840 天保11年 後藤点『四書』4版
1845 弘化2年 河内屋喜兵衛『四書』出版、実際は安永4年の再版
1845 弘化2年 浅川善庵『韓非子』『荀子』最善本覆刻
1846 弘化3年 後藤点『四書』4刻補刻出版
1850 嘉永3年 後藤点『四書』5版
1853 嘉永6年 曽根魯庵『四書匯編』著す
1854 嘉永7年 『左繡』貫名海屋が「覆刻」
1855 安政2年 梅村彦七温故堂『四書』後印
1855 安政2年 後藤点『四書』5版
1856 安政3年 片仮名傍訓本(中本)『四書』再販翻刻
1857 安政4年 海保漁村『文章軌範』に注釈をつけて序文を記す
1858 安政5年 後藤点『四書』6版
1861 文久3年 河内屋喜兵衛・茂兵衛(群玉堂)と合版で印刷「万延新刊」
1863 文久3年 後藤点『五経』6版
1864 文久4年(元治1年) 後藤点『四書』7版
1871 明治4年 廃藩置県
1872 明治5年 学制公布
1877 明治10年 海保漁村の遺稿を整理して『文章軌範』出版
1877 明治10年 森立之、仮名交じり翻訳『文章軌範講解』出版
1877 明治10年 宮脇通赫『点註文章軌範』を上梓
1878 明治11年 千田一十郎、仮名交じり解説『釐頭文章軌範注釈』出版
1879 明治12年 奥田遵校正『史記評林』『文章軌範』、中村確堂『評本文 章軌範』出版
1880 明治13年 原田由己『標箋文章軌範』出版
1890 明治23年 文部省調査『日本教育史資料』

1928 昭和3年 竹林貫一『漢学者伝記集成』(関書院)
1935 昭和10年 小川貫道『漢学者伝記及著述集覧』(関書院)
1938 昭和13年 浜野知三郎『海保漁村先生年譜』
1939 昭和14年 安井朴堂『日本儒学史』(冨山房)
1943 昭和18年 関儀一『近世漢学者伝記著作大事典』(井田書店)
1960 昭和35年 笠井助治『近世藩校の綜合的研究』(吉川弘文館)
1962 昭和37年 笠井助治『近世藩校に於ける出版書の研究』(吉川弘文館)
1970 昭和45年 笠井助治『近世藩校に於ける学統学派の研究』(吉川弘文館)
1979 昭和54年 長澤孝三『漢文学者総覧』(汲古書院)(改訂増補 平成23年)
1979 昭和54年 小野則秋『日本文庫史研究』改訂版(臨川書店)
1983 昭和58年 井上隆明『江戸諸藩要覧』(東洋書院)
1998 平成10年 町田三郎『江戸の漢学者たち』『明治の漢学者たち』(研文出版)
1999 平成11年 村山吉廣『漢学者はいかに生きたか』(大修館書店)
2006 平成18年 大石学『近世藩制・藩校大事典』(吉川弘文館)
2014 平成26年 渡辺守邦等『新編蔵書印譜』(青裳堂書店)


【付記】
続いて斯道文庫の「図説 書誌学」も一緒に眺めてゐます。こちらは昨年末に新版が出てゐるやうです。

2010年の旧版から少し抄出して御紹介。
白楽天の詩集に後から付された識語や跋を狩谷棭齋が抜書きしたのを更に渋江抽斎が写した写本。
頼山陽批点『孟子』
『渋江抽斎』でおなじみの『経籍訪古志』
「幕末に一世を風靡した校勘の読書の風は、書き入れにその極点に達したことを感じさせる。そして、精審な批校の跡は、この価値を知る者の手によって整理されることなく、遺物として書物の歴史の一頁を為すに止まった。そして、考証学の歴史的意義を再評価する書誌学の到来を待つこととなったのである。」 

「価値を知る者の手によって整理されることなく、遺物として書物の歴史の一頁を為すに止まった。」何とも言えない気持ちになった箇所です。

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